(き、器用貧乏って、何よそれ! そんなこと言われたの初めてだし……)
〔そして、主は『霊視』という技能(クラフト)を使えるわけではない。それが根本的認識の間違いかもしれんのう〕
(へ? な、何言っているの? 私こうして幽体のあんたが視えてるじゃない)
〔主は疑問に思ったことはないのかえ? 自ら落ちこぼれと認めるような自身の実力で、そこまで強力な『霊視』が出来ることを〕
(で、でも、『霊視』って生まれつきの体質もあるし……)
〔その通りじゃ、『霊視』とは先天的要素の大きい技能(クラフト)じゃ。ならばの。主はどうじゃった? 主は幼きときから、この世界の在りよう視えておったのか?〕
(えっ? 私は……、私は子供のとき……)
〔覚えておらんか。なら我が答えを言うてやろう。主は、視えておった。この世界の幽現、全てが視えておったはずじゃ〕
(何それ? 結局、私、『霊視』が生まれつきあったってこと?)
〔それが勘違いだと、言うておる。『霊視』は生まれつき得やすい者はいても、生まれついて視える者は『霊視』を使えぬのじゃ〕
(はぁ? 何、言ってるの? 視えるんだったら『霊視』出てるじゃない)
〔エディ。主は『霊視』を使わないことを出来るかえ?〕
(つ、使わない……)
〔出来ぬじゃろ?〕
(ちょっと待ってよ。どうして『霊視』を使わない必要があるのよ!)
〔やはりというか、主はわかりやす過ぎるの〕
(さっきから、本当になんなのよ! ユーシーズ! あんた何が言いたいのっ!)
〔エディ、我は『霊視』を技能(クラフト)と言うたのじゃぞ。使いこなせぬ能力(タレント)は、技能とは呼べぬ。『霊視』を使いたいときに使い。使わぬべきときは使わぬ。主にはそれが出来まい。人は生まれついてその目で現世を見るが、現世が見えたところで人は技能とは呼ぶまいて〕
(……。つまり、私は唯一有用に出来ると思っていた『霊視』すら出来てなかったってこと?)
〔結論から言おうか。エディ、主は今のように『霊視』を使い続ければ死ぬぞ〕
(え……、し、死って、そんないきなり……)
〔主がこの世ならざるモノが視えるのは、主の存在自体が幽世寄りだからじゃ、幽世の者が幽世を見るのは当然じゃろ。今の我のように〕
 もう言い返す言葉がエディには見付からなかった。突然、ユーシーズに言われたことはエディの理解を超えていた。
〔その最たる例が先程の所行じゃ。現体を持つ人が、魔法で作り出したとはいえ、現体を持つ呪樹の捕縛をどうやってすり抜けた。あんなもの我の本体でもできんぞ〕
(すり抜けた? 何の話?)
〔では主は何をどうすれば、あのドルイドの呪樹の捕縛から抜け出たというのじゃ。カルノ達ですら、為す術なく捕らえられていた魔法ぞよ。主が空間転移の大魔法でも使ったというのかえ?〕
(……、あれ? 私、そんなこと……した?)
〔我の見立てでは、主は空間をねじ曲げたのじゃ。体の自由利かぬほど縛り上げられておるなら、自由に動ける空間を作ればいい。考え方は悪くないが、主は出来んことを成してしまう。その代償が今の体調不良じゃ。いや、不調というレベルではないの。主は主の魂魄をすり減らしてまで大魔法を使ってしまった。使えぬ魔法を使うて、ただで済むとでも思うてか〕
(あの、意味がわかんないんだけど……)
 エディは反論しようにもどうにも実感がない。そんな魔女すら驚かす魔法をエディが使って見せたというのか。
〔その自覚のなさが、主の異能の根本であり、厄介なところじゃろうて。主の『霊視』もそうなんじゃ、意識、無意識はともかく、『霊視』を使えるものは、『霊視』の魔術構造を組み立てて、幽界を視する過程を起こす。しかし、主は『見る』と『視る』が等価になってしまっておる〕
(『見る』と『視る』が一緒なんて当たり前じゃない)
〔それは主の当たり前であって、世の当たり前ではないんじゃよ〕
(いや、なんかもう、まったく意味不明なんだけど)
〔ほんに主は物わかりが悪いよのぅ。つまりじゃ、普通の『霊視』使いは『霊視』の法を使っておるのに対して、主は『霊視』の法を使わずに幽界を視ておるのじゃよ〕
(は? 何言ってるのよ。そんなの出来るわけないじゃない)
〔じゃから主は出来んことを成しておると言っておろうが。主の結界破りもそうじゃ、主は結界破りの法なぞ知らぬじゃろう。その魔法構造も理解しておらん。なのに主は結界破りをしてみせる。つまりじゃ、主は魔法過程をすっとばして『結果』得ておるんじゃよ〕
(それこそ、あり得ないよ。『原因』があって『結果』がある。因果則こそ、この世の根本原理だよ?)
〔その通りじゃ、主のやっとることに『原因』はある、ないのは『過程』じゃ、いや『過程』もあるんじゃろうがな。我にも認識出来んほどの異形なもの、主が固有に持つ独特の魔法過程が。それが他の者からすれば、『過程』が少なく見えるというわけじゃ。前に我が言うたことを覚えておるか?〕
 ユーシーズには幾多の助言や忠告を受けている身であったがエディにも今彼女が言わんとしていることは察しがついた。
(私の魔法は私だけのもの。みたいな感じだっけ……)
〔そうじゃ、主が無意識に使っている魔術過程と、意識的に使おうとしている呪言魔法の魔術過程との齟齬。それが主が魔法を上手く使えん理由じゃ〕
(なんなのよ、それ。私は単に普通に魔法が使いたいだけなのに……)
〔普通のぅ。いつぞやもそんな話をしたかの。普通でないのが魔法で普通の魔法なんてあり得ないはずじゃった〕
(でも、普通の魔法がある現代の魔道は歪んでいる。だっけ?)
〔ほう、主にしてはよく覚えておったな〕
(馬鹿にしなっ……、もういい、私よくわかんない。私がどうしたら魔法使いになれるのか、これから何をしたらいいのかも……)
〔我は人に道を説く立場にないからの。ただ、これだけは言うておく、『霊視』を使わないでいられるようにだけはしておくんじゃな〕
(『霊視』を?)
〔先程言うたが、主は無意識に『霊視』を使い続けておる。周りの者は、その魔術過程が読めぬので、主が常に『霊視』を使っていることに気付いておらぬ。だから止めぬのじゃろう〕
(『霊視』を使うのがまるで悪いみたいに言うんだねユーシーズは)
〔一時使うなら、魔道の者として責められるべきことではない。じゃが、主は常に使い続けておる。主は『魔法』を常に使っておるのじゃぞ。その意味がわからんでか?〕
(だって、私……)
 だって、何だというのだろう。何をこの魔女に伝えたいのだろう。エディには自分の心中ですらわからないのに、幽体の魔女に返す言葉が見付かるはずがない。
 今にも泣き出しそうなエディに、ユーシーズは困った顔をした。実際には出ない溜息を吐いてユーシーズはエディの頭に手をやる。
〔そして、我の声も聴くべきではないのじゃ……〕
 幽体の手は実体たるエディの頭に触れたのだろうか。エディにはその指先の優しさを感じることができた。
〔こうして我と『念話』をするのも、主が無意識に『念話』の法を使っているからじゃ。無論、世にはそのように『霊視』や『念話』を無意識に使う輩はいる。しかし、主は度が過ぎる。全ての心言を幽界に届け、目を開けばいつでも幽界を視る。それでは身が持たん。その自覚がないのが一番厄介じゃな〕
 エディ自身単なる落ちこぼれと思っていた。それが異能があると言われて急激に変わるわけでもない。第一、その異能が本当にその身に備わっているのかすら実感がない。それなのに自覚を持てといわれても、息苦しさしか感じられない。
「お嬢さん、苦しいのですか?」
 エディがあまりに顔を歪めていたからであろう。ドルイドの大男が声をかけてきた。ユーシーズと話しをするために、傍目には黙り込んでいたエディが苦渋の顔をしているので不審に思ったのだろう。
「えっ、あ、……はい」
 敵であるダイ・ゴーインに気遣われ、エディは慌てて答えた。しばらく休んでいたお陰か、ユーシーズに頭痛い苦言をされていた所為か、倒れかけたのが嘘のように、もう意識ははっきりとしている。
「あなたまだ学徒の身、このような事態で疲労困憊となるのも当然ですな、小生のように日頃から肉体を鍛えておれば別ですがな、HAHAHAHA!」
 別段、馬鹿にされたわけでもないのだが、やはり魔法使いとしては一人前扱いはしてもらえないのが少し悲しかった。しかし、ユーシーズから、自分の異常性を聞いたあとでは、そんなことは些細なことでしかなかった。

