再掲 【第三話】
私が本当に信じた唯一の臨死体験実話
~意識がもどる
http://ameblo.jp/64152966/entry-11826318880.html
【第二話】の続きです。
☆ 意識がもどる
遠くで誰かが呼んでいる。
「 高木さん 高木さん 聞こえますか。
わかりますか。 高木さん 高木さん 」
目の前で 光 が動く。
「高木さん 高木さん これ 見えますか。
光 が見えますか 」
゛光・・光・・光はたくさん見た。゛
-全身激痛-
どうしたんだろう?
身体が動かない。 頭も動かない。
目だけで周りを見回す。
病室に一人寝かされている自分。
全身固定。 酸素マスク。口 鼻にパイプ。
点滴の管。心電図のオシロスコ-プ。
この景色は覚えがある。
遠い過去に見たことがある。
遠い過去の記憶が蘇ってくる。
目の前にクルマ。
自分の身体が宙に舞い、国道に叩きつけられる。
そうだ僕は交通事故に遭ったんだ。
思い出した。
全身骨折で重体。
骨盤が、首が、足が、そしてこの手が・・・
首が動かないため横目で手を見る。
大きなギブスが肩から手首までを覆っている。
身悶えするような手首の激痛に呻き声をあげる。
「ピ ア ノ、弾 け ま す か ・・・」
これが私の第一声だった。
「えっ、ピアノ?・・・
手は粉砕骨折ですから、ピアノは無理でしょう」
゛やっぱり ・・・。あの時見た通りだ。
最も恐れていたことだった。
「指揮台に、あがれますか?・・・」
これが私の第二声だった。
「えっ、指揮台? 骨盤骨折と動脈切断ですから無理でしょう」
゛やっぱり、あの時見た通りだ。恐れていたことだった。゛
-事故の概要-
事故の様子を聞かされた。
私はオ-トバイで国道を直進中、対向車線から
突っ込んできたクルマにはねられたのだ。
運転していたのは十九歳の少年で、Uタ-ン禁止の
交差点にUタ-ンしようと突っ込んできたのだ。
前方不注意で、私をはねたのだった。
正面衝突 意識不明の重体。 骨折多数。
頚骨損傷。骨盤骨折。右股間脱臼。右膝関節骨折。
左手首粉砕。左肩関節剥離骨折など骨折多数、擦過傷多数。
運びこまれた救急病院では手の打ちようがなく、
大学病院に転送されたのだ。
すべて、あの時、私が見たままだった。
-手術の様子を聞かされた-
* 骨盤と右足
骨盤が砕け、右大腿骨が骨盤からはずれて、骨動脈四本すべてが切断。
骨盤はボルトで結合したが、動脈の縫合は出来なかった。
動脈は自然治癒に期待するしかないがその可能性は一本につき50%。
動脈が一本つながる可能性は 50%、
その場合は骨は半年で壊死するという。
壊死すれば足を切断するか、人工骨頭か?
