通信19-42 夜中の台風 | 青藍山研鑽通信

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作曲家太田哲也の創作ノート

 


変な夢を見ていた。昔からの友人、松本じいさんと他愛もない事を話していた。松本じいさん?本名は確かもっと立派なやつがあったんだが忘れてしまった。若い時から老けている者に有りがちなあだ名さ。いや、今は名実ともに本物のじいさんになりつつある。

 


誰かの結婚式に来ていたじいさんは、楽器をぶら下げ、小脇には大きなスコアを挟んでいた。何?そのスコア?じいさん、結婚する友人のためにわざわざ小さなオーケストラ曲を作曲してきたのだという。へえ、オーケストラは?後から新幹線でやって来るそうだ。

 


なぜこんな変な夢を見たかというと、多分、時折SNSで知る情報の中にじいさんが最近「アロハ」とかいう変な名前の楽団で活動しているというものがあったからだろう。どんな楽団何だろうか?素朴な疑問を胸に抱きながら、じいさんが作曲したをいうスコアを眺める。ものすごく音符がでかい。ねえ、こんな大きな音符、どうやって書くの?などと尋ねようとしたその時、大きな音と共にいきなり夢が吹き飛ばされたしまった。

 


何やら大きく家が揺れたんだ。地震?いや、違う。雷?火事?親父?いやいや、どれも違う。台風だ。そいつが外で何事か怒り狂っているんだ。おお、真っ暗な中、ベッドから跳ね起きる。夜中の台風はあまり記憶が無い。夜明けは遠い。外は真っ暗だ。慌てて着替え、外に飛び出す。雨はさほど強くはないが風はなかなかのものさ。

 


よしってんで傘を持たずに歩き出した。おお、風に足をすくわれそうになる。体中に力を抜き、風に身をまかせると体がくるくると回りそうになる。街路樹が大きくしなり、よし、この私も街路樹のようにしなってやろうじゃないかと風に向かうように手を拡げて立つと、たちまち三歩も四歩も後退った。

 


うん、夜中の台風ってのはいいもんだね。昼間、こんな事をしていたら近所の人々にどんな変人かと思われるのがおちさ。意気揚々と誰もいない町内を一周して戻って来ると、体ががちがちに冷えていた。最近耳にした低体温症、ああ、そいつに陥りそうじゃあないか。そのまま熱い風呂に浸かり二度寝する。

 


獲らぬ狸の皮算用。うん、私はこれまで驚くほど獲れもしなかった狸の皮を数えて生きてきたんだ。先日書いた作曲家とのセッションも大いに雲行きが怪しくなってきた。まあ、冷静に考えればそうだね。私とセッションしたところで何か得になる事がある訳じゃあないんだ。最初は快諾という感じのお返事をいただいた作曲家の先生、会うたびに、譜面を渡すたびに、虚ろな返事、うん、生返事ってやつに変わってゆく。ぐにゃぐにゃに書きこまれた譜面を渡された人間の心理はもちろん私ににもよくわかるからさ。

 


ああ、最近大いに焦っているんだ。最後に一つでも自分がこれまで書いた作品を音にしておきたいと。もう終わりはすぐそこに見えている。体力がわずかにでも残っているうちに音源を作っておきたいなどと思っているんだ。でもそうできたからといって何がどうなるというものでもない事もよくわかっている。私は自身の本能とかいうやつに引き摺られ、うん、犬が骨をしゃぶるみたいにさ、音をしゃぶりたいと思っているだけなんだ。

 


私自身は大いなる楽天家だ。言い換えるなら馬鹿って事さ。小学校の教科書に載っているように、真面目に頑張ればいつか結果に結び付くと信じて疑わないところがあったんだ。ガキの頃?いやいや、お恥ずかしい、ごく最近までそう思っていた。上手くいかないのは努力が足りないせいだと。

 


少し前に、詩人正津勉氏の著書、「はみ出し者たちへの鎮魂歌」という本を読み、目から鱗が落ちた。ぽろりぽろりと。いやはや、私の目ってやつはそもそも鱗でできたいたんじゃあないのかいと思うぐらいだった。そこには誠実に生きた人々の報われない悲惨な死がずらりと、鮨屋の壁に掛けられた木札のお品書きのようにずらりと並んでいた。誰かが誰かの死を悼んで書いた「悼詩」、そしてその詩から死んだ者の生涯に切り込んでゆくという本だ。正津氏の、まるで講談師さながらのはったりめいた口上で語られる人々の死に、震え、涙しながら、一気に読み通した。ああ、ならば私も、これから精一杯努力しますので、どうかそのお品書きの隅にでも加えていただけないでしょうかと、そう思う。

 


                                    2018. 10. 6.