「くくっくっっく。はっはっはっはっは。ダイ・ゴーイン卿。あの二人を封じろ」
「いいのですか?」
「ふん。この馬鹿が煩わしい封印を解いてくれると言っているんだ。利用出来るものを利用するのも魔法使いというものだ。我々の手間が省けるならそれもいいさ」
「まったく、ローズフィッシュ卿は素直ではないのですから」
 そう言うフードに隠れる大男の顔は、不気味ににやけていた。

   *
 優しく暖かい炎の色。魔法の炎ではこの生命感溢れる静かな炎は再現出来はしない。焚き火の静かな炎の明かりに、吸い込まれそうな安堵を感じてしまう。乾いた木枝が炎に爆ぜる音に耳を澄ますと、心地よい眠気に誘われる。ただ、身にまとった緊張まで解いてしまうことは、エディの置かれた状況が許してはくれなかった。
 エディが暖を取っている焚き火の炎の向こう側には見慣れた少女と見慣れぬ大男の二人が言葉もなく座っていた。
 ブリテンの魔法使いであり、エディが所属するバストロ魔法学校と敵対する勢力である二人。ローズ・マリーフィッシュと呼ばれていた少女と、ダイ・ゴーインという名らしい大男。何の因果か、敵であるはずの二人と、エディは暖を取りながら休息を取っていた。疲れた体に、森の冷たい空気が染み渡る。
 どうやら、ブリテン王国最高の魔法機関である『魔術師の弟子(マーリンサイド)』の構成員であっても、魔法戦を繰り広げ、さらには敵対するカルノ・ハーバーとジェル・レインの二人を生かしたまま封じる魔法を施した後ではさすがに疲れているようで、これから魔女の封印に向かうということで、万全を期す為にも休息を入れたのだ。
 いや、休息の本当の理由はエディの体調だった。さっきまでは気丈に振る舞って見せていたが、二人に連れられ森の中を移動している最中、エディが倒れかけたのだ。ふらつき、敵であるローズに倒れかけたときには、ほとんど意識はなかった。
〔少しは落ち着いたようじゃな。幽星体(エーテル)の揺らぎが収まってきておる〕
 ローズたちには視えないことを良いことに、三人が囲む焚き火の上に浮くユーシーズは、エディをふて腐れた顔で見下ろしていた。
(心配してくれてる……の?)
 心中、声を返すエディであったが、顔が笑っていない幽体の魔女に、少し心苦しいものがあった。
〔心配か……。心配をすべきは主であろう。主は己が何をやったか自覚しておるのか? どうして意識を失いかけたのかわかっておるのか?〕
(えと……、多分、無理をしたからかな?)
〔何の無理じゃ?〕
(今日は使えない魔法を使って逃げ回ったし、私、持久力はあんまりない方だし……)
〔やはり、わかっておらんのか〕
(うぅ。やっぱり馬鹿にする。たぶんそんな話の流れだろうとは思ったけど……)
 焚き火の上に浮いていたユーシーズはエディの座る直ぐ脇に降り立つと、立ったままエディを見下ろした。見上げるその顔は、やはり不機嫌に見える。多分、自分が苛立っているときはそんな顔をしているのだろうと、エディは妙な想像に苦笑した。
〔何に一人でにやけとるのじゃ。気持ち悪いの。主、我は大真面目じゃ、今からする問いに神妙に答えい〕
(何よ、急に)
 エディの苦情を無視してユーシーズは続ける。
〔今まで、先程のように体調を崩すことはなかったかえ? 我と会う前のことじゃ。特に山里から出て直ぐの頃じゃ〕
(魔法学園に来た頃の話? 別にそんなことなかったけど)
〔今、身体で変わったと感じるところはあるかえ?〕
(ちょっと頭の後ろがしびれるみたいな感じもあるけど、普通の貧血みたいな感じかな)
〔貧血? 主は貧血持ちかえ? 我が見てる限りそのような様子はなかったがの……〕
(うん。最近は調子よかったから。クラン会長の薬が効いてるのかな?)
〔ほぅ、あの娘の薬とな?〕
(入学当初は、変な呪薬の実験とか言って、よく飲まされたけど、そういえば最近はそういうことなかったっけ)
〔ほほぅ。あやつらも手を打ってはおるのか……〕
(さっきから何の話よ)
〔何の話もあるか。話しておる通り、主の体の話じゃて。我の予想が正しければ、主の『霊視』は里を降りてから強まったはずじゃが。その呪薬で抑えておったか……〕
(どういうこと? ……あれ? そういえば、確かに魔法学園に入学した当初の方が霊視も強かった気がするし、魔法の成功率だって高かったような……。だって、編入試験で出来た『魔弾』が最近撃てなくなって、今は『炎』ぐらいしか……)
〔やはりそうかえ〕
(うっ。なんか卑怯! 私が質問されたら、私の心の声が聞こえるユーシーズには、全部わかっちゃうじゃない! ……でも、どうしてそんなこと知ってるの?)
〔我の予想と言うたではないか。原因があれば、結果がある。因果則はこの世の根本ぞ〕
(原因? 結果? ほんと何言っているの?)
〔主は普通ではないということじゃ〕
(私が極端に魔法が下手だってことはわかってるよ……。だって、これだけ頑張って修練しても、全然魔法制御が出来るようにならないんだもん。今日だって、何回か『炎』を使ったけど、全部、腕ごと燃やしちゃったし)
 自然とエディの手元に視線が下がる。付与魔術師であるマリーナが耐火処理を施した魔道衣は見事に焦げ朽ちていた。これがもし耐火処理がなかったとするなら、焦げていたのはエディの腕の肉だっただろう。エディはその手の指を二、三回、確かめるように動かしてみる。どこか動きが鈍い。見た目は無事ではあるが人間の現体たる身体よりも、幽体である幽星体(アストラル)の方が傷付いているのだ。
〔はぁ。主は色々誤解しておる。それは主の『炎』による魔傷ではない。それに、主は別に魔法制御が極端に下手なわけではない〕
(下手じゃない? 何言ってるのよ。私失敗してるじゃない)
〔気付いておらんのか。主は自身が燃えないように自身ごと燃やしておるのじゃぞ。それのどこが制御が下手なんじゃ。この器用貧乏が〕

