通信19-41 馬出に町家を訪ねる | 青藍山研鑽通信

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作曲家太田哲也の創作ノート

 


昨日は馬出という古い街にある箱嶋家住宅にお邪魔した。いわゆる「町家」と呼ばれる古い住宅で国の有形文化財にも指定されているらしい。なかなか立派な佇まいで、土間には荒神様が、客間には筥崎宮の神様が祀ってあり、私のような不浄の者はいつバチが当たらないかと冷や冷やしながら家の中を眺めて歩いた。

 


いや、別に物見遊山に出掛けた訳じゃあない。再来週の日曜、ここで楽しいライブが催されるってんで、そのリハーサルに出掛けたんだ。舞踏家の岩下徹さんとのデュオだ。この手の仕事は多分うん十年ぶりだ。昔取った杵柄?いやいや、そんなもの取らないよ。ともあれよたよたとよろめきながらも、岩下さんの滑らかでかつ力強い動きに何とか従いて行こうと体中の毛穴からガマの膏よろしく汗をたあらたらたらと滴らせながらサキソフォーンを吹きまくる。

 


岩下さんの動きに合わせようと感覚を目一杯に開くんだが、うん、実は岩下さんに合わせようとしているんじゃあない、岩下さんが、多分無意識かもしれないが、合わせようとしているその何かに私も合わせようとしているんだ。即興パフォーマンスの面白さはそこさ。全てが自由であるように見えて、実は力学だとか、心理だとか、そういう事物が持つ法則に支配されている。その法則に従うにせよ、抗うにせよ、ともかくそれを共有する、それがセッションってなもんじゃあないのかね。その中に個人の癖が混ざり込む、その癖を何とか短いリハーサル中に掴もうと汗を流した訳さ。

 


うん、とても楽しいライブになると思うね。どうか皆さまのお越しを心からお待ち申し上げています。御当主である箱嶋さん御自慢の立派なベンガラ塗りの階段、その階段に貼られた(多分小さな子供が貼ったのだろう)シールの何とも言えないキャラクターまでもが一丸となって皆様をお出迎えいたします。

 


約束の時間よりも少し早めに着いた私は、御当主の箱嶋さんからその辺りの古い街についていろいろとお話を伺った。その手の話を耳にするとたちまち妄想の世界に入り込むのが私の癖だ。箱嶋家を辞し、皆さんと別れ一人になるとすぐさま昭和五十年頃の箱崎の街にぽとりと降り立った。

 


長さ数百メートル、幅はというと車二台がすれ違えないような細い道。それがペッタくんシールでお馴染みの箱崎商店街と並行して存在する網屋町商店街だ。いや、今はもう商店街とは言えない。店などなくなってしまった。韓国人の一家がやっている居酒屋と、その向かいに、果たして営業しているのだろうかと首を傾げるようなスナックが数軒、店といえばそれだけだ。

 


かつてはその小さな商店街に映画館が三つ、東映系、松竹系、日活系、それからパチンコ屋が二軒、総菜屋、写真屋、食堂、本屋、時計屋、果物屋、煙草屋、「お向かいさんさん、お隣さんさん」というCMソングでお馴染みだったサンチェーンというコンビニ、それらがぎゅうぎゅうと音を立てて犇めいていた。その商店街から一歩裏道に入ると学生向けの下宿やアパートが立ち並び、まさに賑やかさを絵に書いたような風情だった。まだ電話を引いているような学生はほとんどおらず、皆部屋の前に伝言板代わりに大学ノートをぶら下げていた。友人宅を訪ねるも不在の時、そのノートに「留守なので映画館にいる」などとメモを残しておくと、後でその友人が映画館に顔を出すというような塩梅だった。

 


ちなみに当時の学生たちの多くは下駄を履いていた。友人の蓮田君は鉄階段を下駄の音を響かせながら駆け下り、階下に住むやくざに怒られた。それ以来彼は、裸足で階段を降り、そこから下駄の音を高らかに鳴らしながら往来を闊歩するのだった。

 


あっ、そういえば網屋町のバス亭で降りて、すぐ裏の路地に入ると古い木造の、まるで学生寮のような風情の食堂があった。入口で食券を買い、それと引き換えに食材が詰まった鍋を受け取る。二階に上ると長い廊下にずらりとガスコンロが並んでいて、めいめいそのコンロで鍋を煮て食すというそんなシステムの食堂があった。うん、あったと思う。あったんじゃあないかなあ。実は誰に聞いてもその食堂の事を憶えていないというんだ。もしかした私の夢の中にだけ存在する幻の食堂なのだろうか。ああ、どなたか御存知の方がいらっしゃれば是非お話を伺いたい。

 


網屋町から海の方にある路地に入ると、かつては学生向けの下宿がいくらでも並んでいたんだが、その中に丸窓が残っている下宿屋があった。へえっと思い中に入ってみると、どうやら夢の浮橋の残骸みたいたものがあるじゃあないか。大らかというか何というか、多分昔の遊郭を改造したのだろう、随分と色っぽい下宿屋で住んでいる学生諸子は悶々とした妄想の日々を過ごしていたんじゃあないだろうか。その下宿屋ももちろん今はない。立派なマンションの下に埋もれてしまった。

 


                                      2018. 10. 4.