しかたない、がんばろう!~急性リンパ性白血病をいきる~かんごしに生きる~

2008年春、急性リンパ性白血病 (ALL) になった。
38才独身、看護師18年目…。
がん専門看護や緩和ケアの経験もあった。
自分が患者になり、初めて分かったこと、実感したことがある。
日々のことと共に、又、今までを振り返りながら、記していきたい。


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ちょっとした刺激があり、改めてまとめる機会となりました。

ブログにも記しておこうと思います。

 

LDH2000からALLと診断されるまでの2か月、
発作的な激痛(腰痛~四肢関節痛~頭蓋骨痛)と発熱の中、
漠然とした緩い不安と共に、

調べまくっている間で、
徐々に

「今回はどうやら逃れられない良くないものがある様だ」

と感じ始めました。


最初にお世話になった

某大学病院系列の施設の血液内科医が、

まずは除外したいと言った

血管内リンパ腫の経過の難しさなど、

1時間半もかけて説明してくれたあたりから、

覚悟が出来て来たように思います。


受け持ちさせて頂いた

患者さん方の涙の意味を痛烈に感じ直し、

無念さをお話頂いた方の気持ちを思い返しました。
自然に繰り返し浮かんできました。


LDH高値判明から2か月経って

初めて芽球が出て、
化学療法を受けた病院に移り、

たまたま初診時にマルクが出来て、

白血病ですと言われた時は安堵しました。
2か月という時間の影響もあったと思います。


新人看護師~若い時に、

再発進行~終末期がん患者と接してきて、

「天国にいらっしゃる皆様に恥ずかしくない生き方がしたい」

という当時からベースにある思いが、

私を立たせてくれたと思います。

 

看護師であるということが、患者の私を支えました。

 

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ある消化器がん専門医が展開している
サロン型のお勉強会に参加し、
告知を受けた時の自分を振り返る機会を得ました。

2008年年明けから何だか体調がおかしくて、
少ない項目の職員健診では異常なく、
それまで繰り返されていた鬱悪化にしては
食事が入らないにも程があり、体重減少もありました。

その前から、微熱も続いていました。

2008年3月21日
振り返ればそうだよなと分かる
白血病による初めての腰部骨痛の発作(激痛)に襲われました。

3月28日
激しい心窩部痛と38.8℃の発熱があり、
夜中に近所の大学病院で救急診療を受け、
採血でLDHが2064(正常値:142~246)で
腹部~骨盤内造影CTを撮影しました。
異常は認めませんでした。

翌日再診後、急性胃腸炎疑いで入院しました。
心配症の母には伝えず、
自分独りで6日間の入院生活を過ごしました。

LDHは513まで下降、消化器症状も回復し退院しました。
タクシーで病院から自宅まで帰りました。
桜の花の時期、
目の前を流れていく桜の木々
来年はいい桜を見るぞ~と思いました。

ここからLDH高値の原因追究の旅が始まりました。

LDHのアイソザイムを調べましたが、
血液疾患に特定できるデータは見られませんでした。
芽球も5月14日まで出ませんでした。

その間も、繰り返し襲ってくる骨痛に翻弄されていました。
腰痛~右膝~左膝~左右肘~後頸部~前額部と、
骨痛は広がりました。

自分で考えて色々な科を回って、
4月26日に血液内科にたどり着いても、
医師も私もマルクは積極的に考えませんでした。

そういった中、
2008年5月15日 この大学病院から紹介先病院の初診時、
たまたま処置用ベッド空いていたから当日に行った
マルク(骨髄穿刺)がDry tap で、
種類はまだ分からないが白血病だからと
緊急入院になりました。