「くっはっはっは。なるほど、自分ごとゴーイン卿の魔法を燃やしたか! 確かに〈木〉は〈火〉と相性が悪い。これはとんだ天敵だなダイ・ゴーイン卿」
「何をおっしゃいます。問題はそんなことではないことぐらいおわかりでしょう、ローズフィッシュ卿!」
「ああ、見せてもらったよ。いや、正確には見えもしなかった。何をどうやったかも、この私にも理解出来やしない。『魔術師の弟子(マーリンサイド)』一の結界術の使い手であるゴーイン卿が作り出した捕縛術を抜けて、更に、砲撃魔法の骨子を崩して魔法自体を潰して見せるだなんてな。そんなことが出来るのは世界に数人といないだろうよ。とんだ落ちこぼれだよエディ。お前ほんとに意味不明だねぇ」
「結界術ならまだしも、実体のある呪樹の捕縛を切ったわけでもなく……、どうやって……」
 珍しくダイゴーイン卿が鬼面を見せる。それだけ自信のあった捕縛魔法が、魔法学校の落ちこぼれに抜けられてしまったのだ。彼の心中穏やかではないだろう。
「はぁ、はぁ、うぐっ」
 エディの荒れた息は整うどころか、嗚咽を吐き出していた。足にも力がない。ふらふらと今にも倒れそう。まるで病室から抜け出した末期患者のように、エディは無表情の顔をローズたちに向けていた。
「エディ……」
 義兄であるカルノは絶句していた。義理とはいえ妹が、彼を殺すべく放たれた魔法の前に立ちはだかり、彼を助けたのだ。嬉しいとは感じられない。むしろ、なんて危険なことをするのだと、叱りたい気分だ。しかし、そんな言葉も口に出来ない。エディもカルノと同じく、あのドルイドの魔法に捕縛されていたはずなのに、どうやって抜け出したのか、どやって助けたのかがわからない。奇妙な感覚だった。正体がわからぬ者への恐怖なのだろうか。
「くっ、エディさん。抜け出せたのなら早くお逃げなさい。わたくし達など、気にせず早く!」
 それはジェルの本心だった。自分が助かりたいと思うよりも、一人でもこの場から無事に逃げおおせる人間がいるべきだと、それも魔法使いらしい合理的な考えだった。
「はぁ、はぁ、……はぁ、やだ」
 荒れる息の中、やっとにしてエディが言葉を口にした。
 その場にいる人間全員が意外である言葉だった。
「何を言っているのです!」
「嫌だって言ってるの!」
 やっとにして生気を取り戻し始めたエディの瞳に意志が宿っていた。そして、しっかりとした足取りで、ローズ達の方に向かっていく。
「やめないか、エディ。君では歯が立たないのぐらいわかるだろ!」
 義兄の叱咤もエディには届いていない。
 先程、ドルイドの魔法を逸らしてみせたのは全くの偶然だ。エディはほとんど魔法を使えない。なんとか制御に失敗しながら、自滅しながら使えるのが『炎』『光』『魔弾』の三種のみ。初等魔法の基礎も基礎、そんな魔法をたった三つ、不完全にしか使えないのだ。それがたまたま相手の魔法が〈木〉の属性であったから『炎』で燃やせたが、もしカルノが使うような〈水〉の魔法であったのなら、エディの今頃無事では済まなかっただろう。そもそも落ちこぼれの彼女に、『四重星(カルテット)』のカルノ達を破った、ブリテンを代表する魔法使いを二人も相手に出来るわけがない。
 それなのにエディはローズ達へ歩む足取りを止めようとはしなかった。
「やる気かい、エディ?」
 ローズが問うた。
「……やだ」
「何?」
「私、ローズと戦いたくない」
〔主、まだそんな甘っちょろいことを言うておるのか?〕
「……うん、私、嫌なんだ。ローズと戦いたくない」
「かっかっか、まぁ、まともな判断だ。ゴーイン卿の呪縛から逃れた手際は見事さ。あれが、魔女を封じた結界を抜けた技能(クラフト)なんだろうが、それが出来たところで私には勝てないからね」
 ローズは誤解している。エディが戦いない理由は未だに彼女を敵だろ心から思えないからだ。さっきはカッとなって攻撃を仕掛けたが、やはり落ち着いて合い対せば敵対心が冷めていくのだ。
 ローズはエディには見覚えのある服を着ている。その共に買いにいった服を見る度に思い出す。エディはローズが友達なんだと思い出す。しかし、その思いは口にしなかった。ただ一人、エディの心の声が聞こえるユーシーズだけがエディの心中を知ることが出来た。
「うん、……知ってる」
「だったら、お前は何をしようとしていのさ? どうして私たちに立ちはだかる!」
 エディの両の手は大きく広がり横にかざされる。それは誰がどうみても背後に、今も捕らえられているジェルとカルノを庇っているようにみえる。
「わ、私……。ローズについて行くから。私の結界抜け、あったら使えるんでしょ……? だ、だから……」
「この二人を見逃せと? はん。自己犠牲か! 反吐が出るね!」
「いやいや、なかなかいいではないですか。ますます小生の好みの女性ですぞ。麗しい博愛と友情。これほど美しいものは私の筋肉以外にはありませんよ」
 またふざけたことを言うダイ・ゴーインにローズは容赦のない蹴りを入れる。しかし、その蹴りにも彼の筋骨隆々の肉体はびくともしない。
「エディ、いけません。そんな者達に力を貸すだなんて、あなたは本気で学園を裏切るつもりですか! わたくしたちなど気にせず、あなたはお逃げなさい」
 エディは嘆願するようなジェルに首を振ってみせた。
「……エディ。あなたはそんな道を行くのですね」
「お義兄ちゃん……。ごめんなさい、私……」
「いいのです。僕も君も、もう籠の鳥ではないんです。だから自分で決めた道なら、疑いなど持たず進んでいいんですよ」
 意外だった義兄の言葉。まるで背中を押してくれるような、暖かい言葉。それでエディの迷いは吹っ切れた。
「ローズ・マリーフィッシュ! これは取引よ! 魔女の結界は私がぶっ壊す。だから、だから、誰も傷付けないで!」
 エディは誰にも死んで欲しくなかった。カルノにも勿論ジェルにだって。そしてそれはローズであっても同じ、エディは人を救う為に魔法使いを目指した。だから、救えない命があることを、断固として拒否してみせる。そう決めた。
「ふん。エディ・カプリコット。わかっているのか? 私は『禁呪』でお前の抵抗を禁じることが出来るのだぞ。その二人を見逃す理由もないさ。私はお前を手に入れて、そして邪魔者を殺すことが出来る。両方を選ぶことが出来る。そんなもの、交換条件になっていない。取引以前の問題だよ」
 そう言い放ったローズと呼ばれていた少女は殺気を放つ。到底、あの友達だった少女が放てるものではない。冷たくて鋭利に身を削ってくる殺しの気迫。並び立つダイ・ゴーインも魔杖を掲げる。彼とて『魔術師の弟子(マーリンサイド)』の一員だ。一度侵した過ちは繰り返さない。魔杖に込められる『素』は燃やしやすい〈木〉ではなく、エディを殺そう蠢く幽星気(エーテル)がエディに突き付けられていた。
 エディはローズを睨み付けたままだった。本当は緊張と戦(おのの)きで歯がガタガタと鳴っているが、それは表に出さず、カルノ達を庇う為にただただ立ちはだかる。
〔主、意固地を張っていては死ぬぞ。ここはもはや学園という箱庭の加護はないのじゃぞ。判断に誤れば、本当に死ぬぞ〕
(……だったら教えて、私はどうすればいいの? どうすれば私は助かるの? どうすれば誰も傷付かずに済むの? ねぇユーシーズ教えてよ。どうすれば誰も苦しまない世の中になるのよ!)
〔主は、救世主にでもなるつもりか、青すぎるにもほどかあるぞえ〕
 森に風が薙ぐ。黒い影月が天上に浮かぶ。魔法の途切れた森は風のざわめきだけが支配し、少しずつ冷たい空気を帯び始めていた。
 だからこそ、次のローズの言葉が胸を突いた。
「しかしよぅ。こればっかりは謝んねぇとなぁ。お前の価値を過小評価してたよ。まさか結界破りの才能があるとはね。魔女の封印結界すら破れるだなんて、利用価値あるじゃねぇか。優しいこの私が使ってやるよ。封印ぶっ壊す予備策として保持してやんよ。かっかっかっか」
「魔女の結界を破るおつもりですか! それがあなたたち『魔術師の弟子(マーリンサイド)』の目的」
 ジェルが唇を噛みしめた。バストロ魔法学園の最大の秘密にして禁忌。『四重星』になったときに知らされた門外不出の機密を彼女は守ろうとしていたのだ。
「そうさ。だから、不本意だが結界術に長けたこの変態を連れて来たんだが。まさか結界破りの法が現地調達出来るとはな。この変態筋肉馬鹿が失敗したときは、エディに結界を破らせる」
「小生は失敗なぞしませんぞ。その為にこの一ヶ月準備してまいりました」
「ふん。お前の実力は信用してるさ。人格は信頼出来んがな。しかし、予備策があるに越したことはないさ」
「そこまで言うのなら反対はしませんが、本当にこのお嬢さんが使えるのですか」
「さぁな。使えれば使う、使えなければそれまでだ」
 吐き捨てたローズの言葉。端から聞けば、エディの人格など完全に無視した悲惨の言葉だが、エディにはそうは聞こえなかった。
(私が使える? こんな私が使える?)
〔馬鹿が、そんなことで喜びおって〕
(ユーシーズに私の気持ちなんてわかんないよ。あんたみたいに、知らぬ者がない脅威の魔女に、私みたいな落ちこぼれの気持ちなんて!)
〔ああ、わからぬな。主の心中はよう聞こえておるが、何もわからぬ。お主は何じゃ? 何の為に魔道に身を置く。何を求め、何を成しよる〕
(私は……、私はただ……)
〔ふん。少しばかり、評価されたぐらいで舞い上がりおって、志のない道に何の意味がある?〕
(どういう意味よ?)
(無意味じゃといっておるのじゃ。そんなもの空っぽじゃ。ただ、自身が持っておる能力に引きずられ、世情に振り回され、その行く果てに何があるというのじゃ。何にもない。何にもないんじゃて)
 エディの目にユーシーズの瞳が映る。同じ顔、同じ色をした瞳。しかし何かが違う。ユーシーズ・ファルキンの金色の眼差しは、エディにはない意志が宿っていた。
(……それ、もしかしてあんたのこと? あんたの魔女として生きた人生の話なの? 魔女となる力があったのに、あんたの人生には何にもなかったってこと?)
〔さぁのう。我の言葉をどう取ろうと主の勝手じゃ〕
「さて、ローズフィッシュ卿。少々時間を喰いました。八十八の星月が回天を指す今夜は、結界破りには最適の日。今日を逃すわけにはまいりませんぞ」
「わかっている。さて、かたづけるか」
(かたづける? かたづけるって何?)
 エディの疑問は、ドルイドの大男が作り上げた魔法弾が答えとなった。ドルイドが魔杖を掲げて魔法を構成する。青白い光を放つ『魔弾』の一種。聞こえてくる空気が細かく爆ぜる音がその威力を物語っている。その魔法構成にエディはどこか見覚えがあった。
(クラン会長達を襲った砲撃魔法! コイツだったんだ!)
 その魔法弾の威力は、エディは我が身を以て知っている。強靱な護紋に守られたバストロ魔法学校の壁を一撃で貫いた魔法だ。そんなものを生身で喰らえば本当に死んでしまう。
 二つの魔法弾は、カルノとジェルに狙いを定める。二人の体は呪樹に絡め取られたまま。必死に藻掻くが、目の前で放電の繰り返す魔弾の生成を止めるどころか逃げることも叶わない。
「くっ」
 本当はわめき散らしたいだろうにカルノとジェルは、術者である大男を睨み付けるだけ。怯えることもなく命乞いをすることもなく、こうして魔法戦に敗れたという結果を受け入れていた。それこそが魔法使いとしての正しい姿にも思える。
「カルノ、ジェル。短い間だったがなかなか楽しめたよ。まぁ魔法使いが死ぬのは、遅いか早いだけさ。いつかは戦場で倒れるのが魔法使いの宿命だからね。それがお前等は学徒の身だっただけの話しさ」
 ローズの言う通りだとエディも思う。それが魔法使いという生き方だ。エディもそれを覚悟して魔道の門を叩いた。しかしどうだ。自身は死ぬ覚悟が出来ているというのに、自分以外の者が目の前で死のうとしている姿、死を静かに受け入れようとしている様は、こんなにも腹立たしいものだったのか。
