しかたない、がんばろう!~急性リンパ性白血病をいきる~かんごしに生きる~

2008年春、急性リンパ性白血病 (ALL) になった。
38才独身、看護師18年目…。
がん看護,緩和ケア病棟の経験もあった。
自分が患者になり、初めて分かったこと、実感したことがある。
日々のことと共に、又、今までを振り返りながら、記していきたい。


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検診センターは 10か月勤務した。
思い出の患者さん方との約束リボン通り、臨床(病棟)に戻った。

実家の地域の、確か200~250床程度の一般病院。

採用面接時、看護部長より、
「あなたの(高い)レベルだったら、うちじゃあやって行けないと思うから、☆☆大学病院を紹介するわ。」
と言われた。

ここは看護学校もある病院。
規模もそれなり。
何でそんな事を言うの??
私はデキが悪いのだ。
☆☆大学病院なんて無理ビックリマーク
地元で少し気持ちにゆとりを持って、ずっと勤めたい。
憧れていた◇◇の資格 (今で言う認定看護師の類) が取れる可能性もある。
元勤務先の検診センターの連携病院でもある。

「レベル」

確かに存在していた。
私にとっては、驚愕する程の差が。
信じられない程の差が。
今でさえ夢に見る、私にとっての苦しみ。
…決定的な鬱との付き合い開始。

勤務初日の朝から絶句した。
「忙しいから、あなた達の面倒なんてみれないから!適当にしてて!」

私はナース4年目になっていた。
まるっきりの新人 確か3名位、准看護師から正看護師になった人2名 が同期だった。

私達は、朝のナースステーションに取り残された。

私は、物品の場所確認や、注射薬,内服薬のチェックを始めた。
周りの子も続いた。

まるっきり新人の子達は、分からない薬剤を、少しも恥ずかしがらず次々尋ねてきた。
緩下剤やポピュラーな抗がん剤も知らないので、目が点だった。
「自分で調べる」考えも無い。

その後も、勤務中、新人の子達に、人体に初めてする筋肉注射の見守り(指導)を求められた。
(学生時代は模型での経験のみとの事。私は、学生同士で行い、実習でも、看護婦さん同伴で行った。前記の薬の知識を含め、看護教育の時代の流れだろう。)

確かに、新人も同期で助け合うしかない雰囲気だった。
今なら、勿論上司やスタッフに改善を求める。
当時もそうすべきだった。
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次に就職したのは、公的な検診センター。
非常勤しか採用が無く、時給も安かった。

だが、元々興味のあった 消化器内視鏡 (胃カメラ,大腸カメラ) が学べるのが魅力キラキラだった。
腰痛も考慮して。

比較的若い医師の研修施設でもあった。
最初はそれなりに色々あったが、業務がこなせる様になると、私と同時期入職の <さ>ちゃん (偶然にも新人入職病院が同じ,同期) はその施設で最年少ナースクローバーだった為、皆から可愛がって頂いた。

だが、「若いのに、こんな楽な所に来てビックリマーク若い内は厳しい所で経験を積むべきだビックリマーク」 と陰で言う医師もいた。

「長く居る場所ではない。」と、選んだ時から考えてはいた。

<ロングバケーション>

私のナース歴で、唯一、朝と月曜日(土日祝休み)が来るのが待ち遠しいと思う時だった。

生活は厳しかった。
夕方からバイトした時期もあった。
せっかくだから、色々経験しようと思った。
甘味処のスタンドの売り子。
ソフトクリームも巻いた。
腰には響いたあせる

消化器内視鏡 (検診域) については良く勉強した。

1度、写真(プリント)を撮り損ねる失敗をした。
前記陰口の<き>先生の時だった。
<き>先生ブーケ1は怒らず、気落ちした私を遠回しに(多分)励ましてくださった。

私は、機械の取説を隅々読み込み覚え、医師にも意見出来る様になった。
<き>先生ブーケ1とも、ちょっぴり打ち解ける事が出来た。

<き>先生ブーケ1は、中でもデキル医師だったと思う。
いつの間にか、憧れてキラキラいた。

「目の前の自分の役割を全うするだけ。(だから迷いは無い。)」
「理解出来ない人に、その事で怒っても仕方ない。」
「10人いる内、1人でも理解して貰えればいい。」

当時の私には、大きな影響キラキラだった。
しばらくずっと、これらの言葉に支えられた。

でも、この後すぐ、私は砕け散る。
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「ナースを辞める」と決めていた。

でも、夢のデパ地下店員も、一般事務員もお給料¥が安く、独り暮らしの維持は難しかったショック!
結局、ナースしかなかった。

当時はまだ数少ない、巡回入浴サービスの会社に、現場ナースとして就職した。

研修は広範囲な内容で、なかなか充実したもので、ご利用者役も追体験出来た。

これも時代なのか、地域にもよると思うが、ご利用者様の殆どがベッドではなく、お布団に寝ていた。

5~7人/日程度の高齢者,時に4,50代?の方のお宅を、ワゴン車で回る。
プラスチック?の浴槽に、お風呂場からお湯を引く。

ご利用者様の多くは、ご高齢者で、脳梗塞後の半身麻痺の方だった。
床の高さから、自分の胸の高さまで抱き上げる。
だいたい、男性ドライバーさんと2人で移動介助した。

他、介護士,介護士見習いのスタッフが、2人,1人付く。
彼(女)らは、大体お風呂準備,入浴中介助,後片付けをしている。

ナースは、入浴前に、バイタルサインのチェック (体温,脈拍,血圧,呼吸状態の観察) をし、全身状態を把握し、入浴可否の判断をする。
この判断がストレスだった。

なるべく入浴して頂きたいが、心配性の私は、全身清拭への変更率が (どうやら他ナースと比較し) 高かった様だ。

当時は、介護保険制度も無く、訪問看護も充実していなかった。
保健婦さんの介入があったが、在宅医療の連携は確立されていなかったと思う。
ご利用者様によっては、ベッドサイドに連絡ノートがあり、情報交換が出来た。

