郵便受けから届いた物を取り出してみると、その中にJPからの年賀状申し込みの分厚い封筒が入っていた ……もう、そんな時期になっているのか…… 9月に入っても30℃超えの毎日 秋は、まだ遠くに霞んでいるかのように思えたけど、カレンダーの写真は、静かな秋を感じさせる風景にかわった
年々減っていく年賀葉書 郵便料金も今秋から大幅に値上げされれば、一層、年賀状の数も減っていくことだろう 値上げされる前にと思って、手許にあるたくさんの葉書を意識して使おうとしている
あれこれ文面を考えて手紙や葉書を書き、相手に送る。いつ相手に届くかそれを読んで、どう相手が感じたのか 果たして返信があるのか 曖昧なままに(時折、出したことも忘れて)過ごす時間があるのが、それなりに楽しかった
今は、スマホを手に取れば、あっという間に相手に送れる でも、気を遣う
あまりに長い文章になったら、受け取った側は面倒くさいと感じてしまわないか
即レスポンス出来ないときは、申し訳ないと感じてしまう 正直、その短い文面で伝わるのだろうかと思うこともしばしばだ 電話をかけるにしても、相手の行動を予想しないと迷惑かなが、先にたつ
葉書や手紙を遣り取りしていた時代は、時間はかかるけど、「そんなもんだ」の暗黙の了解が互いにあったのではないだろうか 電車の座席に腰掛け、片手に自分の世界に浸る人が多い中で、車窓からの景色をぼーっと眺めて過ごすというのは少数派なのだろう 「昭和」という時代が遙か遠くに過ぎ去ってしまった
「昭和」を代表する大女優・岸 惠子さんの最新エッセイが、『91歳5か月 いま想うあの人 あのこと』(岸 惠子)だ エッセイストとしてもたくさんの本を書かれてこられただけに、やはり、その内容に引き込まれてしまう その前の『岸 惠子自伝』は、読み始めたら止まらなくなり、分厚い一冊を貫徹して読み切ったことを思い出した この本も一気読みだった が、何より驚いたのは、活字がとても大きくなっていたこと 読者層を考えれば、そうなるのだろうが……「昭和」が過ぎ去ってしまっていたことを感じた
エッセイの中に登場する俳優さんや作家さんたちも、ほぼ故人となられた その時代を知らない人には、有名人と言えどもわからないだろう 映画が全盛を極めた頃、テレビドラマがリアタイで観られていた頃までの話なのかもしれない
向こうに行ってしまわれた方々のエピソードが、ついこの間のことのように、活き活きと伝わってきた
早朝、歩いていると道端の草の露が輝いていた 「白露」の時季だ 二十四節気の言葉の意味は、時代を超えてもいきている