プラズマ兵器について  記録保存用



http://nikusiminorensa.at.webry.info/201112/article_3.html


まずは皆さんに見ていただきたい動画を下に埋め込みました。
これはassassinsさんが、以前コメント欄で提示してくださったものです。
これは“プラズマ兵器”が使われていると思われます。






飛鳥昭雄氏は著書『プラズマ兵器開発の全貌』の中で、ごくわかりやすくプラズマに
関して説明しています。それは、2ヵ所以上の電波発生源から、強力な電波(マイクロ・
ウェーブ)を照射し、一点で交差させた所にできる“火の玉”のことであるといいます。

そしてそれは、いかなる遮断物があろうとも平気で透過してしまうとのこと。軍事衛星を
仲介すれば、地球のどこにでも電波をリレーでき、超高温プラズマを撃ち込むことが可能
となるようです。

この桜島の映像の中で可視できる電磁波は軍事衛星から撃ち込まれたのでしょうか?

 なお、同氏はプラズマ状態の時に発生する熱は、時には4千度を超え、理論的には
2万度にも達すると述べています。

 プラズマの兵器化が始まったのは1954年。「レッドライト・プロジェクト」という
名の下に始まりました。このプロジェクト・チームの責任者は、オッペン・ハイマー博士他、
“水爆の父”といわれるエドワード・テラー博士です。



彼はかつてアメリカに亡命したユダヤ人核物理学者です。「マンハッタン・プロジェクト」
に初期の段階から加わりました。第二次世界大戦中、テラー博士は「ロスアラモス国立研究所」
で活動中、原爆よりもすさまじい破壊力を持つ水爆を提唱したのでした。

 1945年、ニューメキシコでの世界初の原爆実験(トリニティ実験)が行われましたが、
その際、「なんだ、こんなちっぽけなものなのか」と述べたとされます(wikiより)。

ちなみに「ロスアラモス国立研究所」は、アメリカのニューメキシコ州ロスアラモスに位置し、
第二次世界大戦中に、「マンハッタン計画」の中心地となるべく創設された機関です。
私たち日本人に負の遺産を提供した(広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」、
長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」)大本でもあります。




1954年には、かの有名でバカな水爆実験(マーシャル諸島)でリーダーとして手腕を
振るいました。下に示すのはその時の実験の動画です。







「いかなる遮断物があろうとも平気で透過してしまう」とプラズマに関して上述しました。
飛鳥昭雄氏の著書『完全ファイル UFO&プラズマ兵器』では、このことを物語るような
実験が記されています。

 <地下には鉛と厚さ10メートルのコンクリート壁で覆われた核シェルターが埋められ、
その中に牛、ブタ、鶏などの家畜が入れられていた。核シェルターの内部の様子は、逐一、
中央コントロールセンターの大型モニターに映し出されていた。(中略)その直後、
核シェルター上空で静止状態だったプラズマが地面に降下しはじめたかと思うと、
そのまま何の抵抗もなく地面の底へと消えてしまった。

プラズマが姿を消した地表にリング状の輪のような凹み以外は何も残っていなかったが、
核シェルターの中は大変な状態に陥っていた。あらゆる家畜の体から摂氏数千度の強烈な炎
が吹き出し、目、口、耳、肛門、陰部から高熱と化したプラズマの凄まじい炎が放出して
いたのである。

 まず鶏などの小動物の体が信じられない早さで縮んで消滅し、次にブタや牛が摂氏数千度
の高熱の中でのたうち回り、自らの体から噴出する超高熱の炎に焼かれながら消滅していった。
それもわずか数分の間にである。
後には黒い灰以外に何も残っておらず、粉塵のような微細な物質が空中に漂っているだけだ。>
 
同書では、「最終兵器・プラズナーの実戦力」という項目で、1989年度版のプラズマ兵器
に関するマニュアル『M-ファイル』の内容を明記してあるが、そこから私がいくつか抜粋
してみます。


【対・敵戦闘機編隊戦略】
・超高温プラズマを敵戦闘機(および戦闘爆撃機)の大編隊に一瞬出現させるだけでも、
生体のみを焼却(または熱死)させることができる。これはわずかの出力で効果的に敵を
殲滅する使用方法である。