義足で歩ける可能性もあるという。
動脈が二本つながる可能性は 25%、
その場合は骨は一年で壊死。
動脈が三本つながる可能性は 12%、
その場合も骨は二年で壊死。
動脈が四本全てつながる可能性は 6%、
その場合にだけ自分の足で歩ける可能性があるのだ。
実に、6%の可能性。
-足に鉄棒-
骨盤と大腿骨の癒着を防ぐため、足を重りで牽引するのだが、
そのために、すねの骨にドリルで穴をあけて鉄棒を通し、
鉄棒にロ-プを結んで、10キロの重りがベッドの滑車から
ぶら下げられている。
自分の足から鉄棒が突き出ているのを見るのは、
何ともいえない気持ちだ。
何とまあ 凄いことをするものだ。
ベッドが揺れたり、重りが揺れたりするとすねの骨に直接ひびく。
-左手の粉砕骨折-
ピアノを弾くために何よりも大切にしてきた左手は、粉砕骨折で、
手首が180度ねじれて、手の甲が手首に折り返されていたそうだ。
あまりひどくて切開できず、手術はⅩ線を照射しながら釘で骨を
串刺しにしてつなぎ止めるマニュピュレ-タ法。
大きなギブスに包まれた手首には、釘が何本も突き刺さっている。
これらの手術も、あの時、天井から見た通りだった。
-絶対安静 面会謝絶-
ⅠC U {集中治療室}のギブスベッドで全身固定、絶対安静。
酸素マスク 点滴 手術部分から血液を放出するための
ドレインパイプ・・排尿のためのパイプ。
心拍数をモニタ-するオシロスコ-プ・・・
この光景もあの時見た通り。
首が動かないので、目だけでこれらの様子を眺め、次第に、
これが夢でないこと、現実であることを理解した。
栄養は点滴だけで食事はなし。
衝撃でヘルメットが脱落、顔面に負傷。
しかし幸い頭部には外傷はない。
身体や足には多数傷がある。
足や膝には、えぐれて深い傷がある。
- 目の前は真っ暗-
主治医によると、「 いつまた意識不明になるかわからない。
ひどい後遺症になるかもしれない。社会復帰は無理でしょう」
゛なぜ、こんなことに、何も悪いことなんかしていないのに。
どうして、何かの間違いなんだ、これは夢なんだ。
もうじき目が覚める - もう少しの我慢なのだ。゛
しかし激痛と高熱が、いやでも、これが夢でないことを教えてくれる。
検温 食事 薬 回診 手術部の消毒。
食事 薬 検温 昼寝 身体の清拭。
食事 薬 検温 回診。
これが一日のすべて。
拷問のような痛みと無期懲役のような生活。
何の見込みも希望もない。 気が狂いそう。
時間のたつことだけが願い。
眠ることだけが 救い。
眠ることだけが痛みと絶望的な現実を忘れさせてくれる。
-自問・・・1981年当時-
あれは何だったのだろう?
事故現場を見ていた自分。
手術を見ていた自分。
故郷に帰った自分。
宇宙から地球を眺めて感動したこと。
そして 光 の中に。
無数のフラッシュ・・・
十年後 ソビエトが崩壊
35年後 アメリカの崩壊
40年後 世界の崩壊
その他、膨大な未来の記憶、すべて有り得ないことばかり。
おかしなことを言って、これ以上家族を心配させてはならない。
あれは悪夢なんだ。忘れるんだ。
* 一ヶ月が過ぎた-
痛みが和らぎ、生活にも慣れてきた。
面会が許され、たくさんの人が見舞いに来てくれるようになった。
昼間は人と話すことによって気が紛れる。
「生きてて良かったですね」
「良くなってください」
「また指揮してください、またピアノ弾いてくださいね」
「また職場に復帰してください」
「頑張ってくださいね」
ありがとう、みんな ありがとう。
昼間はたくさんの優しさに出会える。
元気が出て、気が紛れて希望も出て来る。
もしかすると、本当に治るかもしれない。
もしかすると、また指揮が出来るようになるかもしれない。
しかし、夜は現実と向き合う。
いつ意識不明になるか、いつ後遺症が出るかわからない。
明日はどうだろう。 一ヶ月もちこたえられるだろうか。
これではまるで死刑囚だ、神経がまいってしまう。
いっそ早く死んでしまいたい。
家族は、「お父さん、生きてて良かった」と言ってくれる。
でも、本当にそうだろうか。
一生寝たきりだと、家族に大きな負担をかける。
死んだなら、一年、二年は悲しむだろうが、やがて忘れるだろう。
妻は再婚できるし、子供には新しいお父さんができる。
