続・造血幹細胞移植後フォロー外来のナース | しかたない、がんばろう!~急性リンパ性白血病をいきる~かんごしに生きる~

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2008年春、急性リンパ性白血病 (ALL) になった。
38才独身、看護師18年目…。
がん看護,緩和ケア病棟の経験もあった。
自分が患者になり、初めて分かったこと、実感したことがある。
日々のことと共に、又、今までを振り返りながら、記していきたい。

前の記事のナースさんの言葉、
私にとっては、単なる逃げ,言い逃れ,話をそらしている様に見えた。

落胆した。
まずはありのままを受けとめる鉄則が、このナースも出来ない。

私からナースに言った。
「私の言ったことが今でもあてはまる場合があるなら、しっかり対策や教育をして欲しい。自分が苦しみ我慢したことが生かされず、同じ苦しみをもつ患者さんがいたとしたら、それは私の一番の苦痛なんです。」

「自分が一所懸命やってきた看護を、患者の自分が受けられない悲しさ,辛さが分かりますか。」

「苦しい思いをしましたね。至らない点があってごめんなさい。これからの教育に生かしたいと思います。」なんて言ってくれない。
私ならそう言う。
潔く自分たちの非を認め、謝ることが出来ない医療者ばかり。

逆の立場、ナースさん方から見たら私は扱い難い患者だから、
大人しく、なされるがままみたいでいようという自分の思いで、
入院中文句も言わずひたすら我慢して、
なるべく笑顔で、いつも「ありがとうございます」と言っていたけど、
こんなに心の傷が深くなっていたとは自分でも分からなかった。

昨年12月に師長さんにお話してもう封印した怒りだったはずなのに(ブログ記事あり)、
障害年金の件でまた怒りが沸き起こった。

相談室の方の認識と私のゴールも違った。
私は、障害年金申請のための診断書記載を拒否する主治医が、
自分の誤りを認識して、当然の責務,診断書記載を理解し責務を全うするまでのフォローを、相談室はしてくれると思っていた。
病院の責務ではないのか。
私は病院からのサポート無く放浪した。

なんでもかんでも「相談支援センター」と言われているが、
今まで時を変えて3人の方にお世話になったが、私は十分なサポートを受けたことがない。
障害年金については間違った情報提供もされた。

このナースさん、主治医に介入してくれると言っていたのに忘れ去られていた。
私は何も言わなかった,言えなかった。

相談室と移植後フォロー外来の連携を密にして欲しいとナースさんにお願いした。
患者(私)自ら相談員と看護師さんを集め、
相談依頼されることに何も感じないあなた方、
縦と横の連携をして下さいと私は言いたいのですよ。
あなた方のサポートの技術にして欲しいから、一症例として動いたのですよ。
分かりますか。

わかんね~だろうなぁ~汗汗汗