バスの中で、老婆が降りるところを間違えてボタンを押したと言い、運転手に次のバス停だと訴えた。
運転手は快く開けた乗降口を閉じ、次のバス停に向かう。
すると老婆は言い出した。
「家通り過ぎちゃった…こんな所まで連れて来られた…」
次のバス停で乗降口を開け、運転手は優しく説明して促す。
だが老婆は納得行かないのか?乗降口のところで同じ言葉を繰り返す。
その時、大きな舌打ちが…
すぐそばに居たスーツ姿のサラリーマン。
このクソ暑いのスーツとか、次の予定とか、色々ストレスも有るのだろう。
憮然としたまま降りる老婆。
一悶着は2〜3分の事だったかな?
痴呆の気が見え隠れする老婆。
クレーマーのそれとは違う姿だった。
子供の声がうるさいとか、ベビーカーが邪魔だとか、妊婦は云々と不満を言う人が居る。
年寄りは邪魔と言わんばかりに、文句を言う人がいる。
だが…
目の前に居るその人達は、自分の生活にそれほど影響を与える存在だろうか?
少なくとも自分の人生に影響を与えるほどの存在では無い。
年寄りは邪魔云々と言っても、政治家のそれのように、私たちの生活に大きな影響を与えるほどの人達ではない。
その時、その人毎の立場やシチュエーションもある。
だから全てに寛容であれとは言わない。
だけど本人に聞こえる様に言ったり、アクションを起こすのはやめようよ…
子供達のそれは、自分達がいつか来た道…
自分だってベビーカーにのったり、元気いっぱいに声を出して遊んだ事だってあるはずだ。
年寄りのそれは、いつか行く道…
自分だっていつかは老いて、痴呆だって始まる。
その時に自分では理解出来ず、他者に迷惑を掛ける時がきっと来る。
人は産まれて、誰かに頼らなければ生きられず成長して、一人前ヅラをして行く。
そして老いて、誰かに頼らなければ生きられなくなり死んでいく。
始まりと終わりは、誰にも頼らず…
そんな事は出来ない。
健康な人、病や障害を負う人、赤ん坊や子供、成年から中年となり、老いて老人になっていく。
どんな人を見ても、どんな姿を見ても、普通に生きようとしてる人は、自分にとっていつか来た道、いつか行く道…
いつかの自分の姿を映す鏡の様なもの。
少しで良いから、余裕を持って触れたいものです。