まず連絡したのは勤務先でした。
病院玄関を出た所で、
涙をこらえながら電話した時の
あの青い空
今も鮮明に目に浮かぶ景色の一つです。

でも、ほっとしました。
訳の分からなかった痛みにもう一人で向き合わなくていいし、
ようやく治療段階に入れる。

激しい症状が出てから約2か月、
どうやら今回は「自力では逃れられないもの」に襲われたようだと
徐々に感じていました。

後は敷かれたレールの上を進むだけだ。
自分で探ったり、自分で工夫したりしなくていい。

本当にいい意味で諦められた感覚がありました。

がん告知 から自分を取り戻せる段階に入るまでは
約2週間を要する
…と学んでいたので、
落ち込みは仕方ないと思っていましたが、
理屈じゃないんですよね…。

ぼーっとした中、
化学療法に向けた準備に時間単位で追われましたが、
忙しくてよかったのかもしれません。

いつか、比較的早いうちに、がんになるとは思っていました。
それが父(大腸がん:享年48)より早い38歳という年齢で、
しかも白血病とは全く想像していませんでした。
どうしてというのは、この部分で感じましたが、
考えたところでどうにもならないことも分かっていました。

7人部屋でお姉さま方に囲まれた
入院闘病の日々が心地よかったのが
私の救いだったと思います

ここからすでにピアサポートを受けていたんですね…。

ここからすでに症状コントロールというものを考える様に…
と示されていたのかも…。


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今年の桜私のランニングコースにて













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病棟に上がり大部屋のベッドに案内された。
師長さんがいらした。
すぐにお金が心配だと伝えると、社会相談室に行く様言われた。

私の病棟主治医になった たまちゃん から、
再びマルク(骨髄穿刺)をすると言われる。
胸骨からだった。この日3回目の穿刺。

ガーゼを顏にかけて欲しいとたまちゃんに言うと、
「見えた方が怖くないってよく言われるから。」とぶっきらぼうに言われた。
チッと思った。
「痛いのは何をやるか分かってるからでしょ。」と面倒臭そうに言われた。
イケメンだからって何でも許されるわけないぞ

緊急入院した日の19~20時半くらいの間、
たまちゃん、たけちゃん(入院中は名ばかりの主治医)、卒直後の研修医3人から、
私に説明があった。

3回穿刺して分かった病名は、

「8割がた急性リンパ性白血病だが確定出来ない」。
翌日、再び腸骨からマルクと骨生検をすることになった。
「dry tap」の為に、確定診断に必要な骨髄液が採取出来なかった結果だ。

「私はカワイタ女ですう~。」とバカ丸出しで、大部屋で笑っていた。

説明を受けている間は、
たけちゃんとたまちゃんは仲悪そうだ
たまちゃんは性格悪そうだ
たけちゃんはフツウの外見と普通の白衣で良かった
講義みたいな説明だな
研修医は妙に緊張している
…そんなことを思っていた。

その晩は、看護師さんが心配して眠剤の使用を尋ねてくれたが、不要と伝えた。
内服せず熟眠した。
疲れていた。
もう痛くなっても看護師さんを呼べばいいんだ、と肩の荷が下りていた。

翌朝目覚めると、病院の天井が目に映り、
ああ現実か…とぼーっと思った。

つづく
なんか思ったより
長くかかりそうだなあ


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化学療法を受けることになる病院の初診時、
検査入院のベッドの余裕は無いため通院で精査を進める旨説明された。
この日はマルク(骨髄穿刺)を行う外来ベッドがたまたま空いており、
済ませてしまおうということになった。

腸骨を左右1回ずつ刺した。
とにかく痛いし
終わる気配がいつまでも感じられず、もたもたしているなと思った

「dry tap」と言う腫瘍量が多い状態で、
骨髄液が微量しか引けなかった。
そんなことは当時は知らなくて、下手くそ!と思っていた

再び診察室に呼ばれ扉を開けると、重い空気があった。
「白血病です。ベッドは確保しました。このまま入院して下さい。お家に帰すことは出来ません。」
などと医師に言われた。

