「心配している」と本人に伝えるのは狡いことだ、と。
そういう言葉を口にしている自分に酔いたいだけなんだ、と。
ひどく偽善的で独善的で利己的であるようにさえ受け取れる、と。

何時だったか、ジョン君に言われた。
でも彼女は周りの人間にそれをする。
彼女は、自分が他人に「偽善的で独善的で利己的」な人だと思われても構わないのだとも言った。
そして今日。



自分が我慢することで他の人達が平穏に過ごせるのなら、それでいい。
けれど、そうしている私を見て心配したり心痛めたりする人がいることも分かった。
そういう人達に気付かずにいることは罪だと、思うんだ。
鈍感な私はそのせいで無意識にその人達を傷つけているかもしれない。
だから今は、「心配だよ」と、私にブレーキをかけてくれる人達にも素直に感謝できる。
喩えそれが偽善や独善やエゴや…そういうものから出てきた言葉だったとしても。
「重い」とか思わずに。



そう言う割に、僕の発言には容赦ない。
彼女が僕にもそれくらい寛容になってくれれば擦れ違うことも無くなるんだろうな。
まあ、それが良いことだとは思わないんだけど。





しかし、たまには僕の言うことも素直に聞いて頂きたいのだが。