勝負師の目に涙が ~ 電王戦第4局より




プロとコンピューターは引き分け 将棋電王戦第4局
http://www.asahi.com/culture/update/0413/TKY201304130208.html

プエラが猛攻を見せ、元タイトル保持者の塚田九段は敗勢に追いつめられた。
だが、双方の玉が敵陣に入り込む「相入玉」模様の展開でソフトが判断を誤り、
塚田九段が粘ってぎりぎり引き分けに持ち込んだ。 

終局後、塚田九段は「プエラは中終盤がすごく強く、形勢はずっと悪かった。
ただ自分から投了しようとは思わなかった」と涙を浮かべた。
プエラを開発した東京都の会社員、伊藤英紀さん(50)は「入玉への対策
はしたが、なおざりだった。勝ちを逃したのは仕方ない」と話した。

-引用終わり-



将棋観戦記 塚田泰明九段
http://blog.shogiwatch.com/?tag=%E5%A1%9A%E7%94%B0%E6%B3%B0%E6%98%8E
これは必見 ↑


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管理人

終局後、
「途中、かなり苦しくて投げようと思われた時もあったのではないですか?」
と質問された時に、塚田泰明九段の目から大粒の涙が溢れたように見えました。
とても辛かったんだと思います。
プロ棋士対コンピュ-タ-の戦いということもありましたが、
それ以上に、大事な団体戦の一員であるという責任感もあったのでしょう。
プロ棋士同士の対局であれば、大分前に投了していたのではないかと思います。

人間には、何がなんでもといった強い想いのようなものがあるようです。
これは、コンピュ-タ-には決して見られないものです。
どんなに敗勢に追い込まれても、這いずり回ってでも決して投げませんでした。
途中、大差に追い込まれた塚田九段に、観戦者から心無いコメントが
浴びせかけられたのを画面で目にしましたが、最後の頃になると、
拍手と感動が巻き起こりました。
実は、この私も信じられないような気持ちで見入っていました。

塚田九段が、思わず涙した時には、こちらも涙しそうに・・・
人の想いというものは、如何にすさまじいものでありましょうか。
これは、コンピュ-タ-には決して見ることは出来ません。
だからこそ、多くの人間の感動を誘うのかもしれません。
不思議と、そのようなことを考えていました。

恐らく、彼がいつか天に召される時に、どんな対局よりも真っ先に、
今回のこの対局のことを思い浮かべるのではないでしょうか。
心静かに笑みを浮かべながら・・・

格好なんかお構いなしに、必死でやり遂げようとする人の姿というものは、
何故、かくも人の心を揺り動かすのでしょう・・・
感じた心を言葉にするのは、大変むつかしいですが、私にとって、
大変大きな教訓になりそうです。
格好ばかり気にしている人間に対しては、決して、人の心を動かすことは
出来ないのだと、感じさせられもしました。
心からの本心をさらけ出し、必死に人に何かを訴えていく・・・
言葉にするのは簡単ですが、これがなかなか人には出来ないようです。

そして、人間として生きることの意味を深く考えさせられました。
同時に、自分がブログをしていることの意味は何なのだろうとも・・・
自分が死ぬ時の時点から、今を見つめることが可能であれば、
その意味もある程度、わかるような気もしますが、
なかなかそのような気持ちにはなれそうにありません。

だけど、そういった視点を持つように心掛けて生きてみようと思いました。
自分にも、いつか必ず、否応なしに死期が訪れます。
その時は、私は、自分の人生の役割が終わったのだと思うことにしています。
だから、不思議と怖れのようなものはありません。
ただ、その時に一体何を想い浮かべるのだろうと、ふと考えました。

多分、ごくありふれた日常の他愛の無いことなんでしょう。
著名なブログやネットジャ-ナリストたちの事などではなく、
家族だった愛犬ラッキ-と過ごした平凡な日々の出来事・・・
毎日、目にする皆さんの「なう」での平凡な会話のやり取りの数々・・・
そんな他愛の無いことが、まぶたに浮かんで来るような気がします。

きっと、平凡な日々の中にこそ「幸せ」があるんでしょうね。
春の訪れと共に、日差しがとても心地よく感じられる日々が続きます。
のんびり日向ぼっこしたくなるような衝動に駆られて仕方ありません。
そんな中に、幾つもの小さな幸せを感じています。
のんびりと、ずっとそんな日々が送れたらいいのに・・・
叶うなら、それ以上、何を望むものがありましょうや。

感謝。。。