「前のお父さんは音楽が得意だつたけれど、
今度のお父さんはスポ-ツが得意」
夫とお父さんは、新しいほどいいんだ。
自分なんていない方がいいんだ。
-自問-
それにしても、あの記憶は何なんだろう。
頭がおかしくなったんだろうか。
何度も確かめた。記憶はしっかりしている。
何の異常も認められない。
では、あれは何だったのだろう。
忘れなければという思いと確かめなければという思いに揺れる。
自分が自分から抜け出して、自分を眺め故郷をさまよい、
そして、死後の世界へ行って生還したなんて有り得ないことだ。
しかし、何かが変わったような気がしてならない。
自分の中にもう一人、誰かがいるような感覚があるのだ。
そして、無数の未来の記憶・・・
これは何を意味するのだろう。
自分はもとの自分なのか、それとも、別人として生き返ったのか。
自分に未来の記憶がインプットされたのか。
それとも、未来から来た別人に自分の記憶がインプットされたのか。
だめだ、こんな事を考えてはいけない。
あれほどの衝撃を受けたのだから、少しくらい異常があって当然なんだ。
考えないようにしよう。
忘れなければいけない。
-Sさん-
お見舞いに来た合唱団の人から、Sさんのことを聞いた。
Sさんは、あの日会社に行く時、交通事故にでくわした。
足元にヘルメットが転がってきた。
振り返るとオ-トバイが倒れて人が倒れていた。
たくさんの人がいたので大丈夫だと思ってそのまま通り過ぎた。
翌日、Sさんは私が事故に遭ったこと、
容体は絶望的だということを聞いた。
よく聞くと、まさにあの事故がそれだということがわかった。
自分がそこにいたのに、そして、私のヘルメットが自分のほうに
転がってきたのに、自分はそれが私だということを気がつかず、
何もしないで通り過ぎたことに大きなショックを受けていたそうだ。
私の容体が安定していると知って、最近になって、そのことを
周りの人に打ち明けたそうだ。
私もこの話を聞いてショックを受けた。
あれは本当だったんだ。
私の見たままだった。
どういうことだろう。
自分が自分の身体から抜け出して、
自分を外から眺めていたことになる。
自分が自分の肉体から離れるなんてどういうこと?・・・
そんな事有り得ないけど、しかし、交通事故のあとのあの体験。
ふるさとへ - 宇宙へ - 光の世界へ行ったあの体験。
あの記憶は、それ以外にどう説明すればいいのだろうか。
『今でこそ、臨死体験とか幽体離脱という言葉や
体験はよく知られるようになったが、当時、そんなことは
一般的ではなかったし、私も知らなかった』
-職場復帰-
会社に復帰したときはみんな親切だった。
「大変でしたね 後遺症はありませんか、無理しないでね」
以前、私はPL{プロジェクトリ-ダ}で自分で研究テ-マをもち
何名かの部下をもっていた。
復帰した時、以前の私のプロジェクトは進んでいたので、
一年のブランクを埋めるため部下に聞いて勉強した。
みんなよくやっていた。
そう、一年前まで、自分もそうだった。
そして、自分の部下で最も優秀だった若手研究員は
実質的には、PLとして立派にやっていた。
-仕事がない-
しかし、自分には仕事がないのだ。
はじめは上司が気づかってくれているのだと思っていた。
何度か、「そろそろ復帰したいのですが」と言うと
「まあ、もう少しゆっくりしてなさい」と言われる。
会議や打ち合わせに出ようとすると、
「出席しないでいい」と言われる。
「何をすればいいですか」と聞くと、
「まあ次の仕事でも考えてくれ」と言われる。
そこで、図書室で論文を読んだり、特許を調べたり、
専門書を読んだりして次の研究テ-マの調査を始めた。
次期研究テ-マについて計画書も出した。
しかし、手応えがない。
計画書は、何日も机の上に置かれたままであったり、
いつか、ゴミ箱に捨てられているのを見て、
やっと自分の置かれた立場が分かったのだ。
私は、「窓際」になってしまったのだ。
-窓ぎわ-
「窓ぎわ」は、「いじめ」よりひどい。「無視」なのだ。
無視というのは仕事がないのだ。
自分はいないのと同じなのだ。 透明なのだ。
これは、凄いことなのだが、体験しないと分からないだろう。
毎日が地獄なのだ。
何もすることがないのだ。
自分はいないのと同じなのだ。
