2019 平成31年 新年を迎えて

角松あけましておめでとうございます角松
 
TVドラマ「アンナチュラル」の再放送を見ました。
いじめによる自殺の高校生の回で
「許されるように生きろ」というセリフがあり、
それが心に強く残っていました。
 
ごく一部の同志(白血病仲間)ドキドキのお話になります…。
 
椿幼い子どもと若いパートナーを遺していく無念
 
椿残された時間で子どもに身をもって
言葉をもって愛情を示すことが出来ない状態を
自覚して生きるこの上ないだろう辛さ
 
椿子をなくした親の気持ち 果てしない想い
 
椿ごきょうだいお2人で(ドナーとして)もっても
ご本人の白血病に「負けた」という
当然とも言えるでしょう強い敗北感
 
椿寛解導入療法が辛過ぎて地固め療法を拒否されて
民間療法を信じ悪化していった方
 
椿完治も望める状態でも移植後の未来に希望が持てず
再発治療をせずいった方
 
椿2度目の移植で寛解にいかず
子どもに一般教養(慣習)の本数冊を手作りし続けていた方
 
椿なくなるまでの日々
毎朝「私は負けない」と記し続けた気持ちは…
 
複雑に考える必要はないとは思ってみていても、
自分が生きていることへの罪悪感を
強く強く感じた時期がありました。
今もゼロではありません。
 
自分が接してきた患者さんほしご家族ほしのことも
何度も何度も思い出します。
特に自分がプライマリーで担当した方々のことは、
看護師看護師として患者ほしとして、
今だったら当時よりもっと出来たことがあったと
申し訳ない気持ちが幾度もよぎります。
 
今年50歳になります。
19歳の時に49歳の父を大腸がんでなくす時期から、
ヒヨコの「がん」とのお付き合いは始まりました。
 
この30年でがん医療・がん看護ハートは変わりました。
現在も、足りないことはたくさんありますが、
その時代を一生懸命生き抜いた
患者さんほしご家族ほしによっての今だと思います。
 
自分ヒヨコには大きなことは出来ませんし、
「許されるように生きる」という大きなことも、
正直背負いきれない思いでいます。
 
ただ、ドナーさんキラキラから
究極の優しさで頂いた時間に感謝クローバーを忘れず、
「一症例で生きる」ことは
今年も積み重ねていこうと思いますうり坊DASH!
 
それと…
前述の他、ピアサポート的な関わりハートの中で
痛烈に感じ重ねたこと…
日常的な医療者の些細な言動や慣習が、
患者さんほしご家族ほし
患者さんを取り巻く全ての方々の、
時に死生観や大切な時の意思決定にまで
影響を及ぼす怖さ、
せめて、忘れずにいたいと思い直しています。