しかたない、がんばろう!~急性リンパ性白血病をいきる~かんごしに生きる~

2008年春、急性リンパ性白血病 (ALL) になった。
38才独身、看護師18年目…。
がん専門看護や緩和ケアの経験もあった。
自分が患者になり、初めて分かったこと、実感したことがある。
日々のことと共に、又、今までを振り返りながら、記していきたい。


テーマ:

あじさいかたつむり正しい情報収集のあり方も、まだまだ大きい問題のようです。
メンバー一高齢者の方ブーケ2のご発言と関連して、
現在はネットが果たす役割は大きく、
活用できない高齢者は

置いてけぼりのような状態になっているのは、
私も現在の職場での些細な多くの物事で痛感していることです。

 

今の職場病院は、おそらく他の施設や科と比較して

(後期)高齢者の方々が多く、

500床規模の急性期病院にかかるシステムも、

患者としての礼儀や責務も

理解されていない方々の存在を感じています。

 

年齢だけによるものでもないのですが…

 

あじさい紹介状(診療情報提供書)の意味が分からない。

あじさい一度かかればかかりつけ医だと思ったり、

問題の大きさに関わらず

ずっといつでもお世話になれると思ったりしている。

 

あじさい初診の問診票が十分には書けない確率が高く、

ご自身が内服されているお薬のことは

全く分からない方々が多い。

 

あじさいお薬手帳の意味を理解されていない方々が少なくない。

あじさいご自身のお身体ことが説明困難な方々が少なくない。

 

…必然的な、仕方ない様な部分もあると思っています。

 

私はなんちゃってでも看護師として医療の現場にいるので、

医療のシステムは何となく学び入れていると思うのですが、

長年病気とは無縁で、

高齢者となって初めて大きな病院にかかることになって、

システムが分からないのも、

自然かなと言えるとも思います。

 

電話対応の多さ電話電話電話も今の施設の特徴なのですが、

高齢者の方々にとって、

一番身近なコミュニケーションツール、

「情報を分かる人に訊く」という手段が

一番簡単なことなのかもしれないと感じています。

 

白内障の手術目的で近医から紹介されたある患者さん。

詳細の検査が終わって、手術適応があるとなって、

「私、手術はしたくありません。

がんの手術を何回もしているので、もういいです。」

…どうしてこういう流れになったのか、

ご本人だけの原因ではないと思いますが、

最近考えさせられたことでした。

 

そこで、「暮らしの保健室」や「マギーズ」などが出てきます。
クリップ参考クリップ

http://www.cares-hakujuji.com/services/kurashi

https://www.kango-roo.com/sn/a/view/850

http://kanade.tokyo/

http://musashikosugi.blog.shinobi.jp/Entry/3760/

http://maggiestokyo.org/
マギーズのスピリッツを病院内で展開できないものだろうかと、

私も漠然と思ってはいたのですが、

東京都川崎市の井田病院では試みが進んでいると聞きました。

 

(急性期)病院が果たせる役割は、限られてしまうのが現実です。

 

外来における看護師の役割は、

本来は個人個人の対患者さん,ご家族にあるはずが、

日々の業務をこなすだけで

十分に応えられる人員配置はされていない,出来ないのが

人件費¥のことを踏まえての現実です。

 

生活と医療、

がんに限らず病と共に生きるかたつむり上での困りごとを

より気軽に相談出来て、

誠実に応えてくれる、

一時でも共に歩いてくれる

何か虹が必要とされているのは確かだろうと感じています。

 

昔の「おまかせします」の医療が、

個人個人の意思決定に完全シフトしたと言えるような現代で、

こういったことの必要性が高まったのは

必然と言えるのかも、と感じています。

 

TVテレビやラジオ音譜は身近な情報ツールですが、

本当に必要な基本的な教育的なこと(だけ)ではなく、

真偽に関わらず耳触りの良いことや、

センセーショナルドンッなことに偏って

電波に乗せている所も大いにあって、

情報の獲得の仕方を

難儀にしている部分があるように思います。

 