「お義兄ちゃん! ジェルさん!」
 エディの呼び掛けに、義兄は頬を緩めてみせた。優しい顔だった。それが死に往く者の顔だというのか!
(ユーシーズ! なんとか!)
〔……〕
 エディの悲痛な声にも、いつも悪態を吐く魔女は答えない。
(どうして? 魔女なんでしょ? 欧州を滅ぼしかける力があるんでしょ? それなのに!)
〔無茶を言うでない。子供じゃあるまいし〕
(何が子供だ。私はただ、ただ、誰にも死んで欲しくないだけなのに! 母さんみたいに、みんなを守ってあげたいだけなのに! なのにどうして!)
 その瞬間に言葉はなかった。魔杖に込められた秘儀(ルーン)文字が魔力を解き放つ。宙を行く魔法弾は空気を取り込んで大きく膨らみ、そして発せられた。
 エディの霊視には〈木〉を帯びた幽星気が渦巻く禍々しい魔法弾の軌跡だけが視えた。
 着弾すれば、空気中の〈風〉を取り込んで〈木〉と混ざり合い空間を爆ぜさせる魔法。因果は『感染』。発動が『接触』の爆発魔法。
 空気中を行くだけで、空気に接触してその魔法弾は体積を膨らませていく。逃げようのない広範囲砲撃魔法だった。その着弾は、予想よりも遙かに大きな轟音をあげ、森を振るわせた。
 巻き上がる爆煙。術者であるダイ・ゴーインでさえも巻き込み兼ねない大爆発だった。
「くははっはっはははっは。はっはっはっは」
 これ以上可笑しいことはないと言わんばかりにローズは肩を振るわせて笑っていた。
「ローズフィッシュ卿……、これは笑い事ですかっ!」
 ダイ・ゴーインが咆えた。その問いにローズは答えず笑い続ける。
 森中に舞い上がった爆煙が徐々に晴れてくる。闇夜の煙幕の中には二つの金色の光が見える。そして人影。その煙の中に佇む人影が燃えていた。
「はぁ……。はぁ……。はぁ……」
 胃の内容物を全て吐き出しそうなほどの、荒い呼吸音にジェル・レインは信じられないものを見たという眼差しを向けた。ジェルもカルノも、砲撃魔法を喰らうことなく、未だに健在だった。
「エディ・カプリコット……、どうして?」
 全員が問いたい気分だった。ダイ・ゴーインが放った砲撃魔法は、エディが自身を焼く自滅の『炎』によって燃え上がった腕の薙ぎによって削られ、目標を外して森の木々を爆散させていた。自分の腕が燃え上がっているのに未だに『炎』を消そうともせず、エディは荒い息を吐く。彼女の金色に輝く瞳は焦点が定まらずに虚ろに光っていた。
「如何にも!」
 図太い声だった。端から聞いていれば図太い管楽器の重低音のように聞こえる。
「HAHAHAHAHAHAHA! やっと出番が回ってきました。お呼びが掛からなかったらどうしようかと、ドギマギしておりましたぞ。全く、真打ちは最後に登場するものと相場は決まっておりますが、隠れ待つ身は心の臓に悪いというものですな。HAHAHAHA」
 その声はローズが腰掛けている木のさらに後方、目を細めないと見えないぐらいに程遠い場所から聞こえてきた。しかし、奇妙なことに声のする方向をいくら探しても声の主は見付からない。
(何? どこなの?)
〔エディ、もっと上じゃ〕
「上?」
 エディの漏らした声にジェルとカルノも視線を上げる。
 いた。森の木々の中でも一本だけ高く突き出したメタセコイヤの木の上、枝葉が茂る上部という意味ではなく本当に木の頂点、どうやってそんな細い枝でバランスを取っているかと疑問が浮かぶ場所に器用に立っている男が一人。
 目深に貫頭衣をかぶり、木杖を腰から下げていた。それは一目で魔法使いとわかる出で立ち、しかしエディにはどこ系統の魔道なのかピンとこない魔道衣の男だった。なぜ目深に顔を隠しているのに男だとわかるかと言えば、魔道衣の上からでもわかる筋肉質の体が魔法使いとしては異様であるだからだ。そんな大男が、乾いた高笑いに妙なポージングで立っているのだ。エディにしてみれば、脳裏に疑問符っしか浮かばない。
「HAHAHAHA。少女の危機を間一髪で救うおいしい役回り。ローズフィッシュ卿の粋な計らいに感謝しませんとな。HAHAHAHAHAHA!」
 大男の乾いた高笑いはまだまだ続く。その体格も相まって声量はかなりのもの。日の沈んだ森中に、場違いに明るい声だった。
「何あれ?」
 純粋に、脊髄反射でエディが疑問を漏らした。ジェルとカルノも、体を正体不明の木の根で縛り付けられているにもかかわらず焦りよりも先に、呆れがくるのか、首を捻るばかり。
「さぁ、僕に聞かれても」
「馬鹿と何とやらは高いところが好きと言いますし。この場合、前者ではありません?」
「え~、私、結構高いところ好きなんだけど……」
「そういえば、エディは昔から無意味に景色を見下ろすのが好きでしたね」
「ジェルさんだって『飛翔』で上から私を見下ろしてような気がするけど」
「それは、宙に上がれば、常に地表を見下ろすことになりますけど、別に用もなく空に上がったりしません」
「いやいや、あなたたち! 何無視しているのですか! 満を持しての小生の華麗なる登場シーンですぞっ! もっと『こう』あるのではないですか?」
 木の上から大男が慌てた様子で叫(わめ)いてきた。
「んん? えっと、そんなこと言われても……」
〔くっくっくっ。おそらく、ああいう輩は、名を問うて欲しいんじゃろうて〕
 ユーシーズはにやにやと顔を緩めて腹を抱えていた。
「えっと、あんた何?」
 どうしようもなく、仕方がないといった面持ちでエディが聞いた。
「おお、私の名を聞きましたか? 聞いたのですね? ふっ。このサー・ダイ・ゴーイン。敵に名乗る名などないっ! HAHAHA。ちなみに三十二歳独身。職業貴族、絶賛恋人募集中。つきましては、お嬢さん。一つお茶でもご一緒に如何です?」
 どうにも支離滅裂だ。こんなときにこんな場所で、一体何を言いたいのかさっぱりわからない。
「はぁ? あなたなんですの? こんなときにお茶だなんて!」
 ジェルは困惑しっぱなしで、眉を潜める顔がさらに深く額に皺を寄せた。
「勘違いしないでください。誰もあなたには言っていません。私、年増には興味ありませんから」
「と、年増ですって! わたくしがですか! まだ二十歳にもなっていないわたくしが年増ですか! あなた今、二十八と仰ったじゃないですか。それなのにわたくしに何て無礼な!」
「HAHAHAHAHA。何歳でも年増は年増なのですよ。私は、そちらのお嬢さんに言っているのです。横から割り込まないでください」
 と、大男は腰に下げた杖を軽くさすった。それに合わせ魔力の鼓動がする。すると、ジェルを縛り上げていた木の根が蠢きだし、彼女の胸元を更に締め付ける。
「きゃっ、何をっ」
「HAHAHAこんなモノを垂らしているから悪いんです。そちらのお嬢さんのようにもっと慎ましければ!」
「そちらのお嬢さんって、もしかして私……?」
「ダイ・ゴーイン卿! その茶番はいつまで続ける気だ?」
「おっと、小生としたことが、ローズフィッシュ卿をお待たせするとはこれまた遺憾」
 と、わざわざ両手を上に掲げ、「とうっ!」というかけ声とともに、木のてっぺんからダイ・ゴーインと呼ばれた大男は飛び降りてきた。魔法を使った様子はない。自前の肉体のみをつかって何メートルもある木上から着地してみせた。
 目の前に飛び降りてきた大男の魔法使いに合わせ、ローズも木の枝から地に降り立ち、二人は並び立つ。
 筋肉質の大男と幼い面立ちの少女、あまりのも不釣り合いな二人。大男のわけのわからぬ発言に緊張感は吹き飛んだが、それでもこの二人が放つ空気はただならぬものがあった。
「ダイ・ゴーイン卿。作戦中はいつもの戯れ言はよせとあれほど言っておいたというのに」
「戯れ言ではありません。私、あんなウシ乳は認めません。まだあちらのお嬢さんのような、こう慎ましい方が。しかし、無論のこと、最も素晴らしいのはローズフィッシュ卿の見事に平坦な」
「死ぬか? ゴーイン卿」
 本日、最も殺気のこもった声が聞こえたが、大男は取り合わずににやけるばかり。
「ちょっと、ブリテンの! その大変失礼な男は何なのです! わたくしを年増だ、う、う、ウシ乳だと、失礼な!」
「ん? コイツか、コイツはただの幼女趣味の筋肉馬鹿だ。分類上は変態で構わないさ。見ればわかるだろ?」
「くっ、そんな変態を連れ歩くだなんてブリテンの者はなんて非常識な! この、放しなさい」
 ジェルが必死に藻掻くが体に食い込んだ木の根はビクともしない。それどころか藻掻けば藻掻くほど、力強く締め付ける。
「HAHAHAHAHA、無理ですぞ。小生の魔力が生暖かく育て上げた宿り木は、凡人の筋力では無理無理無理ぃ! HAHA」
 と、本人は腕の筋肉を張り詰めて見せつける。まるで、自分の腕力ならば、この木の根がねじ切れるとでも言わんばかりだった。
 何かに気付いたカルノは顔色を変えた。
「……この根は、耐魔性を帯びているのですか!」
「気付かれましたか? 魔法使いを捕縛するための特製です。小生が持てる魔道の粋を集めた秘術なれば当然当然」
 ジェルとカルノは先程から何度も試みているようだが、『四重星』の二人をもってしても、体に絡み突く呪樹の根はビクともしない。
「使い手は変態だが、効果は上々だろ? 残念ながらこいつも『魔術師の弟子(マーリンサイド)』、実力だけは確かだ。ただ、準備に小一時間かかるのは、どうにかして欲しいものだがな」
「無理を言わないでくだされ。ご要望通り一度捕らえてしまえば何人たりとも逃れられぬ一品。これほどの耐魔性を出すためには、必要最低限の時間ですぞ」
「まさか、あなたが時間稼ぎだったなんて。学園からの逃亡で、ここに誘い込んだというのですか!」
 この森にまで来てしまった経緯が頭を巡る。エディはローズに手を引かれて森に入り、そしてジェルから逃げるにしても彼女の力を借りた。そして、ローズはいつの間にかエディ達に追いついていた。確かに、エディがジェルから逃げ惑うにしても大まかな方向に導いたのはローズだった。
「そうさ、お前達の連携もなかなかのものだったが、戦術が薄っぺらすぎだ。決める時に決める。それが戦場の鉄則。お前等のやってることは、所詮魔法使いごっこというわけさ」
「くそ、元々、私たちを捕らえるために誘い出しただなんて」
「ん? 誰がお前らだと言った。私が誘い出したのはエディだけさ。お前等はおまけだ」
 エディは面食らう。そうだ、先程も、そのようなことを聞いた覚えがある。エディを誘うような言葉をローズは口にしていた。
「どうして、私を? 私に何の価値があるのよ! 私は、私はただの落ちこぼれで……、ただ、おじいちゃんが学園長なだけで……」
「かっかっか。お前、自分のことがよくわかってんじゃないか! お前に他にどんな価値がある。お前に近づく奴はみんなそうなんだよ。あの人畜無害そうな顔をしているマリーナ・クライスだってお前が学園長の孫だから世話焼いてんだ。それぐらいは自覚するおつむはあるんだな、エディちゃ~~~ん」
「ああああああああ」
 エディは奇声を上げた。背筋が震えていた。苦しくて悲しくて、友達と信じていた者がエディに事実を突き付ける。優しさなんて何処にもない。何の取り繕いもない、エディの現実を突き付ける言葉。
(ローズが、あのローズが、なんてことを言って、私、私、知ってる。そんなこと知ってる。ローズの言う通り、私自覚してる。私、落ちこぼれで、マリーナがどれだけ優しくしてくれても、そんなの全部薄っぺらい仮初めの友情で、私のことなんか誰も理解してくれてなくて、私なんて本当は独りで、何の役にも立たなくてっ!)
〔エディ……〕
 あの戦禍の魔女でさえ、エディにかける言葉はなかった。エディの心の声が聞こえる幽体の魔女には、エディがひた隠しにしている彼女の本心が切々と伝わってくる。エディは何もわからぬ馬鹿ではない。何も知らぬ能天気ではない。エディは自分の現実を理解して、それでもなお、落ちこぼれという立場に居続けて堪え忍ぶ者だった。