日ごろ忙しい人は、「何もすることがないなんてなんて羨ましい」
と言うかもしれないが、無期限に何もすることがないというのは、
想像以上の地獄なのだ。
初めは、みんな「大変でしたね、いかがですか」
「後遺症はありませんか」と声をかけてくれる。
その度に、「いえ、おかげさまで何ともありません」
と答えると、不思議なことにあまり喜んでくれない。
むしろ、「そんなことはないでしょう。 多少はあるでしょう。
雨の日などは痛みませんか」という反応が返ってくる。
-時間よ 止まるな-
毎日、どうやって時間をつぶすかが問題なのだ。
時間をつぶすものがないというのは、何とも言えないほど苦しい。
朝、まず職場の回覧板などの書類に目を通す。
新聞にも目を通す。 出来るだけゆっくり。
そして時計を見る。 「せめて30分」
しかし、15分しかたっていない。
次にコ-ヒ-を飲みながら仲間と雑談する。
出来るだけゆっくり。
その間も自分のいる場所がないこと。
自分の存在が仲間にとって迷惑というか、
気を遣うことなのだということがひしひし感じられる。
そのうち仲間は、「お、もうこんな時間か、会議が始まる」
「そろそろ仕事を始めなきゃ」と立ち去り、一人取り残される。
たまらない気分。
次に図書室に行く。何度も目を通した専門書、新刊図書にまた目を通す。
出来るだけゆっくり。そして、時計を見る。
「せめて、一時間」、しかし、30分しかたっていない。
次に、休憩コ-ナ-でコ-ヒ-を飲む。
知人がいると、近況や世間話、仕事の話をする。
そのうち、「あ、会議に遅れる」 「おっと、忘れてた」と
あわてて立ち去り一人取り残される。
たまらない気分。 「せめて30分」 しかし、15分。
一日に100回以上も時計を見る生活。
地獄のような毎日。
夕方になると疲れ果てて家に帰る。
-家でも-
職場復帰して、2・3ヶ月たっても毎日夕方に帰宅する。
私に、妻が「いつも早いですね」と言う。
「職場が順調だから」と言葉を濁す。
またある時、妻に、
「元気がないみたい。復帰って難しいんですって。大丈夫?」
と聞かれた。
「大丈夫に決まってるじゃないか」と機嫌を悪くする。
心配させたくないという気持ちと、認めてしまうと
二度とこの地獄から逃れられないと思うからだ。
゛もっと帰宅を遅くしなければ゛と図書室で寝てから帰ったり、
ほかほか弁当を買って、公園で時間をつぶしたりして、
遅く帰る努力をした。
会社や公園で居眠りをすると夜眠れない。
眠れないと、余計にいろんなことを考えてしまう。
毎日が苦しくて・・・
「いっそ、死んでしまおう」と何度考えたことだろう。
「このままでは、自分が駄目になる」
-苦悩-
ベッドの上で気づいたことは、何だったのだろう。
みんなに役立つ - みんなに喜んでもらう。・・
とはどういうことなのだろう。
たしかに、自分が変われば家庭が変わった。
指揮者が変われば合唱団が変わった。
オ-ケストラが変わった。
しかし、「窓ぎわ」の自分は、一体どうすればいいのだろう。
幾ら、自分が変わろうとしても、いないも同然の自分に何が
できるだろう。これに耐えなくてはならないのだろうか。
このまま、「窓ぎわ」としてみんなに役立てばいいのだろうか。
それとも、会社を辞めて新しい人生を歩む方がいいのだろうか。
しかし、家族はどうなるだろう。
生活はどうすればいいのだろう。
一年の入院で、貯金はほとんど無くなってしまった。
何よりも、「窓ぎわ」のままでは、生ゴミのままでは、
地球環境であれ、何であれ、社会に影響を与えることが出来ない。
それが一番困る。
ああ、一体どうなるのだろう。
最大のピンチ。
ここをクリア出来ないかぎり、自分に未来はない。
【第四話】窓際からの生還 へと続く。
私が本当に信じた唯一の臨死体験実話
~意識がもどる
http://ameblo.jp/64152966/entry-11826318880.html
【第二話】の続きです。
☆ 意識がもどる
遠くで誰かが呼んでいる。
「 高木さん 高木さん 聞こえますか。
わかりますか。 高木さん 高木さん 」
目の前で 光 が動く。
「高木さん 高木さん これ 見えますか。
光 が見えますか 」
゛光・・光・・光はたくさん見た。゛
-全身激痛-
どうしたんだろう?
