しかたない、がんばろう!~急性リンパ性白血病をいきる~かんごしに生きる~

2008年春、急性リンパ性白血病 (ALL) になった。
38才独身、看護師18年目…。
がん看護,緩和ケア病棟の経験もあった。
自分が患者になり、初めて分かったこと、実感したことがある。
日々のことと共に、又、今までを振り返りながら、記していきたい。


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約20年前だから、時代だろうと今なら思う。
以下、あくまでも、私の経験上、私が個人的に感じた事だ。

消化器がんの化学療法。
当時、<治癒>は見込めないステージの患者さんばかり。
治験もあった。
治験しかなかったと言えるケースもあった。

患者さん,ご家族⇔主治医の面談には、必ず看護婦が同席していた。

その説明内容に、私はやるせなさを感じる事があった。

医師にもよるが、いかにも効果があります的な発言は、実際を看ていて、心が消耗した。

私が在籍した2年間でも、説明内容は、より具体的に,よりシビアに,現実的なより良い変化を感じてはいたが…。

アットランダムに治療方法をあてはめる治験方法の説明で、言葉不足を感じる場面に会うと、患者さんの人生の締めくくりの決定権が医療者にあるのか? と辛く怖く感じた。

治験の症例数は、早いうちに多い方が良いだろう。
それがあるからこそ、より早くより効果的な薬剤の開発に繋がっている。

現在では、私が受けた説明と同じように、データ化されたものが明示され、時に恐怖を感じる程の現実を提示されるのが基本になっていると思われる。
説明文書もかなり充実している。
<時代>だなと思う。

当時のあの辛さ、当時私は耐えられなかった。
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「こまめさんはそれでいいんだろうけど、その時には私達はいないんだよ!」

最後の勤務後、患者さん方に挨拶して回った。
親しかった患者さんの1人 <い>さんブーケ1 がそうおっしゃった。
他の方々にも、
「いい人は皆辞めちゃうのね…。」
などと言われた。

以前のブログに記した患者さん ナリ子さんブーケ1(私に <こまめ> と愛称クローバーをくださった方。)の言葉、
「こまめは私と別れるのに、悲しくないのかい?」
もズシリと心に来た。

「こまめさんだけだった。ここまで気づいてやってくれたのは…。病院での母ちゃん(奥様)だったよ。」
日常生活動作がほぼ全介助だった<こ>さんから頂いたお言葉。

退職は、師匠の<ゆ>さんブーケ1,今もお心遣い頂いている<ふ>さんブーケ1方と一緒だった。
患者さんは、<ゆ>さんブーケ1がいなくても、弟子の私がいるとあてになさっていたらしい。

私の退職は、最後のその時まで、患者さん方には内緒にしていた。
辞める理由を聞かれ、「勉強し直して、又戻って来たいと思います。」と答えた。
本当は、「看護婦は2度と再びやらない。」と思っていた。

退職に関しては、<ま>教官ブーケ1を含め、様々な方から引き留めはあった。
でも、当時は、とにかくいっぱいいっぱいで、はじけそうなこの心身と、「自分なんて看護婦はダメだ。」という思いが溢れて出ていた。

今思えば、配置転換や休職の手だても考慮して貰えば良かった?と思うのだが、私の苦痛は周囲にも伝わっていて、無理強いは出来ない雰囲気を出していたかもしれない。
出来がいい訳でも無かったから、強い引留めが無かったのかもしれない。

私は、患者さんの言葉を頂いて、初めて、<自分は必要とされている>と実感した。
<患者さんから頂いている力>をいつしか忘れ、自分しか見えなくなっていた事に気づいた。
その時、退職を後悔した。

患者さんの<い>さんブーケ1と<ふ>さんブーケ1からその日頂いた、
<マンゴーの石鹸>
「こんな物しかあげられないよ…急なんだもん。」

今もそのままとってあります。
私の入院時には、お守りクローバーとして持参していました。

でも、度重なる事になる<やり直し>は、まるでバチが当たった様なものになった。
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…ナースも人間なんだから…。
年を重ね、その部分(以下)を許しながら、心ある看護を提供すれば良いと考えている。

新人、のろまながらも仕事に慣れてくる。
看取りを経験する度、自然に看取り方に慣れてしまう。

そして、例えば、深夜勤前、日中看て、そろそろかと感じる。
自分の勤務中には亡くなって欲しくないと思う。
準夜で逝っていて欲しいと思う。
当時、そんな自分が許せなかった。
思い浮かべてしまう事は直せなかった。
そんな事が果てしなく嫌だった。