 カルノの足下から湧きだした光の帯は、一瞬にして円を描く。それは魔方円。魔法の構成を図式にすることで、自身の幽星体(アストラル)が負うべき魔法構成の負荷を軽減する魔法媒体。それを自らの魔力を用いて描き出す。

 魔力によって即席で魔法円を作り出すという複雑な魔法過程をカルノは、ほんの一間で済ませてしまう。それも彼が『四重星(カルテット)』の実力者ということを表す証拠。幽星気(エーテル)の光変換により作り上げられた魔法円は、術者の魔法制御を補助するために、輝きを一層増していく。そして、カルノのするりと伸びた腕が掲げられる。日が完全に沈み暗闇に落ちた空を指差す彼の姿は神聖な情緒すら感じさせる。

 その指が指す空に、何かが生まれ出る。エディの『霊視』には、その何かの正体がはっきり視える。水だ。カルノの魔力に操られた水球が空に浮いているのが確かに視えた。大きい。先程放った『水撃』で使った水量などよりも遙かに大量の水が浮いている。その水球はまだまだ大きく恰幅を増していく。

 その水は一体どこから湧き出しているのか。錬金術過程を経て、空気中から作り出しているにしては多量過ぎる。その水の出自は、エディの『霊視』でも読み切れない。

〔あれは召還魔法じゃよ。どこぞの貯水池から水を召還しておるだけじゃ。魔法円による召還。あやつの得意魔法じゃろ〕

 エディの心中の声を聞いたのであろう。ユーシーズも空を見上げて言い添えた。

 闇夜の空に浮かぶ透明な水だというのに、ローズも当然のように宙に浮く巨大水球に気付いていた。彼女の顔を硬く、その白い歯が露わに見えた。

〔くっくっくっく。あの二人、さすがよの。カルノが注意を引き、『白いの』が足止めをする。そして、宙より落とす決めの一撃。上下に振り分ける連携かえ。これはなかなか見物よの。未だにあのジェルとやらは、あやつを地に引きずり込もうとしておる。上と下、どちらを防ぐかの二択かえ〕

 打ち合わせたのではないだろうに、効果的な連携をして見せた『四重星(カルテット)』の二人。阿吽(あうん)の呼吸がローズに牙を剥いた。これが学園上位四人という、エディには望んでも手に入らない高みの魔道。

 エディは舌を巻くばかりの魔法施行だというのに、ローズは苦々しい表情はするが、未だに慌てた様子はない。

 カルノの水球は遂に臨界を迎える。宙で維持できる限界まで張り詰めた巨大水球。エディでもわかる。その天より落ちてくる大水がどれほど凶悪か。

 ユーシーズの言う通りなら、その水はカルノが召還した正真正銘、単なる水だ。魔法で仮初めの現体を得た魔法でもなければ、カルノの魔力で操られているわけでもない。ただただ、空から落下する激流。それが頭上から。そう考えただけでエディは身震いする。

(あんなの、止めれないじゃない!)