決まった目的があって新聞内を検索するのはなかなか難しいし、

本屋さんで山の様な書籍本から

ある一定の正しさと共に自分にあったものを見つけるのも難しい。

 

高齢者に変わって若いご家族のご活躍も期待されますが、

家族関係の影響もあって

確実性は保持できないところもある…。

 

考えを巡らすと、私の頭であってもキリがありません台風

 

今回も、院内患者会でのお話から

かなり広げてしまいましたが…叫び


私には全く答えは出せない問題ばかりです。

原点晴れに戻りますが、
理解してくれる人がいると嬉しい」という

在宅緩和ケア医小澤竹俊先生キラキラのお言葉と、

http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0306/

http://www.bekkoame.ne.jp/~ta5111oz/inochi/framepage7.html
それは私が一番欲するものでもあるので、
これを特に大切にして合格

地道にカメ出来ることを続けていきたいと思います。

 

今回の会では果たせなくて残念あせるだったのですが、

機会があれば、

サポートの実際と質キラキラをお聴きして

語り合ってみたいなと思いました流れ星

 

あじさいかたつむりネットの情報パソコンの取り方,選び方ですが、

簡単に言ってしまうと、

保険診療をしている病院のサイト

保険診療をしている医師のサイト

保険診療での薬剤を製造・販売している製薬会社のサイト

行政関係のサイト

学会のサイト

そういった情報を加味して作られている

患者さん・患者会サイトが、

誤りに当ることなく安全であると私は思います虹

 

(科学的根拠に基づいて公表しており、

プラス/マイナス両面を踏まえてあること

昔の標準に留まることなくアップデートされていること

私見は私見であることわりがきちんと入っていること

…自分が思い浮かぶ限りですが、

重要だと思っています。)

 

ML_SN3S4937.jpg

昨年の紫陽花

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あじさいかたつむり認定看護師さんや専門看護師さんの活動報告の加点

としても、
晴れ患者サロン晴れが提供される病院が

増えて来たのかなと感じています。

 

晴れ患者サロン晴れの展開は、

国レベルの「がん診療連携拠点病院指定」の

必須要綱になっていると聞いています。


複数のご施設や団体を見たり、

学会での発表を聴いたりして、

クローバー患者力クローバー

看護師側が十分に理解出来ていないケースもあるかな、
と感じる時があり、それは残念に思います。

 

看護師として特別な学びキラキラを得た方々の中には、

その知識本と限られた経験の中で、

確固たる自分のスタイルを持っていて、

 

一種固執しているというか、

自分の中でパターン化してアプローチすることだけで

看護を展開している方々も

少なくはないかなと、

先輩がんサバイバー+看護師さんの言葉もあって、

自分の過去を思い返しながらも感じています。

 

あるライン以上のケアの質の担保合格

看護師自身が疲弊汗しないためには、

有効な方法だろうなと思っています。

 

でも、看護師は万能ではないんですよ~ベル

 

話が反れてしまってすみませんあせる

私の妬みやひがみの自覚叫びを踏まえての捉えですウシシ

あじさいかたつむり患者会世話人の後継者問題は、どこも抱えている様です。


私は部外者であり、

失礼な言い方になってしまいますが、
自然淘汰されるのは仕方ないのではないかなと思っています。

存在するニーズ(needs/欲求)を

満たさないものは消えていくでしょう。


ニーズが変化すれば、

サポートも変化する必要があるでしょう。


院内患者会

メリットの多い素晴らしいもの虹だと実感してますが、
ニーズが充足される手段が他に生まれてくれば、
担っていたものが終わることもあるだろうと思っています。

血液がんは、

固形がんに比べて

普段の生活を取り戻すのに

時間がかかる特徴があるかと思いますカメ

(病気の種類や病期によりますが。)


