更新です。

 

朝から爆発していた母。

 

私も朝から爆発です。

 

帰る!

どうぞ!

何でそんな言い方何?

何が?

朝から偉そうに…ほんまにいい加減にしやー

朝から挨拶前に怒ってるのは、お母さんやろ?

あんたが説明もせんとはぐらかしてばっかりやし!

何を?

そんなに嫌いなんや!

そうやな!昔から嫌いや!

分かった!出て行くわ!

どうぞ!

 

そして、布団に倒れこみ泣きじゃくる母。

 

精神的にMAXのストレス。

 

そんな中、母が以前にお世話になった病院のケースワーカさんに電話をしました。

 

今月、受診をしている病院。

 

医師に近況を話し、父の事も伝えました。

 

何かあったら相談しなさいと言われていました。

 

ロングショートスティが利用できなくなった事、娘や私に対して攻撃的に話すようになって来た事、いつ飛び出すか分からない事、父が出て行き私一人で介護している事、家族全員が疲労困憊になっている事、無年金・無収入の母を経済的に全部看るのはきつい事など話しました。

 

その電話の最中も怒っている母。

 

電話を切ると…

 

私の悪口言って楽しいやろ!

・・・

出て行くわ!

どうぞ!

もういい!

 

医師に相談して入院するのか決めてから電話をします。と言われ切りました。

 

数時間後、電話が鳴り部屋が空き次第に入院が出来るとの事でした。

 

薬の調整などを経て施設に入所の形が取れるとの事。

 

入院中に施設を探し、退院の目処が立ち次第に入所が出来るようにしましょうと言っていただけました。

 

それまでは、在宅でお願いしますとの事。

 

その言葉を聞いていないふりをして聞いていた母。

 

私がそんなに邪魔なんやな!分かった!出て行くわ!

どうぞ!

あんたは、いい加減にしいや!

いい加減にするのは、あんたの方や!朝から人に喧嘩売って楽しいの?帰るんやったら帰ったらいいやろ?ここは、刑務所ちゃうねん!止めへんやん!

もういい・・・私が邪魔やねんなぁ

 

そして、泣く母。

 

もう、神経が参ります!

 

大声でののしり合う。

 

昔から

 

私は、母が大好きでした。

 

弟が生まれ、祖母が私の世話をしてくれました。

 

母は、いつも忙しそうにしていて私が話しかけると

 

おばあちゃんのとこ行き!

 

この言葉に私は、弟が悪いと思いました。

 

母が居ない時、弟を叩いたり、意地悪をしました。

 

すぐ泣く弟

 

母が戻ると弟の様子を見て私に言います。

 

ほんまに意地悪な顔してるわ!かわいくない!何でこんなに意地悪なん?

 

小学校に入ると祖母と母が喧嘩している姿をよく見ました。

 

ほぼ、母が祖母を罵っている場面を

 

もう、おばあちゃん会えないと思うけど元気でね!

えっ?

 

母におばあちゃんと仲直りして!と頼むと

 

そんなにおばあちゃんがいいならおばあちゃんちの子になり!いらんわ!

 

子どもの私は、着替えを入れてバス停行きます。

 

後ろから母が追って来てビンタされました。

 

ほんまにあんたって子わ!

 

ヒリヒリする頬をそのままに部屋に戻り泣きました。

 

何回もそんなことがありました。

 

私は思春期に入ると反抗期も重なり、母とぶつかることが多く家に寄り付かなくなりました。

 

たまに顔を合わすと

 

いいね!何にも手伝わんと楽して!

うるさい

何?その聞き方 弟は、優しいのにあんたは意地悪やな!はぁー

 

その母が嫌で死んでほしいとまで思う事もありました。

 

何も言わない父の方が好きでした。

 

でも、父は物心ついたころから家にほぼ居ません。

 

飲み歩き、博打をして女性宅に入り浸る

 

そのストレスを私に晴らしていたようです。

 

高校を卒業して専門学校に行くと母の更年期に重なり

 

死にたい…消えてしまいたい…あんたは、いいなぁ 何もせんで

 

家に帰ると鬱状態の母が病院にも行かずに私に言います。

 

親なので弟と交代で家に居て母に寄り添いました。

 

でも、自分が調子いいとうっとおしいと言わる状態。

 

就職と共に家を出ました。

 

仕事をするとお金の無心が始まりました。

 

それまでも勝手に貯金箱のお金を使われていたり、預けたお金を使われていたりしていました。

 

職場にお金の催促をされました。

 

本当に消えたいと思う毎日でした。

 

親が理由も言わず、何に使うお金か聞きともういい!と怒って電話を切る状態。

 

でも、捨てられない人情。

 

お金を持ち、家に帰る日々。

 

そして、突然の家の倒産、夜逃げ

 

自分の故郷も生まれた場所も何も聞かされないままなくなりました。

 

仕方ないやろ!が父の言葉。

 

その両親の最期を看ようと思ったのが間違いでした。

 

変わらない両親。

 

マイナスな空気は、家族全員に影響が出ています。

 

あまりに不穏なので買い物に気分転換を兼ねて出かけよう!と思いました。

 

パパと双子妹に声をかけ、準備をする中

 

私にパパが上着を取って欲しいと言いました。

 

これ?

違うやろ!

自分で取ったらいいやろ!

何がやねん!

 

言い合いになりました。

 

出かける気がなくなり、ヒステリーを起した私。

 

出かけへん

・・・

 

ガソリンを入れに行ったパパ。

 

涙が溢れ、家族崩壊するんや!と思い情けなくなりました。

 

その横で母がオロオロ

 

戻って来たパパがポストに入っていた郵便物を私に渡して…

 

ごめん 何か泣けて来た

 

廊下に出て泣くパパ。

 

ごめん しんどかったら離婚してもいいよ!私、お母さん連れて出て行くし

何か泣けて来たわ!でも、お前の為に頑張ってるねん!離婚なんか考えてない!この状況を何とかしよう!協力するしな

 

二人で泣きました。

 

涙が止まりません。

 

家族全員、母の事を思い考え何とかしなければと思ってくれている。

 

夫婦喧嘩を始めてみた双子妹。

 

買い物に行かない!

 

本当に申し訳なく思い、涙が溢れました。

 

家族を犠牲にして、介護をしていた私。

 

家族の協力がなければ、両親との同居などありえない状態。

 

パパのやさしさに感謝をしながら、母の今後を話し合っていきたいと思いました。

 

母の為にも安心して暮らせる場所。

 

昼間にお風呂に入った母。

 

何度も不穏になり、あきらめない!引き下がらない!私の声かけにおれました。

 

でも、1週間ほど入っていない母。

 

お風呂に入り、洗髪も促しました。

 

上がると満面の笑み

 

嘘のように落ち着きました。

 

体の汚れも不穏の1つ。

 

自分の感覚がマヒしている分、体の汚れ、下着の汚れなどにも敏感に反応することがあります。

 

戻ってから初めて、安定した気持ち。

 

でも、1日の中で私を覚えていられる時間が短くなりました。

 

母の穏やかに過ごせる場所を探すことが私の最後の使命の気がしてきました。

 

仕事に行けず、収入がない私。

 

年金、国保の支払い期限が近づく不安。

 

止められない生活。

 

不安だらけの未来。

 

母の事が落ち着いたら頑張ります!