私の育ての親の言葉であり教えなのですが…


許しという物は…被害者しか口にしてはいけない。

更生という物は…被害者が納得した時が更生した時だ。



責任には、法・社会・道義が有ると思う。

法的な責任は、懲役を務め上げたりした時だと思う。

社会的な責任は、賠償金などの被害者への対応だと思う。

道義的な責任は、今回兼近さんの様に過ちを指摘されながら向き合う事だと思う。


しかし、それぞれのルールの様な物を対応したとしても、被害者が許さないのであれば、それは責任を負った事にはならないと思う。


許しという物は、被害者の我慢の上に成り立つ物。

被害を受けた上に我慢を強いられる、そんなに理不尽な話もないだろう。

それなのに刑期を終えたとか、社会的な制裁を受けたとか、自身で更生云々と語るとか、そんな事は加害者が口にしてはいけない。

始まりから終わりまで、悪いのはただただ加害者なのだから。

加害者が罪を犯さなければ、何も始まらない話しなのだから。


悪が未来を語るなど論外です!



私は取り上げられ報道のターゲットになっている兼近氏には、一面識も無いし被害者でも無いので、彼の過去の行い、今とこれからには何も言わない。


ただ彼が取り沙汰されてる報道の中で思うのは…


どんなに悲惨な幼少期を過ごしても、どんなに厳しい少年期を過ごしても、犯罪なんか犯さない奴が大多数です!!


私はネグレクトから小2で飢えを経験し保護され、小4で社会に混じり自立するしかない生活を選択して送りました。

自分で自由に出来る本の様な物は教科書しか無かったので、義務教育期間中は教科書は必然的に丸暗記で、小中学共に1学年500人のマンモス校でしたが、学年50位以下は経験がありません。

小4から始めた新聞配達、これは罪といえば罪だと思うのですが中学からは年齢を偽り夜間や休日の土木工事で収入を得ました。


悲惨な環境が始まりであっても、子供なりに道を間違えなければ、学が無い事も、正しく金を得る事を知らずって事も無いのです。

何かをして貰える事を当然と思わず、していただいた事に感謝をすれば、子供だって道を間違えない。

義務などでは無い、差し出させた一膳の食事に涙を流す想いをすれば、小2の子供だって感謝をする事を覚える。


大人に怯え、人に怯え、神社の倉庫の下で10日ほど野良犬のように生き、夜な夜な雑草を糧として手水舎の溜まった水を盗み飲み…

小2で始まりがそんな生活でも、結婚もすれば東京23区内に家も建てた、存在意義を守る為に働いて働いて…

そんな半生でしたが、その程度の財は自身の力で得ることができた。

そこに人様に後ろ指刺される様なことは無かった。

当然犯罪行為や前科が付くような事もなかった。


育ちが大変であっても、真っ当に生きる者が大多数。

育ちが悪ければ何?

育ちが悪ければ荒んでも仕方ない?

そんなわけあるか!

育ちを言い訳に甘えるな!


私以上に辛い人は世界には沢山居る、そんな当たり前のことを思っているから、私自身の育ちや生まれを言い訳になんかしない!

こんな憤りでも無ければ、苦労話などする気にもならない。

十把一絡げに語るな!

迷惑だ!