身体が動かない。 頭も動かない。
目だけで周りを見回す。
病室に一人寝かされている自分。
全身固定。 酸素マスク。口 鼻にパイプ。
点滴の管。心電図のオシロスコ-プ。
この景色は覚えがある。
遠い過去に見たことがある。
遠い過去の記憶が蘇ってくる。
目の前にクルマ。
自分の身体が宙に舞い、国道に叩きつけられる。
そうだ僕は交通事故に遭ったんだ。
思い出した。
全身骨折で重体。
骨盤が、首が、足が、そしてこの手が・・・
首が動かないため横目で手を見る。
大きなギブスが肩から手首までを覆っている。
身悶えするような手首の激痛に呻き声をあげる。
「ピ ア ノ、弾 け ま す か ・・・」
これが私の第一声だった。
「えっ、ピアノ?・・・
手は粉砕骨折ですから、ピアノは無理でしょう」
゛やっぱり ・・・。あの時見た通りだ。
最も恐れていたことだった。
「指揮台に、あがれますか?・・・」
これが私の第二声だった。
「えっ、指揮台? 骨盤骨折と動脈切断ですから無理でしょう」
゛やっぱり、あの時見た通りだ。恐れていたことだった。゛
-事故の概要-
事故の様子を聞かされた。
私はオ-トバイで国道を直進中、対向車線から
突っ込んできたクルマにはねられたのだ。
運転していたのは十九歳の少年で、Uタ-ン禁止の
交差点にUタ-ンしようと突っ込んできたのだ。
前方不注意で、私をはねたのだった。
正面衝突 意識不明の重体。 骨折多数。
頚骨損傷。骨盤骨折。右股間脱臼。右膝関節骨折。
左手首粉砕。左肩関節剥離骨折など骨折多数、擦過傷多数。
運びこまれた救急病院では手の打ちようがなく、
大学病院に転送されたのだ。
すべて、あの時、私が見たままだった。
-手術の様子を聞かされた-
* 骨盤と右足
骨盤が砕け、右大腿骨が骨盤からはずれて、骨動脈四本すべてが切断。
骨盤はボルトで結合したが、動脈の縫合は出来なかった。
動脈は自然治癒に期待するしかないがその可能性は一本につき50%。
動脈が一本つながる可能性は 50%、
その場合は骨は半年で壊死するという。
壊死すれば足を切断するか、人工骨頭か?