【対・敵潜水艦戦略】
・3点交差の焦点を敵攻撃型原潜の中に持っていけば、艦内に高熱プラズマを出現させ、
瞬時に内部の生体(主に人間を指す)のすべてを焼滅させられる。(後略)

【対・都市戦略】
・プラズマ戦略のひとつとして、巨大な高熱プラズマを円柱状にし、横にして都市をロール
攻撃すれば破壊と殺傷力はさらに倍加し、幾重にもわたって波状攻撃すれば生き残る生体は
皆無となる。






 そしてプラズマ膨大なエネルギーを使わずとも人々にダメージを与えることができます。
次に示す例は、1955年の「モスクワ・シグナル事件」です。


 <市販されている本や、ネット上でも、モスクワ・シグナル事件を探ることができる。
だがそこに書かれている多くは、1976年に起きた事件の話で、それは駐モスクワ米大使館
に勤務していた2人の外交官が、向かいのビルから照射された電子監視装置の放射線を浴び、
ガンを発症させた事件と解説されている。モスクワ・シグナルに関しては、その他、1950
年代の事件が説明される場合も、原因不明の熱や吐き気、頭痛などと表現される。だが正確に
表現すれば、モスクワ・シグナル事件とは1955年に起きた「幻聴事件」が最初だった。
その後もさまざまな事件が続き、1976年の外交官ガン発症事件にたどり着く。

 モスクワの米大使館は、1955年の事件勃発と同時に、その原因が向かいのビルから
照射されるマイクロ波にあることを掴んでいた。ソ連がなぜ米大使館に向かってマイクロ波
を照射していたのか。それは米大使館が所有する盗聴装置を混乱させることが目的だったと
されるが、真相は当然ながら不明だ。>
http://www.gyouseinews.com/index.php?option=com_content&view=article&id=160:2010-08-09-18-28より


1.モスクワシグナルの謎  

*ノンフィクションレポートから
1950年代にモスクワのアメリカ大使館で、盗聴装置の県債をしているときに、道を隔てた
向こう側から弱い電波が大使館に向けて照射されていることが判明した。
これが後に、モスクワシグナルと呼ばれる電波の登場であった。

このモスクワシグナルに関しては、新聞記者時代も長かったイギリスの作家ブライアン・
フリーマントルのノンフィクション・リポート『KGB』(新庄哲夫訳)がある。
この中から一節を引用する。

「ソ連の電子盗聴技術が高度化、精密化していることがアメリカ当局を
惜然とさせるほどのものだと判明したのは、1976年である。モスクワの
アメリヵ大使館に勤務する二人の外交官がリソパ腺ガソにかかり、ウォルター
ストーセル大使は理由不明のしつこい吐き気にみまわれ、ついで眼から出血
しはじめたことがあった。

ワシソトソからモスクワに専門医が派遺されたが、診断によれば、大使館と
なっているチャイコフスキー通りの革命まえに建てられた十階建てビルに勤務
するスタッフは、電子監視装置が発するマイクロウェーブ放射線を間断なく浴
びているというのであった。

大使がとくに障害を受けたのは、十階にある執務室がもっとも多量にマイクロ
ウェーブ放射線を浴びたためであった。
 


ソ連側はアメリカ大使館に向けて、放射線を照射している事実を否定しなかった。
そのいい分によると、ソ連側は合衆国のあまりにも精密な超感度の盗聴装置
を妨害する方式をとっているが、それはアメリカ側がブレジネフ書記長の使う
カーテレフォンを盗聴している疑いがあったからだというのである。

アメリカ側もブレジネフの車内電話に波長を合わせている事実は否定しなかった。
ただ沈黙を守ったまま、建物内に放射線遮断壁をとりつけただけであった」


 引用:フリーマントル著 新庄哲夫訳「KGB」新潮選書 (原著は1982年)
http://homepage3.nifty.com/~bemsj/RF6.htmより



━─━─━ 転載終わり


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http://ameblo.jp/chikyuuboueigun/entry-11103738369.html