建設会社や職人の役目とは、なんだろう、古い業態であるのは間違いないと思う。

地域に根を張って、地域の防犯や災害の復旧、街の発展を下支えしてきたのだと思う。
又、労働者の受皿にもなっていた。
そして、街が活気付き建物の維持管理も担っていた業態であるのは間違い無かったはず。

少なくても約20年位前までは少しはそういう動きもあったかと思う。

しかし、現在はただの営利目的の会社組織となってしまい、廃業と創業を繰り返し、建てるべき建物も建てず、建てなくて良い建物を建てて、なりふり構わず建設と解体を繰り返している。
周囲に住む人達もそれを静観している…

少しずつ街の様が変わっていき、いつの間にか、駅前にはどこも同じ様なビルが建ちお馴染みの店の看板が並び、駅から少し遠ざかると、賃貸マンションが建ち並んでいる。

そこには、風情等は一つも感じられない。

街の建設会社が成り下がり無能化した結果である。

日本で有数の大手の建設会社が、町の行政や鉄道会社と話し合い、その街の風景を決めていく、それに取り残された場所は、その建物を、見よう見まねで小さな建設会社がスケールダウンしたものを建てていく。

どこかで建物を改修してビジネスモデルが成功したら同じ様な改修をして、自分の進めた計画を正当化しようとする。

もう少し待って、高い所から周りを見渡し街並みや風情を尊重して、そこに溶け込む建物を建てていきたいものです。

労働者に対しても、スーツを着たサラリーマン、職人と単純労働者との区別を付けずに労働基準法で縛った挙げ句、腕の良い職人が育てていけなくなってしまった。
その結果、建材メーカーが大手の住宅会社と話し合って決めた、スタンダードが主流となり、職人不要の業態に退化させてしまった。
今の建材は、まるで通販の組み立て家具並みに簡単な物である、職人とは、それらを如何に早く梱包を外し、組立出来るかと言う事を競っている。

建材メーカーや住宅メーカーの采配が及ばない左官やタイル職人、屋根瓦職人等は災害がある度に、問題化され、なるべく現場から排除しようとする動きが多い。

確かに県庁所在地である熊本の地震で、死者が二桁とは、それらの簡易的な建物の恩恵かと思われる。建材メーカーや住宅メーカー、大手のゼネコン等が地震に強い建物を造ってきた努力の現れかと思われる。

しかし、本来は職人達が知恵を絞りその地域に見合った、堅固な建物を創造するべきであったと思う。
今、目の前にある仕事で精一杯の彼等はもうその力は無くなってしまったのだろうか?

これは私の考えとして、頭の隅に入れながら日々の業務に勤しんでいこうと思う。

熊本城の隅の石垣を思いながら…