自分の生活を取り戻すことがやはり一番ですので、

あじさい長期的サポーターが可能な方々あじさい

なかなか生まれにくい部分もあるだろうなと思います。

 

あじさいかたつむり更に、私の知る範囲でのチューリップ赤若い方々チューリップ赤は、様々な形での

若者の為のピアサポートを展開しています。

 

最近注目されてきている、

AYA世代(15~39歳と定義されることが多い)

ケアやサポートは、

その専門病棟を展開した某専門病院の看護師さんも、

難しさを実感しているとお聴きしたことがあります。

 

今までの医療者の概念では届かないとも言える様な

この世代への多様なサポートとケア

院内患者会といった枠にとらわれず、

自分の時間や生活や人生を大切にしながら、

同じ世代の人同士で支えあえる場を

広げられる時代虹になったのかなと感じています。

 

若いパワーが、

院内患者会の後継者ではなく、

多様に生かされる場虹が広がっていっているとも

言えるのかなと感じています。

(やはり地域差は大きいですが…。)

 

ちなみに、

私もギリギリAYA世代の発症ですが、

チューリップ赤若者の集いチューリップ赤には参加したこともありましたが、

私としては根強く傷ついたこともあったりして、

気持ち的に(もう)無理ですウシシ

…そのくらいナーバスな多様な世代と言えるかもしれませんねクローバー

 

クリップ参考クリップ

朝日新聞 apital シリーズ:がんと仕事 進学・仕事・結婚・・・AYA世代のがん患者の悩みを支援

 

ML_SN3S5480.jpg

 

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当時移植の決断が出来ず、
化学療法の血内主治医があじさいあじさい大学出身ということで、
勧められてあじさいあじさい大学病院血液患者会に参加してから8年です。


複数の院内患者会の世話人の皆様のための会に、
お声がけ頂いて感謝しておりますクローバー
以下、超長文です。


ある方ピンク薔薇のご講演があった後、
恒例の各患者会の報告~フリートークとなりました。


院内患者会のスタイルはやはり様々です。
あじさい患者から医療者に主催者が変化したかたち
あじさい患者と医療者が一緒に主催~主導<<医療者のかたち
あじさい病院見守り型…場所の確保と広報の協力~

 責任者や関心のある医師(他医療者)が参加…

 これらの程度も様々  など。

 

活動内容も様々、
おしゃべり会のみ~医療者のレクチャーあり~

会報発行もありなど。


数々参加してきた私としては、

ややイレギュラーにはなりますが、
東京あじさいあじさい科大病院の

がん相談支援センターMSWさん主体サポートで
がん患者あじさいあじさい支援あじさいあじさいさん主導が
質も含めてバランスとしては好ましく感じています。
(マイナス面も感じます。)


患者会としてのサポート(やケア)は

基本一回完結型だと私は思っています。


語り合い共感し合う中で、
自分でまた歩き出せる力の充足や、
実体験に基づく情報交換はベースで大切なことです。


抱える問題の殆どに、
医療者とのコミュニケーション不足や
お互いの事情を知らない,分からない上での

一種無礼的なことあせるがあると感じます。

 

コミュニケーション手段の工夫の基本ラインを伝えることは、
先輩患者が伝えることとしてとても有用だと思っています。


継続でサポートやケアが必要だと感じられる際、
かたつむりつなぐ場所かたつむりというのを私は大切にしています。


その日そこで終わっては、
苦痛が長引くことになると想像できる時は少なくありません。


「(院内の)あじさいあじさいで相談するといいと思います。」と言うのは
比較的容易いと思いますが、
そこに「顔が見える関係」があると
サポートの確実性や質の向上にも影響すると考えています。


院内患者会の安定と質の保証において、
病院側の理解とサポートの質は、

やはり大きく影響することと思います。


医療者が提供出来ることあじさいと患者,家族が提供出来ることかたつむり
一部重なる2つの円の様なイメージをお互いに持って虹
共に、困りごと雨のある当事者のサポート晴れ