〔避けるにしても、足下は泥の海じゃ。それに『沈む』のを禁じてしまっては、地を蹴ることも出来ん。体を沈めんで跳躍など出来んからの〕

 ユーシーズの見立てが正しいのか、ジェルの魔法の効果なのか、『禁呪』で地に引き込まれることから逃れたはずのローズだが、宙にある大水から逃れようとする行動が取れていない。

〈我は解放すっ!〉

 カルノの呪言(スペル)。建物一つ丸々飲み込んでも足りないという巨大水球が、ローズの頭上で弾け落ちた。

「ローズ!」

 エディの声虚しく。カルノの召還した水は、為す術なく立ち尽くすローズを飲み込む。まだ少女といってよい小柄な体は激流に飲み込まれ、かき消えた。

 水が地を叩く轟音。そのあまりの爆音に耳が痛い。水の自由落下というのは、それほどのに威力あるものとは思いもしない。文字通り滝と化した水流は、一滴残らず大地を穿ち続ける。

「そんな……。ローズ……」

 エディの声色は弱々しかった。

「避けなかった、のですか?」

 水球の逆落としが、そこまで効くとは、自身でも半信半疑なのか。カルノの言葉は曇っていた。語尾に疑問の色が残っているのは、地面に叩き付けられた水が、水しぶきを上げて辺りに薄霧を作ってしまった所為だろう。

「いえ、わたくしの『土門開開』が引きずり込んだ手応えがありましたわ」

「それじゃあ、ローズは!」

「地中で押し潰されていますわ。ブリテンの『魔術師の弟子(マーリンサイド)』でもあっけないものです。ただ、二人掛かりでないと劣勢だとは、わたくし達も修練が足りませんわ」

 と、ジェルの肩から力が抜ける。手こずりはしたが、自らの魔法が通じたことに安堵した様子だ。

(ローズ。あなたは本当に私の敵だったの……)

 意気消沈するエディは、普段から親しみ深い森の無残な姿に後ろめたい気持ちを感じた。この魔法戦で、辺りの風景は一片していた。薙ぎ倒された木々は一部が燃えて灰となり、大地は泥の池と化す。そして、宙から落ちた水は鉄砲水となって四方に濁流となって散っていった。これが魔法の力。

(こんなことをするのが魔法使いなの? 私の憧れた魔法使いって、こんなものなの?)

 虚しい。戦って傷付いて、得るものなんて何もない。これが魔法の本質だとすれば、こんなものに命を賭ける価値があるとは思えない。エディは人知れず拳を握り締めていた。

〔ほんに、詰めが甘いの……〕

 思い詰めていたエディは、ユーシーズの言葉に顔を上げる。もう経験で知っている。ユーシーズ・ファルキンの忠告はいつも正確だ。間違ったことなど一度もない。つまり、今も――。

「待って!」

 何が視えたわけでもない。とにかくユーシーズの忠告をジェルとカルノに伝えなければ。その一念で声を張り上げた。

「何ですの?」

 そう問いつつ、ジェルは『飛翔』の魔法構成を組み立てていた。エディの言葉の意味もわからずに、その得意魔法を編み込む。あらゆる状況に対処する為に、危険を察知すれば無意識に魔法構成が行えるまでにジェルは鍛錬されていた。

 しかし、彼女が『飛翔』の魔法により空を翔けるとはなかった。

〈汝等の逃遁を禁ず〉

 禁令の言。そんなことが出来るのはローズと呼ばれていたブリテンの使徒しかいない。

 『飛翔』により飛び上がろうとしていたジェルは、禁令により飛翔を禁じられ、体勢を崩して墜落する。運がいいのか悪いのか、自らが作り出した泥の池に突っ込むことで、墜落の衝撃は和らいでいた。その代償は、純白の魔道衣ごと体が泥にまみれる。