入浴可否判断に迷った時、主治医に確認するシステムも一般的ではなかったと思う。
時間の余裕も無かった。
入浴に関する指示を、明確にしてくれていた医師もいたが、多くはなかった。

数ヶ月後、私は <腰椎椎間板ヘルニア> と診断された。
激しい腰痛,左足の親指を中心に痺れ。
この業務にドクターストップがかかった。

今 冷静に考えれば、労災の可能性もあった。
当時の私は、自ら退職した。
仕事内容が心身共に辛かった。

この腰痛と足の痺れには、ずっと悩まされる事になる…。
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今まで、幾度か母の事を書いている。

母は、幼少期から大きな様々な苦労があった。
祖母はシングルマザー、伯父達含め兄弟4人、女の子は母のみ。

父と結婚後も、豊かとは言えなかった。
私自身も、子供心にいつもお金の事は気になっていた。
中3の時、塾に行くのを号泣して頼んでも、簡単には行かせてもらえなかった。

父は48才で大腸がんで逝った。
再発後の闘病に、母は父につきっきりだった。
当時私は19才、弟は14。

貧困、家族の面倒をみる為、母は、学校もあまり行けてなかったらしい。
昼夜 肉体労働的な仕事で、私達を支えてくれた。
父のお墓も自分独りで建てた。

(そして、私の白血病、母の難病発症…。エスカレートする弟の異常言動…。)

母は、人付き合いに対して閉鎖的だったと思う。
近所付き合いは無難にしていたと思うが、人目を必要以上に気にしていたと思う。

その、他人の評価・見栄えを気にする口癖とも言える言動は、弟だけではなく、私にも影響していた。

精神疾患には、生育歴が大きく関与する。
(まるっきり無関係だと言った医師と、看護学生時代に熱くなった事があった…。)
少なくとも、クローズアップされる部分だ。

幼い頃から個性的で、多分内向的で、学力もデキル方ではなかった弟は、そんな母の悩みだった。

きっと、お互いが、余計なプレッシャーを背負っていたと思う。

私は、精神科実習での学びもあり、ナースになってから著明になった鬱で、早期にカウンセリング施設の利用や心療内科・精神科受診をした事もあり、<生育歴の影響>からの、自力での脱却と<自立>を目指す事が出来たと思う。
(母は精神科受診には反対していた。)

母を客観的に見る部分も出来た。
母も又、<生育歴>あっての現在だと。

最近の無差別殺人など凶悪事件で、親に責任をなすりつけている人たちがいる。

成人した人間が、親に何を求め続けているのかと思う。

上を見ても下を見ても、前後左右見てもキリが無い。
自分の足でしっかり立とう。
決して特別な事ではない。
単に自分の問題だ。
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14年前・11年前にお世話になった、某大学の心理相談室に電話携帯した。
非常に混んでいるが、近日に受けて頂けるとの事。

移植病院でのカウンセリングは、3回になる。
本来、病院の特色から、弟の問題解決は目的に出来ない。
病を持つ私のケアとしてお願いしている。
私の感情の表出や、整理には、不可欠な場と思っている。

弟は、2か月位前か、「第三者を入れる」事にとりあえず同意した。
だが、具体的な動きが無い事を、母に対し、なじっていたらしい。
「どうせ口だけで何も出来やしない。」と。

精神科を受診させたいが、本人は拒絶していた。
精神科の往診を考えたが、ご老人に対しては行っていても、若者の対象は、調べてもよく分からなかった。
地域でも、家庭訪問はしなくなってしまったとの事。

11年前この大学にお世話になった時、母も1度面接を受けた。
先生は、私に、「お母様は内省的ではないから、カウンセリングは向きませんね。こまめさんは必要以上に内省的で、親子でも正反対ですね。」と言った。

母も、「他人に話したって、自分が悪く言われておしまいで、解決にならない。どうせ面白がって聴いているだけ。」
と私に言い、それで終わってしまった。

ただ、この大学でも、後々に行った数々の公的な相談所でも言われた、
「(弟の)反応が無くても、(母は)挨拶や話しかける事は行って行く。」
と言う事を、母は守っていた。

最近、弟が、精神科受診に対して、
「ババァ(母)も一緒に診てもらうなら、行ってもいい。…でも金が無い。」
と母に言ったらしい。
勿論、健康保険証も無い。

「自分(弟)は、母親のせいでこんな風になった。」
という、10~20代の弟が私に言った、最近は否定を表明していたこの思いは、現在も確かに弟に存在している。

だが、何か、目を細めてようやく見えるようなヒカリキラキラを、私は感じた。
そして、断然私自身が、明るく,力強く,前向きになれる気配を感じている。
弟の問題は、私にとってその位大きいものだと再認識した。
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