医師の表情がとても重くて辛そうに見えて、目を合わせられなかった。
医師のロイヤルブルーのYシャツと明るいイエローのネクタイに目が行った。
趣味悪いよなと思った。
なんで血液内科医がこんな恰好しているんだと思った。
髪はウエット仕上げだったし

ネクタイには小さい動物が沢山カラープリントされていた。
馬が走っていて象もいた。パンダもいたかな

医師も看護師さんも心配そうに私を見ていた。

病棟に行く前に、病院の外に出て職場に電話した。
「白血病で緊急入院になりました。入院はこのまま長期になると思います。すぐに退職しないといけませんか。」
と言ったと思う。

青が鮮やかになりつつある5月の空を見上げていた
風が優しかった。
最後は声が震えて涙が浮かんだ。

病院人事課の方々とは、同年2月に起きた不当な異動問題でもめていた。
電話の声は穏やかだった。
休職扱いになると聞いてとりあえず安堵した。

つづく

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発症からの心の振り返りを、改めて簡略にまとめてみたくなった

思い返すと、

'08年年明けから食欲不振と強い倦怠感があった。

腰痛でボルタレン坐薬などの消炎鎮痛剤を常用していたが、
いつからか、微熱の持続は何となく気になっていた。

体重減少もあったが、ダイエットになってストレスも良いかと思った…
ストレスコーピングとしてそう思う様にしていた。

同年3月中旬、初めての腰の激痛/骨痛 (当時は骨髄からの痛みの認識無し) 。
近所の大学病院整形外科に受診し、
自ら採血を依頼するが医師に不要と断られた。

3月下旬のある夜、激しい胃痛と背部痛と発熱で
前述の大学病院救急外来を受診。
高LDH血症 (アイソザイムで血液疾患の判別不可) あり。
芽球は極小量あったらしいが翌日以降消失した。
入院で消化器がんを検索するが異常無し。

診断は急性胃腸炎(ウイルス性疑い)だったが、
LDH高値持続の原因検索の日々。

甲状腺(橋本病はあり), リウマチ, 血管炎, 膠原病…どれも違う。
同年4月下旬になっても診断がつかず、
消去法で、IL2-レセプター(血液がんの検索目的)を見ると高値。

この間もずっと、
予防的鎮痛剤投与効果無しの発作性の激しい骨痛と、
37~38℃の発熱は持続。
骨痛は腰に始まり四肢の関節に現れ、額や後頸部にも至った。

初めは、変なウイルス感染症とその後遺症だと思っていた。

激しい痛みは突如襲ってきて、おおよそ40分でケロリと消失。
痛みが週に2~4回のパターンになり、
今日痛かったから明日はきっと大丈夫だ、と思っても連日だった時もあった。

だんだん、ヤバイんだ私…と思う様になった。

消化器内科から血液内科に転科、
疑い病名として、ポピュラーな病気ではないらしい「血管内リンパ腫」について
詳細を説明された。

覚悟するしかない、と漠然と思った気がする。


マルク(骨髄穿刺)については、
行っても何も出ないだろう、と言う血液内科医に私は迷わず同意していた。

この頃にはよく泣いていた…と言うよりは涙が勝手に出てきた。
泣くつもりはなくても、
昔の受け持ち患者さんの涙が幾度も頭に浮かび、共に涙した。

患者さん、こういう気持ちだったのかな…
自分は看護師としてちゃんと分かっていなかった…
誰かがそばにいてくれる、その大きさ…
そんな思いが湧いた。

5月中旬、貧血悪化,芽球出現。
この大学病院では血液内科が充実していない為、
化学療法を受けることになる病院 (出身校の関連施設/実家からも近い)
に受診、緊急入院となった。

転院先の選択時、
「化学療法科とか…ある所がいいかもしれない…。」と血液内科医に言われた。

「化学療法科か…。」
ああそうか ああそうか ああそうか
落ち着いていたと思うが、ぼんやりしていた。
それなりに衝撃だったのだろうと思う。

つづく



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