義足で歩ける可能性もあるという。
動脈が二本つながる可能性は 25%、
その場合は骨は一年で壊死。
動脈が三本つながる可能性は 12%、
その場合も骨は二年で壊死。
動脈が四本全てつながる可能性は 6%、
その場合にだけ自分の足で歩ける可能性があるのだ。
実に、6%の可能性。
-足に鉄棒-
骨盤と大腿骨の癒着を防ぐため、足を重りで牽引するのだが、
そのために、すねの骨にドリルで穴をあけて鉄棒を通し、
鉄棒にロ-プを結んで、10キロの重りがベッドの滑車から
ぶら下げられている。
自分の足から鉄棒が突き出ているのを見るのは、
何ともいえない気持ちだ。
何とまあ 凄いことをするものだ。
ベッドが揺れたり、重りが揺れたりするとすねの骨に直接ひびく。
-左手の粉砕骨折-
ピアノを弾くために何よりも大切にしてきた左手は、粉砕骨折で、
手首が180度ねじれて、手の甲が手首に折り返されていたそうだ。
あまりひどくて切開できず、手術はⅩ線を照射しながら釘で骨を
串刺しにしてつなぎ止めるマニュピュレ-タ法。
大きなギブスに包まれた手首には、釘が何本も突き刺さっている。
これらの手術も、あの時、天井から見た通りだった。
-絶対安静 面会謝絶-
ⅠC U {集中治療室}のギブスベッドで全身固定、絶対安静。
酸素マスク 点滴 手術部分から血液を放出するための
ドレインパイプ・・排尿のためのパイプ。
心拍数をモニタ-するオシロスコ-プ・・・
この光景もあの時見た通り。
首が動かないので、目だけでこれらの様子を眺め、次第に、
これが夢でないこと、現実であることを理解した。
栄養は点滴だけで食事はなし。
衝撃でヘルメットが脱落、顔面に負傷。
しかし幸い頭部には外傷はない。
身体や足には多数傷がある。
足や膝には、えぐれて深い傷がある。
- 目の前は真っ暗-
主治医によると、「 いつまた意識不明になるかわからない。
ひどい後遺症になるかもしれない。社会復帰は無理でしょう」
゛なぜ、こんなことに、何も悪いことなんかしていないのに。
どうして、何かの間違いなんだ、これは夢なんだ。
もうじき目が覚める - もう少しの我慢なのだ。゛
しかし激痛と高熱が、いやでも、これが夢でないことを教えてくれる。
検温 食事 薬 回診 手術部の消毒。
食事 薬 検温 昼寝 身体の清拭。
食事 薬 検温 回診。
これが一日のすべて。
拷問のような痛みと無期懲役のような生活。
何の見込みも希望もない。 気が狂いそう。
時間のたつことだけが願い。
眠ることだけが 救い。
眠ることだけが痛みと絶望的な現実を忘れさせてくれる。
-自問・・・1981年当時-
あれは何だったのだろう?
事故現場を見ていた自分。
手術を見ていた自分。
故郷に帰った自分。
宇宙から地球を眺めて感動したこと。
そして 光 の中に。
無数のフラッシュ・・・
十年後 ソビエトが崩壊
35年後 アメリカの崩壊
40年後 世界の崩壊
その他、膨大な未来の記憶、すべて有り得ないことばかり。
おかしなことを言って、これ以上家族を心配させてはならない。
あれは悪夢なんだ。忘れるんだ。
* 一ヶ月が過ぎた-
痛みが和らぎ、生活にも慣れてきた。
面会が許され、たくさんの人が見舞いに来てくれるようになった。
昼間は人と話すことによって気が紛れる。
「生きてて良かったですね」
「良くなってください」
「また指揮してください、またピアノ弾いてくださいね」
「また職場に復帰してください」
「頑張ってくださいね」
ありがとう、みんな ありがとう。
昼間はたくさんの優しさに出会える。
元気が出て、気が紛れて希望も出て来る。
もしかすると、本当に治るかもしれない。
もしかすると、また指揮が出来るようになるかもしれない。
しかし、夜は現実と向き合う。
いつ意識不明になるか、いつ後遺症が出るかわからない。
明日はどうだろう。 一ヶ月もちこたえられるだろうか。
これではまるで死刑囚だ、神経がまいってしまう。
いっそ早く死んでしまいたい。
家族は、「お父さん、生きてて良かった」と言ってくれる。
でも、本当にそうだろうか。