できるといいなと思います星

 

ML_SN3S5477.jpg

 

 

 

 

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私の誕生日の1週間後が、私の最愛の患者さんの一人テツさんの命日。

看護婦2年目の6月。
テツさんの状態が変化して大部屋から個室に移った、
と私の3連休中に同期から聞いた。
明日から日勤という夜、テツさんにもう一度会えるようにと祈った。

8cmCDの「はじまりはいつも雨」のカップリングがこの曲だった。
ずっとリピートした。

翌朝、「13」のお部屋にテツさんの名札を見た時、本当にほっとした。

傾眠状態だった。
採血をした。失敗した。「なんだよ~…知らないうちに2回も刺して~。」
声はかけていたが、届いていなかったようだ。

テツさんの点滴を観ていると、私の左腕をテツさんが握った。
「疲れたよ…。」
私はしゃがんで、初めてテツさんの手を握った。
大きくて厚くて温かい手だった。

「…疲れましたね…。
 少しでもお楽なようにお手伝いしていきますから…。
 おしえてください…。」
沈黙で顔を見合わせていた。
「…お互い疲れたよね…疲れたよね?」
「テツさん、私は全然疲れていませんよ…。」
「…ありがとう…。」

幾度かこの場面を書いていると思うが、記憶は変化してしまっていたようだ。
当時のプロセスレコードの課題のレポートと、当時の日記を読んだ。
前にじっくり読み返したのは、いつだったろう。

上記はレポートからの言葉。
日記は時間経過がばらばらだった。
思い浮かんだ順に書いたことを、うっすら思い出した。

どんなに好きでも忘れていくんだ…。
声も再現しきれなくなった。
でも、テツさんの笑顔と手のぬくもりと、優しい言葉と、
今はもう動画ではなくて、コマ切れの画像になった思い出と、
私の想いは生きている。

きっとずっと生きている。
私が本当の最期を迎える時、私はテツさんの笑顔を思い浮かべる。


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新人看護婦で配属された病棟は、消化器がんの再発 
もしくはOPE不可の患者さんが多かった。

私が人生の大先輩であったテツさんを好きなのは、
看護スタッフ皆様ご存じだった。
いつからか 先輩は、私を必ずテツさんの受け持ちにあてた。
受け持ちにならなくていいです、
といつも伝えていたが、これは変わらなかった。

最近、ふと思った。
先輩は、私がテツさんとしっかり関わって、
しっかりお別れが出来るようにしてくれたのでは…?

同時期くらいに、看護婦の大先輩が
病棟内のターミナルステージの患者さんと、
「人と人」の愛情の関係があった。
誰もそれをとがめなかった。
他患の目には注意を、ということだけ指導があったようだ。

そのような見守りが出来るスタッフの皆様に、今更ながら感謝している
とても貴重なことだったと思う。

テツさんの最期、私はナースステーションで
モニターをただ見つめるだけだった。
最後の波を覚えている。

私は勤務時間外だったが、テツさんのエンゼルケアをどうしてもしたかった。
日頃私に厳しい先輩にお願いした。
一緒にケアができた。

先輩が「お父さんって思っていたの?」と問う。
私は「お父さんではなかったです…。」と応えた。
泣きそうになった。
先輩は何も言わなかった。

テツさんに右に向いて頂くと、少量の吐血があった。
顔が汚れてしまった。丁寧に拭いた。
私はとうとう泣いた。

テツさんの左手が私の左腕をつかんだ。
きっと、励ましとか…そんな気がした。

テツさんがいなくなって、先輩方は私を心配したようだった。
仕事には支障はなかったと思っている。

でも、ナースステーションから見ていた散歩しているテツさんを、
しばらく思い浮かべていた。

ヒヨコシンシア全部が私の気持ちではないです

 

 

 

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