「かかかかか。いい気味だね。私の大事なスカートを泥で汚した罰さ」

「ローズっ!」

「おうよ。エディ。まさか、この私がやられたとでも思ったのかい?」

「え、いや、その……」

 まさか、自分の呼び声に返答が返ってくるとは思ってなかったエディはぎこちない。

 エディがローズ・マリーフィッシュという名だと思っていた少女は森の木の幹に腰掛けていた。

 いつの間に、そんな場所に移動したのか。それよりも、どうやってカルノとジェルの連携から逃れたのか。最もその疑問が強いだろうジェルが、泥溜まりから立ち上がって問う。

「確かに手応えはありましたのにっ! あなたどうやって!」

 純白だった魔道衣も見るも無惨、彼女の全身は泥にまみれて汚く染まっていた。

「兵を伏しておくのは基本だと言ったろ」

 ローズがその言葉を口にした、その刹那、エディ達三人の足に何かが絡みついた。

 それは木の根だった。突然地中より伸び出た物体に驚く暇もなく、動くはずもない植物の根枝が意志を宿したかのようにエディ達の体を縛りあげていく。

「何ですのっ!」

 明らかに魔法の所行に捕らえられ、ジェルは先程と同じ言葉を吐き捨てる。

「これは宿り木? ブリテンのドルイドか!」

サークル「MUYM」様の

同人ゲーム「FifteenHounds」がマスターアップを迎えました。


ジャンルはADV。

発売日は2/26です。


メロンブックス様


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興味がおありの方ぜひ手にとってみてください。



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毎週月曜疲れます-2010年年賀

あけましておめでとうございます。

昨年は色々あってなかなか作品が仕上げられませんでしたが

今年はなんとか頑張りたいと思います。


今年の年賀イラストは

どうしてもアレに……。


いや、ちゃんとツールを使って描いたんですよ。

でも、なんかぱっと見は

トレースっぽくなってしまって……。

いや、そりゃ、アレを描いたんだから

似ているのは当たり前なんですけどね。


だったら文字とかもっと凝れって話ですよね。

(違う。あれは敵、あれは敵。あれはローズなんて名前でもない。単なる敵なんだから……)
 エディは目を瞑り大きく息を吸い込んだ。風の音が聞こえる。二人の衣擦れの音。森に渦巻く幽星気(エーテル)の唸り。
 そしてエディは『霊視』を開ける。
〔なっ、主! 待て、待たんか。我は別に『霊視』を強めよとは言っておらん。やめんか、それは危険じゃ〕
 自分の失言にやっと気付いた幽体の魔女は制止の言葉を口にする。しかし。エディには届かない。視ることだけに集中したエディには何人の声も聞こえていない。
(私に出来るのはこれだけだから。これだけが私の力。魔法がろくに使えない私のたった一つの現実)
 エディは金色に輝く瞳でローズを洞見する。
(……服は、霊装じゃない。幽世に何の配慮もされていない普通の服。そう、街で一緒に買ったあの服……。肩下げ鞄の中に、何か……、あれは符? 変わったところはない私の知ってるローズの……。だったら、本人の幽星体(アストラル)? ローズの小さい体に小さい幽星体……。え……? あ、ぐわっ!)
 エディの体が飛び跳ねる。痙攣に似た震え。エディは頭痛に頭を抱えた。自分が何を視たのか、それが理解出来ない。その恐怖がエディの心に突き刺さった。
「エディさん。どうしました?」
 様子のおかしいエディを気遣う間も、ジェルはローズへの牽制を怠らない。いつでも攻防出来る、自然体の構えで少女を睨み付けたままだった。
「……なんなのあれ。なんなのよ! ローズ! それなんなの!」
「なんだ、視たのか。いや、視れたのかい。全くお前は変わった子だよ」
(止めなきゃ。ローズを止めなきゃ。彼女に魔法を使わせちゃダメ)
〔あれが奴の『代償』じゃ〕
 全てを見透かしたようにユーシーズが宣告した。
(あれが『代償』? 馬鹿にしないでよ。あれ自分の幽星体(アストラル)を魔法でくくり付けてるんじゃない。あれじゃあ幽星体(アストラル)が!)
 エディは自分が何を視たのか真には理解出来ていない。ただ、色や形と言った『霊視』に視えるもの以外のものを視てしまったのだけはわかった。ローズと名乗っていた少女の幽星体(アストラル)は確かにそこになる、それなのに希薄、命の灯火を燃やしているにも拘わらずそこにない。そんな異質な幽星体(アストラル)の中に魔法構成が見え隠れする。それが継ぎ接ぎのように幽星気(エーテル)繋ぎ合わせローズの幽星体(アストラル)を肥大化させている。その大きく膨らんだ幽星体(アストラル)は、有と無の二律性を同時にもって、生と死との狭間にある。まるで燃え尽きる寸前の蝋燭が炎が激しく燃やすように幽星気(エーテル)を廻している風に視えた。
〔逆じゃな。恐らく、ああしなければ奴は幽星体(アストラル)が保てないのじゃ。奴は魔法を使い続けなければ生きていけない。じゃから魔法が強靱なのじゃ。彼奴はいつだって命懸けで魔法を使っておる。その精神力は主ら魔法学園の学徒などと比べるべくもない。命懸けという『代償』、これはなかなか重いぞ〕
(そんなの! ……どうして、今まで気付けなかったの私? 私、ローズのこと見てなかった? 友達とか言っておいて、私、ローズのこと全く……)
「ふん。視えたのなら別に隠す必要もないが、今は私のことなどどうでもいいさ。そう、それが私さ。人にあるまじき姿だろ?」
 ローズと呼ばれていた少女の押し殺した言葉に視えていないジェルが怪訝な顔をした。
「少々お喋りが長すぎたか。三人相手となると少々骨が折れるな」
「三人?」との疑問にエディとジェルが同時に振り向いた。
「くっ。気づかれていたのですね」
 森の暗闇から男の声が聞こえてきた。
「いやいや、狙いはいいさ。兵を伏するのは基本中の基本。私がこの子達に構っているうちに、奇襲するつもりだったんだろカルノ・ハーバー?」
 ローズが視線を向けた先に皆が注目する。少し勿体ぶった間を空けて、森の闇の中から痩身の人影が現れた。疲れたような白髪。魔法使いにあるまじきホワイトシャツを着流して、カルノ・ハーバーが現れた。
「お義兄ちゃん!」
「カルノ、無事だったのですね」
「えぇ、この通り、そこの幼女魔法使いにやられてボロボロですが」
 とカルノは、軽く手を振って見せた。いつもは純白のホワイトシャツが土汚れにくすんでいた。少し頼りない線の細い容姿ではあるが、いつもの飄々とした空気をまとっている彼に、エディは安堵の息を吐いた。逆にローズは刺々しい視線でカルノを射貫ていた。
「お前自身が作った濁流に飲み込まれたはずだが、よく生きていたな」
「ええ、クルエが身代わりに」
 エディの呼吸が止まった。そうだ、いつも義兄の肩に巻き付いていた白蛇の姿が見られない。あの白蛇は昔、エディと共に山里に住んでいた頃、養子のカルノに母が送った、たった一度きりの贈り物。幼い頃から共に過ごしてきた魔法生物だ。カプリコット家を離れ独り立ちした今でも、カルノが後生大事に『使い魔(ファミリア)』として身近に置いていたはずなのに。エディにとっても馴染み深い家族同様の使い魔なのに。
「さて、先程は遅れを取りましたが、クルエの仇は討たせてもらいますよ」
 あのいつも冷静沈着なカルノ・ハーバーの瞳が確固たる意志で怒りに燃えていた。
「はは、あの白蛇に魔法補助をさせているお前が、使い魔を失って何が出来る」
「僕自身が魔法を使えないわけではない! 〈我が水よ。素は現に、意は流れ出で其を貫け〉」
 カルノが唱える呪言(スペル)は力強く、森に満ちる幽星気(エーテル)に意味を与えていく。宙に現れた一光の滴が膨らみ上がり水球を成す。そしてカルノの指先の印令に従い弾け飛ぶ。その水しぶきは大きさを増して、ローズに狙いを定めていた。
〈我を貫くを禁ず〉
 無情にも、先だってローズが例の禁令を唱え上げた。砲撃魔法に対して「命中」を禁じる『禁呪』。その効力はジェル・レインの雨のような『魔弾』を全て逸らして見せるほどのものだ。
「それはもう知っています!」
 カルノが指先の振り下ろす。魔法構成の変更。魔法の軌跡を制御するらしい指印は魔力を帯びて振り上げられる。刹那、カルノの『水撃』はローズの足下に目標を移す。
 ローズの目元が僅かにつり上がった。カルノの意図を察したのだろう、彼女は面倒臭そうに飛び下がる。
 『禁呪』により本人に命中しないことを知って、元より足下を削る為に『水撃』を放ったのだ。体に当たらなくても、足下の地面が魔法の水流でさらわれれば、ローズといえども平気なはずがない。
 ジェル・レインはそれを待っていた。
〈水気は土門に流れ九道を閉じて、彼の者の両軸を折るに至る。されば其の足を伏せしめ止めざらん。とくとく言令の解。地橋を渡して岩戸を閉めよ〉
 エディには学園でよく耳にする普通の呪言(スペル)と少し韻律が異なる。エディ達が扱う呪言(スペル)魔法と同質ではあるが、その魔術式に流れる思想は東洋の術式に通じるものがあった。
(生徒会のユキヤさんの術法に似てる。ジェルさんって、本当に全然系統の違う魔法を使えるんだ)
 今更ながらに驚きを感じる。
 ジェルの魔法の完成で、何やら地面が僅かに震えた。そこはカルノの『水撃』で森の地面が刷り取られ、辺りには魔法による指向性を失った水が撒き散らされていた。土を濡らす程度の水が、ジェルの魔法で大地を溶かし始める。そして大地はぬかるみと化して泥の海がローズの足を沈めていく。