一生寝たきりだと、家族に大きな負担をかける。
死んだなら、一年、二年は悲しむだろうが、やがて忘れるだろう。
妻は再婚できるし、子供には新しいお父さんができる。
「前のお父さんは音楽が得意だつたけれど、
今度のお父さんはスポ-ツが得意」
夫とお父さんは、新しいほどいいんだ。
自分なんていない方がいいんだ。
-自問-
それにしても、あの記憶は何なんだろう。
頭がおかしくなったんだろうか。
何度も確かめた。記憶はしっかりしている。
何の異常も認められない。
では、あれは何だったのだろう。
忘れなければという思いと確かめなければという思いに揺れる。
自分が自分から抜け出して、自分を眺め故郷をさまよい、
そして、死後の世界へ行って生還したなんて有り得ないことだ。
しかし、何かが変わったような気がしてならない。
自分の中にもう一人、誰かがいるような感覚があるのだ。
そして、無数の未来の記憶・・・
これは何を意味するのだろう。
自分はもとの自分なのか、それとも、別人として生き返ったのか。
自分に未来の記憶がインプットされたのか。
それとも、未来から来た別人に自分の記憶がインプットされたのか。
だめだ、こんな事を考えてはいけない。
あれほどの衝撃を受けたのだから、少しくらい異常があって当然なんだ。
考えないようにしよう。
忘れなければいけない。
-Sさん-
お見舞いに来た合唱団の人から、Sさんのことを聞いた。
Sさんは、あの日会社に行く時、交通事故にでくわした。
足元にヘルメットが転がってきた。
振り返るとオ-トバイが倒れて人が倒れていた。
たくさんの人がいたので大丈夫だと思ってそのまま通り過ぎた。
翌日、Sさんは私が事故に遭ったこと、
容体は絶望的だということを聞いた。
よく聞くと、まさにあの事故がそれだということがわかった。
自分がそこにいたのに、そして、私のヘルメットが自分のほうに
転がってきたのに、自分はそれが私だということを気がつかず、
何もしないで通り過ぎたことに大きなショックを受けていたそうだ。
私の容体が安定していると知って、最近になって、そのことを
周りの人に打ち明けたそうだ。
私もこの話を聞いてショックを受けた。
あれは本当だったんだ。
私の見たままだった。
どういうことだろう。
自分が自分の身体から抜け出して、
自分を外から眺めていたことになる。
自分が自分の肉体から離れるなんてどういうこと?・・・
そんな事有り得ないけど、しかし、交通事故のあとのあの体験。
ふるさとへ - 宇宙へ - 光の世界へ行ったあの体験。
あの記憶は、それ以外にどう説明すればいいのだろうか。
『今でこそ、臨死体験とか幽体離脱という言葉や
体験はよく知られるようになったが、当時、そんなことは
一般的ではなかったし、私も知らなかった』
-職場復帰-
会社に復帰したときはみんな親切だった。
「大変でしたね 後遺症はありませんか、無理しないでね」
以前、私はPL{プロジェクトリ-ダ}で自分で研究テ-マをもち
何名かの部下をもっていた。
復帰した時、以前の私のプロジェクトは進んでいたので、
一年のブランクを埋めるため部下に聞いて勉強した。
みんなよくやっていた。
そう、一年前まで、自分もそうだった。
そして、自分の部下で最も優秀だった若手研究員は
実質的には、PLとして立派にやっていた。
-仕事がない-
しかし、自分には仕事がないのだ。
はじめは上司が気づかってくれているのだと思っていた。
何度か、「そろそろ復帰したいのですが」と言うと
「まあ、もう少しゆっくりしてなさい」と言われる。
会議や打ち合わせに出ようとすると、
「出席しないでいい」と言われる。
「何をすればいいですか」と聞くと、
「まあ次の仕事でも考えてくれ」と言われる。
そこで、図書室で論文を読んだり、特許を調べたり、
専門書を読んだりして次の研究テ-マの調査を始めた。
次期研究テ-マについて計画書も出した。
しかし、手応えがない。
計画書は、何日も机の上に置かれたままであったり、
いつか、ゴミ箱に捨てられているのを見て、
やっと自分の置かれた立場が分かったのだ。
