オールを取り戻すまでの話 39 | 勤続38年 ベテラン管理栄養士が提供する「病院勤めのストレスが消えて、生きててよかった!で満たされる」コーチング広場

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ずっとずっと頑張っているのに「なぜか、うまくいかない!」「何か違うかも?」「私の何がいけないの?」と迷子になっていませんか。「誰か私を助けて!」「正解はどこにあるの?」と右往左往しているのなら、私と一緒に探し出しましょう。あなたの本当の人生を!

 

 

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オールを取り戻すまでの話を

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前回の話はこちらから

 

オールを取り戻すまでの話 38

 

 

 

第1話はこちらから

 

自分の人生を引き受ける の巻

弟の紹介で行きだした妙な焼鳥屋。
そこの常連になって、いろんな人と
飲んだり喋ったり・・・
時々は車を出してもらって
焼鳥と、おにぎりと、ポン酒を持参で
スーパー銭湯へ泊まり込む・・・
なんてこともやってました。
 
 
 
夏には日本海へ泳ぎに行って
岩ガキに舌鼓を打ったり、
秋には紅葉を見に行ったり、
九州まで車転がして旅行したり・・・と
色んな事を楽しむなかで
Y氏から受けた心の痛手は
少しずつ薄れていきました。
 
 
 
でも、本当のところ、
Y氏を失った喪失感は・・・
ずっと、心に抱えたままでした。
 
 
 
 
 
そして、その当時
私にはもう一つ・・・
何とかしたい事がありました。
 
 
 
人生の目標が何もない。
私はこれをやりたい!っていう
ものも無いし・・・
これをやっている時は熱中して
時間の経つのも忘れてしまう・・・
なんていうものも無く、
ただただ毎日、仕事と家の往復。
 
 
 
家といっても、
職場のすぐ近くに住んでいたので
5時に仕事が終わって・・・
家に帰るのが5時10分くらい(笑)
そこからの時間が全くのフリー!
 
 
 
でも、何もやることがなくて・・・
焼鳥屋に飲みにいくか
テレビを見るか
近くのスーパーに買い物がてら
ぶらぶらしに行くか・・・
なんせ、張り合いの無い
というか・・・無為な時間を
だらだらと過ごしていました。
 
 
 
本当に・・・
何もやりたいと思えないのです。
そういう自分を見たくなくて・・・
そういう自分と向き合いたくなくて
結局、酒を飲むか・・・寝るか・・・
 
 
 
結婚もしない
子供もいない
趣味も無い。。。
無い無い尽くしの33歳の私。
一体、何の為に生きてるんだろう?
と、思っていました。
 
 
 
『自由』なんだけれども
全くの『不自由』な私でした。
そんな自分を変えたいと思っても
でも、どうすれば変われるのか
・・・何も解らず途方に暮れて
ただ、ぼんやり生きていました。
 
 
 
 
 
そんなある日・・・
弟から電話が入りました。
「姉ちゃん、ちょっと来て欲しい所
あるんやけど・・・〇月〇日、7時」
「来てくれる?」
 
 
 
それを聞いた私の意識は
「なんか、やばい!」
って叫んでいました。
弟に何かが起こっている。
私が弟を救わなければ!
警鐘が鳴り響いていました。
 
 
 
幼少期、私にとって弟とは
私が守るべき存在でした。
それは大人になっても
何一つ変わっていませんでした。
 
 
 
 
 
当日、弟と一緒に大阪市内の
某所に行きました。
若い男女が多くいましたが、
その中に社会人もちらほら。
私が予想していた最悪の状況
・・・ではなさそうでした。
 
 
 
1時間ほどのレクチャーを聞いたり
ちょっとしたエクササイズをやったり
笑いもあったし・・・それより何より
私がずっと悩んでいた
『自分を変えたい!という悩みの
その答えがみつかるかもしれない!』
「弟を救う」という当初の目的は
あっという間に何処かに飛び去り
私の方がワクワクしてしまう・・・
という・・・
 
 
 
そう・・・
「ミイラ取りがミイラになる」
そんな、最悪な状態に
嵌まり込んでしまいました。
 
 
 
(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)
 
 
 
「弟を救う」は私の意識の目的。
でも、私の無意識は・・・
「自分を変えるチャンスが来た!」
って、大喜びです( ´艸`)
 
 
 
弟に連れていかれたのは
「自己啓発のセミナー紹介」でした。
 
ウキィでは「自己啓発セミナー」について
80年代から90年代に流行したもので
集団心理療法等などで開発されたテクニックを
使い、自己を知り自己の可能性を実現する、
コミュニケーション能力を養うなどと謳われる
民間のグループ・セラピーの一種である
と、あります。
 
 
 
 
 
結局、私は弟と一緒に
セミナーに参加する事になりました。
私が参加したタイミングは、
自己啓発の流行が
かなり下火になりかけていた
そんな時期でした。
 
 
 
でも、まだまだ有名企業のトップが
そのセミナーに来ていたりして・・・
大阪で有名な老舗饂飩の方も
以前は社員を多く参加させていた、と
聞くこともありましたし
若い学生がその方を〇〇~って
あだなで呼んでいるのを見た事も
ありました。
 
 
 
今までの私が生きてきた世界とは
180度違う・・・
そんな『自由』な感覚が新鮮で、
あっという間に私は
のめり込んで行きました。
 
 
 
 
 
その年の大晦日。
私はまだ焼鳥屋の常連でした。
数人で近くの有名な神社に
参拝に行っていました。
 
 
 
そこにたまたま、弟と
弟が既に始めていたセミナーでの
友達数人と、ばったり出会いました。
 
 
 
すると、焼鳥屋のご主人が
「変なエネルギーの連中やな」
って、ぼそっとつぶやいたんです。
私は既にその時、セミナー参加を
決めていたので・・・
そのご主人のつぶやいた言葉を
ちょっと嫌な気持ちで聞きました。
「今から自分が入る世界を非難された」
そんな感じです。
仲良さそうにワイワイやっている
弟たちを、羨ましく見ていました。
 
 
 
 
 
年が明けてすぐに
実際のセミナーが始まりました。
 
 
 
私は結局、このセミナーを
1年間受け続けていく事になります。
その時間の中で・・・
 
 
 
阪神大震災からの1年間。
もう二度と手にすることは無い
と、諦めてしまったY氏との関係を
「なんとかしたい!」
 
 
 
・・・そう、思い始めます。
 
 
 
 
 
 
 
続きはこちらから。。。