金ヶ崎城跡・金崎宮 | 神社仏閣・名所旧跡なんでも撮影

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神社・仏閣巡りと動物園での撮影、カメラはキヤノンEOSRP、レンズRF24-105mmSTM・RF100-400mmUSM、

金ヶ崎城跡・金崎宮

 

 

2022年5月17日、氣比神宮を後にして金ヶ崎城跡・金崎宮へ

電動自転車は楽ですね。

 

廃線の敦賀港線を越えると金ヶ崎城跡・金崎宮の入り口です。

この先が旧敦賀港駅

 

金ヶ崎城跡・金崎宮の入り口と廃線の間に資材置き場?

 

中にはランプだけが展示されていました。

 

金ヶ崎城跡の説明

金ヶ崎城は歴史の舞台に二度現れる。

一度目は、1336~1338年、南北朝時代に新田義貞×足利尊氏の金ヶ崎城争奪戦

 

二度目は、1570年、戦国時代に『金ヶ崎の退き口』と呼ばれる信長の撤退戦

 

 

 

金ヶ崎城跡・金崎宮への石段

 

登り始めて右手直ぐに、愛宕神社

 

一の鳥居

 

二の鳥居

 

舞殿

 

拝殿

金崎宮は、南北朝の戦いで金ヶ崎城に籠城し、非業の死をとげた後醍醐天皇の二人の皇子、尊良親王・恒良親王を祀る神社です。

 

 

摂社絹掛神社

 

 

金崎宮御朱印

 

 

金崎宮よりの敦賀市内

手前に赤レンガ倉庫、奥に新幹線・敦賀駅の工事クレーンが見えます。

 

 

金崎宮から更に登ります。

 

 

脇道の上に、尊良親王がお亡くなりになったと見込まれる石柱があります。

 

 

頂上付近に古戦場の石碑

 

 

金ヶ崎城の本丸跡

海抜86mとありますが、もっともっと高いと感じられました。

 

 

金ヶ崎城本丸跡からの敦賀湾

穏やかな敦賀湾です。天然の良港なのが解ります。

 

 

 

御城印は2種類ありました。

 

尊良親王・恒良親王

 

 

 

金ヶ崎の退き口

 

次は、敦賀市内の散策です。