 ローズが一つ大きな舌打ちをした。ジェルが魔法で作り出した泥溜まりは、渦を巻き始め、容赦なくローズの体を地中に引きずり込んでいく。それはまるで、亡者が地獄に引きずり込もうとしているかの如く、陰湿に足を沈めていく。それでも、ローズは慌てた様子なく、
「はは、陰陽にまで手を出しているのかい。ほんと無節操な女だね」
 と悪態を吐いた。ただ、泥の海から足を引き抜こうにも、足場が不安定では身を藻掻かせるだけだった。何か諦めたように息を吐いたローズは得意の禁令を発した。
〈我、沈むを禁ず〉
 たったそれだけで、ジェルの魔法がどれだけ地中に引きずり込もうとしてもローズの体はぴくりとも動かなかった。
 だが、ジェルはその魔法の施行を止めはしなかった。魔法制御を続けるジェルは、ちらりとカルノの方を見た。カルノも、相手がブリテンの魔法機関『魔術師の弟子』の筆頭ととなると、その程度で終わるはずがないと考えていたのだろう。既に次の魔法構成を終えていた。カルノの魔力が宙に光の粉を撒き散らし、その一粒一粒が大気に融けて波紋を作る
(光変換だ。カルノお義兄ちゃんの得意な術式……)
 相変わらず合理的で洗練された魔法構成だった。エディは魔法戦の真っ直中ということも忘れて、緑みを帯びたカルノが作り出す光の力場に見取れていた。
 エディは自身の幽星体(アストラル)に火をくべる。その怒りのままに、扱える数少ない魔法を叩き込もうというのだ。
(なんで。どうして! 敵だとかどうでもいい! 友達だと思ってたのに。友達だとっ!)
 何が悔しいのか、エディ自身にも本当のことはわかっていなかった。自分の知っていたローズ・マリーフィッシュが、ローズ・マリーフィッシュではなかったという事実がエディの心を苛立たせる。
〈汝が前進を禁じる〉
 冷酷な言葉が聞こえた。
 動かない。駆けていたはずの両の足が鉛の様に重く、全く動かない。それどころか、今まで走っていた体の慣性さえ無視して、体はぴたりとその場に固まった。
「ローズ!」
 エディが咆えても、少女は表情一つ変えなかった。
 エディが止められた場所からでは、ローズには手が届かなかった。魔力を込めた拳も届かない。暴走する魔法に巻き込むにも少し遠い。エディには何も出来ない距離。それこそが二人の決定的隔絶だった。模擬戦でも、まず接近しなければ何も出来ないというエディの戦法を熟知した禁令。足を止められれば、エディは何も出来ない。
(こなくそっ! ……だったら、魔力の出力を上げて、あそこまで届かせる!)
〔馬鹿者! 出来んことをするでない。今以上出力をあげたら、腕が燃えるでは済まん。本当に自爆するぞ〕
 意を固めたエディに、すかさずユーシーズの制止が入った。
(だって、ローズが!)
〔阿呆が、さっさと後ろに下がれ。主にとっては遠くても普通の魔法使いにとってその間合いは危ないわっ!〕
(下がる? だって私、足が動かな……あれ?)
 拍子抜けなほど、簡単にエディは後退った。
(何これ? 前には全然進めなかったのに、後ろには行ける?)
〔奴の禁令を聞いておらなんだのか? 『前進を禁ずる』と言うておったじゃろ〕
「禁令? 禁止命令を無理矢理従わせるのが『禁呪』?」
 ユーシーズの言葉から拾い集めた情報を、エディは噛み砕く。その思慮が自然と口をついた。
「ええ、そうです。恐らく彼女の魔法は『禁呪』。わたくしも初めて見ましたわ。こんなにも厄介なものだなんて……」
 エディが零した言葉にジェルの同意。それが虚しく森に響いた。
「やっと気付いたか? ここまで見せてやらないと気付かないなんて鈍いのもいいところ……、いや、エディの割には物わかりがいいと言ってやろうかねぇ。禁呪使いの私に対して呪言(スペル)魔術なんて役に立たないのさ。ほんと、お前等二人とも、さっきから鈍くさいことばかりで見てらんない。優しい私が正解を教えてあげるわ。お前等逃げるべきだったのよ。お互い尻尾を巻いて、片割れを囮にするつもりで二人仲良く別々に。「禁呪使い」の私から逃げるタイミングなんて限られてるもの。お前等はその貴重な機会を不意にした。くふふふ」
 ローズの嘲笑にエディは訝しむ。
(相手に命令を強制出来るなんて、そんな都合のいい魔法がこの世の中にあっていいの? そんなの反則じゃない)
〔くはははは。なんとぬるい考えじゃ、最近の魔法使いとは本当に平和ボケじゃのぅ。それともボケてるのはエディだけか?〕
 背後から小馬鹿にした声が飛んできた。今は、幽体の魔女の尊大な態度など気にしていられない。
(ユーシーズ。知ってるなら教えて。『禁呪』って結局何なの? 私の知っている限り、魔法はあんなに都合のいいものじゃない。魔法の『代償』について教えてくれたのはユーシーズの方でしょ?)
〔ただで我が教えると思うか。と言いたいところじゃが、とってもお優しい我が、命の危機にさらされている落ちこぼれエディに特別に教えてやろう。あれは元々は東洋の術法じゃったか。発祥は魔除けの類らしいが、山に入る者が蛇を恐れて、蛇除けの呪術を始めた。「蛇禁」、すなわち蛇を禁じる。禁じられた蛇はその者に近付けなくなる魔除けの呪いじゃ。東洋の言霊(ことだま)を使った強制魔法の一種ではある。いわゆる西洋魔術的には『強制(ギアス)』と呼ばれているものに似ているじゃろう。ただ『強制(ギアス)』はまず相手の精神を術者の支配下に置かなければならん。『禁呪』にはその過程がないの。むしろケルトの『禁令(ゲッシュ)』に近いか。ブリテンの手の者ならその流れを汲んでいても不思議ではないの。あれは術者の実力があれば禁令だけで何でも禁じることが出来るそうじゃ。無論、主の言う魔法の『代償』と呼ばれるものはある。禁じられるものは限られているし、禁じるものの大きさによって『代償』は大きくなる。なのにじゃ、何の準備もなく言令だけで『禁呪』を使って見せたあの女。かなり厄介じゃな。エディ。あの女を真に敵に回せば、場合によっては生き延びることも危ういやもしれぬ。くはっはっはっは〕
 エディは人生で初めてぐらいに、くしゃくしゃに顔を歪ませた。あの戦禍の魔女が、そこまで手放しに誉めるなんて、背筋がむずむずと気色が悪い。それ以上に、ローズが魔女に認められるぐらいの実力者であるとこうのが、エディの心を波立たせていた。
(ローズは学内序列、五十人にも入れない符術使いだったはずなのに。私と同じ落ちこぼれだったはずなのに。あれは全部嘘? 全部演技で、本当は高位魔法使いなのに、私なんかに合わせて、嘘を吐いていたの。それとも、この私の記憶も全部作られたものなの?)
「ローズ。本当に敵なの? 私たちに嘘を吐いていたの?」
 まだ、真っ直ぐ友人だった少女の顔は見られない。しかし、先程までの狼狽えた雰囲気がエディから消えていた。それは最後の確認と意を決した問いかけだった。
「それは是でもあり否でもあるねぇ。私は元から『連盟』の敵さ。だがお前等の敵というのはどうだろうねぇ。お前等学徒程度が『魔術師の弟子(マーリンサイド)』の敵になる資格があるとは到底」
「なっ! ですって? あなたが『魔術師の弟子(マーリンサイド)』の一員とでもいうのですか! 世界に数ある魔法機関の中でも実力もその特秘性も群を抜いている『連盟』最大の敵と!」
 ジェルの言葉は悲鳴そのものだった。世情に疎いエディもジェルの気持ちがよくわかる。
 『魔術師の弟子(マーリンサイド)』といえば、大陸と敵対するブリテンの国事魔法機関だ。バストロ魔法学園と繋がりの深い『連盟』とは、国際関係上、不干渉協定を結んではいるとはいえ犬猿の仲。その実体は敵性組織で、宿敵と言ってもいい。そしてその筆頭弟子である占星術師クゥヴェ・チャルノスを始め、四名をブリテン最高機関である『円卓(ザ・ラウンド)』に輩出している組織だ。ブリテンが大陸諸国を相手に敵性を保っている主原因でもある。それは、大陸相手に喧嘩を売っても挫けぬ実力が『魔術師の弟子(マーリンサイド)』にはあるということ。その構成員であるだけで、世界屈指の魔法使いという意味だ。ローズの言葉が真実ならば。そう考えるだけで身がすくむ。
「エディさん、わかってますね?」
 ジェルに念押しされたが、エディは気圧されて応えられなかった。それが逆に事態を把握したことをジェルに知らせる。ただ、ジェルが言いたかった「あなたは早急に逃げなさい」という意図は伝わっていないかった。
「ほぅ。やっと二人ともいい顔になったね。死を覚悟した顔、……ってやつかい?」
「えぇ、厄介な魔法を扱うと思ってましたけど、まさか相手が『魔術師の弟子(マーリンサイド)』だなんて、わたくしたちも本当についてないですわ。『四重星(カルテット)』を高が呼ばわりするのも納得出来るというものです。まさか『連盟』の執行機関でも手を焼いている化け物が相手だなんて」
(『魔術師の弟子(マーリンサイド)』、授業で習うような相手が敵だなんて……、それがあのローズだなんて……)
「エディさん、わたくしが時間を稼ぎます。あなたは逃げて学園にこのことを知らせてください」
 更なるジェルの念押し。エディはやっとのことで頷いてみせた。
〔くく。そう、上手く行くかのぅ。今は死なぬことを第一に考えた方が身のために思うがのぅ〕
(って、笑い事じゃないでしょ)
〔ふん。あの女を見て気付かぬか? 我が視えるのなら気付いてもおかしくはないはずじゃが。なかなか小気味いいことをしてくれる〕
 唐突な指摘。ユーシーズの言葉を聞いて、エディは改めてローズを見た。幽体の魔女は、はぐらかすことはあっても嘘を吐いたことはない。彼女が言うからには何かある。しかしエディには、ローズの姿形は普段通りに見える。今まで通りの友人の姿に視えてしまう。この期に及んでまだ、そんな甘い願望が顔を覗かせる。
 その願望を捨て去るために、エディは懸命に首を振った。