話を変える。
看護婦2年目の5月6日、私はミスした。
他のドクター含め、皆はミスではないと言った。
主治医の責任だと。

介助がスムーズに出来なかった事は事実。
主治医は私を責めた。

それから半年程 経ったある日、その時の事を持ち出し、一生忘れられない言葉を言われた。

退職する際、その主治医は私に謝罪した。
でも忘れられない。

その知識と技術は、あの時から病気になる前まで、定期的に勉強会に行っている。

そう言えば、当時の病棟医長に、食事に誘って頂いた事があった。
私の退職を思い止まらせるために。
だけど私は退職した。

他のあるドクターは、
「理想は、思い続けるだけで意味があるんだよ。」
などと、辞める私に言って頂いた。
それから10年以上の間だろうか、その消極的姿勢に腹立たしさを感じ続けていたが、意味が理解出来る時を得、今では大切な言葉だ。

お三方共に、まだこの病院に勤務していらっしゃるらしい。
入院中偶然にでも会えたらいいなぁ、と思っていたが、外来通院の今もその巡り合わせはない。
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新人看護婦の時の日記がとってある。
患者さんとの事が書いてある。
たまに読み返していた。

先日、かなり久し振りに読んだら、すっかり忘れている患者さんのお名前があった。
顔も浮かばない。
ごめんなさい。

現在は、大規模病院の<役割>があって、当時より看取りは激減しているらしい。

当時は、最期まで一緒が殆どだった。
患者さんは、担当制(プライマリーナーシング)ではなかったが、2チームに完全に分かれていた。
経過が長くなれば、関係も密になる。

大事な方々,大事な思い出,大事な想いが素通り出来なくて、蓄積していった。
胸も頭もいっぱいいっぱいになった。

当時の私は、何をどうしたらいいのか分からなかった。

それに、日々、忙しかった。
のろまな私は、日勤が深夜までかかることがあった。
準夜は明け方まで,深夜はお昼まで、も少なくなかった。

現在のように、病棟クラークさんはいないし、MSWも充実していない、薬剤の準備,説明,管理もおおよそ看護婦の仕事だ。
必要に応じ、リハビリプログラムも作った。
機械化も進んでいないし、雑多な事も少なくなかった。
外泊にIVH(CV),高カロリー輸液を持参するとなれば、その指導はご家族の都合に極力合わせていたし、時間外は当然だった。

日勤が終わっていても、準夜さんが忙しいと、ナースコールを受けていた。
そうせざるをえなかった。

患者さんからの評価は、徐々に得られるようになった。
担当ではなくても、頼まれれば、なるべくすぐに応じるようにした。

「頼み易い人,頼んだら忘れずに十分対応してくれる人 に仕事は集まるようになっている。」
<ま>教官ブーケ1の言葉。(自分が患者になり、逆の立場で改めて実感した。)

自分×10で1人前。
皆はこなせているのに、自分は…。
ある先輩の<お気に入り>グループに入れなかったのも劣等感が増した。

些細な事が、大きなものになっていったのかもしれない。
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<看護師養成教育> についても、思う事が結構あるが、折りに触れていく。
又、別項も設けたいと思う。

入職した病棟で、新人ナースは5名いた。
当時ではまだ珍しい(?)、マンツーマンの指導責任者がついた。
(現在は<プリセプター>と言う。これが基本の様だ。)

「何も出来ない人として見ていますから、これから成長していって下さい。」
私は、プレッシャーが半減した。
(この言葉の意味は、今と当時では明らかに違うものだろう。
何故なら、受けた教育が違うから。
<何も出来ない>レベルに差がある。
私はそう思う。)

指導者 (そこでは<師匠>と呼んだ。)は当たりビックリマークだったニコニコ

私の師匠 <ゆ>さんブーケ1は、患者さんから最も信頼されている看護婦さんの1人だった。

温かさブーケ1、優しさブーケ1が、まだそばについているだけの私にも伝わってきた。
私の目標キラキラになった。

またもや最も出来の悪い のろまな私の指導は、大変だっただろう。

単純に意地悪な先輩もいて、幾度となく泣きをみた。

自分の出来が悪くて泣いたりもした。

今の闘病をも支えてくださっている <そ>先輩ブーケ1, <ふ>先輩ブーケ1など、プライベートでもお付き合い頂き、優しくクローバーして頂いた方々も少なくなかった。

<の>先輩ブーケ1は、同期<は>ちゃんの師匠で、当時の関係は密ではなかった。
でも、数年前に再会後、今の闘病をとても支えてくださっているクローバー
有り難いことと心に留めていますクローバー

今思い返せば、比較論にはなるが、
些細な業務改善は早かったし、新人の意見の取り入れも良かったと思う。
当時は、同期皆で、宅配ピザやケンタッキー片手に、オンボロ寮の一室で、よく文句を言っていたが。

患者さん,ご家族の対応も、全体的に厚かった。
そうできない異動してきた婦長さんに、大先輩が、冷静かつ思いを込めて改善を求めた事が強く残っている。

医師⇔看護婦の連携も、悪くはなかったと思う。

当時は気付かなかった。
もっと…という思いばかりだった。

初めての病棟がここで良かったクローバーと、時が経つにつれ、思いは強くなった。
それは、先輩方も同じの様だ。

どうして辞めたの。
たった2年で。
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