私は、「窓際」になってしまったのだ。
-窓ぎわ-
「窓ぎわ」は、「いじめ」よりひどい。「無視」なのだ。
無視というのは仕事がないのだ。
自分はいないのと同じなのだ。 透明なのだ。
これは、凄いことなのだが、体験しないと分からないだろう。
毎日が地獄なのだ。
何もすることがないのだ。
自分はいないのと同じなのだ。
日ごろ忙しい人は、「何もすることがないなんてなんて羨ましい」
と言うかもしれないが、無期限に何もすることがないというのは、
想像以上の地獄なのだ。
初めは、みんな「大変でしたね、いかがですか」
「後遺症はありませんか」と声をかけてくれる。
その度に、「いえ、おかげさまで何ともありません」
と答えると、不思議なことにあまり喜んでくれない。
むしろ、「そんなことはないでしょう。 多少はあるでしょう。
雨の日などは痛みませんか」という反応が返ってくる。
-時間よ 止まるな-
毎日、どうやって時間をつぶすかが問題なのだ。
時間をつぶすものがないというのは、何とも言えないほど苦しい。
朝、まず職場の回覧板などの書類に目を通す。
新聞にも目を通す。 出来るだけゆっくり。
そして時計を見る。 「せめて30分」
しかし、15分しかたっていない。
次にコ-ヒ-を飲みながら仲間と雑談する。
出来るだけゆっくり。
その間も自分のいる場所がないこと。
自分の存在が仲間にとって迷惑というか、
気を遣うことなのだということがひしひし感じられる。
そのうち仲間は、「お、もうこんな時間か、会議が始まる」
「そろそろ仕事を始めなきゃ」と立ち去り、一人取り残される。
たまらない気分。
次に図書室に行く。何度も目を通した専門書、新刊図書にまた目を通す。
出来るだけゆっくり。そして、時計を見る。
「せめて、一時間」、しかし、30分しかたっていない。
次に、休憩コ-ナ-でコ-ヒ-を飲む。
知人がいると、近況や世間話、仕事の話をする。
そのうち、「あ、会議に遅れる」 「おっと、忘れてた」と
あわてて立ち去り一人取り残される。
たまらない気分。 「せめて30分」 しかし、15分。
一日に100回以上も時計を見る生活。
地獄のような毎日。
夕方になると疲れ果てて家に帰る。
-家でも-
職場復帰して、2・3ヶ月たっても毎日夕方に帰宅する。
私に、妻が「いつも早いですね」と言う。
「職場が順調だから」と言葉を濁す。
またある時、妻に、
「元気がないみたい。復帰って難しいんですって。大丈夫?」
と聞かれた。
「大丈夫に決まってるじゃないか」と機嫌を悪くする。
心配させたくないという気持ちと、認めてしまうと
二度とこの地獄から逃れられないと思うからだ。
゛もっと帰宅を遅くしなければ゛と図書室で寝てから帰ったり、
ほかほか弁当を買って、公園で時間をつぶしたりして、
遅く帰る努力をした。
会社や公園で居眠りをすると夜眠れない。
眠れないと、余計にいろんなことを考えてしまう。
毎日が苦しくて・・・
「いっそ、死んでしまおう」と何度考えたことだろう。
「このままでは、自分が駄目になる」
-苦悩-
ベッドの上で気づいたことは、何だったのだろう。
みんなに役立つ - みんなに喜んでもらう。・・
とはどういうことなのだろう。
たしかに、自分が変われば家庭が変わった。
指揮者が変われば合唱団が変わった。
オ-ケストラが変わった。
しかし、「窓ぎわ」の自分は、一体どうすればいいのだろう。
幾ら、自分が変わろうとしても、いないも同然の自分に何が
できるだろう。これに耐えなくてはならないのだろうか。
このまま、「窓ぎわ」としてみんなに役立てばいいのだろうか。
それとも、会社を辞めて新しい人生を歩む方がいいのだろうか。
しかし、家族はどうなるだろう。
生活はどうすればいいのだろう。
一年の入院で、貯金はほとんど無くなってしまった。
何よりも、「窓ぎわ」のままでは、生ゴミのままでは、
地球環境であれ、何であれ、社会に影響を与えることが出来ない。
それが一番困る。
ああ、一体どうなるのだろう。
最大のピンチ。
ここをクリア出来ないかぎり、自分に未来はない。
【第四話】窓際からの生還 へと続く。