どうも瑞雲です(๑'ᴗ'๑)/

今日は阪神淡路大震災から27年目です。

まずは亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

私も被災者のひとりですが、幸いな事に身内で亡くなった者はおりませんでした。
毎年思うんですが、なんで阪神淡路なんですかね?
被害の中心はほぼ神戸なのに。
震源地が淡路だから?
名称の付け方って不思議ですね。

私はあの日の朝、地震が来る前から目が覚めていました。
いつもなら目覚まし代わりにお風呂に入っている時間だったんですが、その日はなかなか起きられなくてお布団の中でグダグダしてて、うつ伏せで枕に顔を埋めてもう起きなきゃなぁとか考えてたら、下から唸り声のような音がしてびっくりして枕から顔を離しました。
なんだろうと思いながら枕を見ていたら

ドン!!!

ものすごい衝撃とともに多分布団ごと体が宙に浮いていました。

そこからはまさにスローモーションのようで。
幸いにもその後の横揺れと本棚の向きが逆だったので本棚が倒れてくる事はなかったのですが、上から本がどさどさと落ちてきて、段ボールに入れていた本が段ボールごと落ちてくるのが見えたけどゆっくりだったので頭を庇う事ができました。
何が起きているのか分からなくて、揺れている間はパニック状態。
もうホントに何もできない。
体感的にはすごい長い間揺れてたように思います。

1月の朝6時前なんてまだ暗いと思うんだけど、なんか部屋の惨状とかものすごく記憶に焼き付いてる。
私の部屋を出て直ぐが台所で、床は割れた食器の破片で埋め尽くされ、ガラスの破片の中からスリッパを探し出していたら父が「大丈夫か?!」と床の間から飛び出して来て「うん、大丈夫! ねえこれってなに?! 地震?!」と確認するけど、それまで関西は大きな地震は起こらないとされてたから地震に関する知識なんて無くて父も「分からんけど…そうちゃうか」と。
床の間を覗くと震えて母にしがみつく妹と「大丈夫?! なんともない?!」と心配する母。
無事な様子にホッとして「あ?!!」と思い出す。
弟が起きてきてない!!
慌てて隣の部屋の襖を開けたら倒れている2つの衣装ダンスとの間で倒れている弟。
サッと血の気が引いて「○○ちゃん?!!」と駆け寄ったら……………………寝てた。

揺さぶり起こしたら寝惚けながら「なに?」と不機嫌。
「なに、ちゃうわ! 地震!!」
「……は?……うわっなんでタンス倒れとん!」
「だから地震!!!」

これは今でも語り草ニヤリ

いつもはタンスが倒れている場所で兄が寝ており、もうひとつのタンスの場所で弟が寝てたんですけど、この時兄がスキー旅行に行っていて不在だったため、部屋のど真ん中で寝てた弟は下敷きにならずにすみました。
それから前の日にお風呂の水を抜いておくのを忘れていた事もとても助かった。
特にトイレ。
それから私、生理がひと月止まってました。
これも助かった。
生理が来てから止まってた事に気が付いた。

大災害に遭ったけど、その中で起こる幾つもの奇跡に自分たちがどれだけ守られているか。
何年も経ってから思い知った。

あの地震にどんな意味があったのか今も分かりません。
今思うと数え切れないくらいの御守護があった事が分かるのですが、大切な人を亡くした人にとっては、そこにどんな意味があろうとも納得できるものではないでしょう。

神様がなさる事は、時にとても残酷で、でもその中には幾つもの御守護があって、恨んでいいんだか感謝していいんだか分からなくなる。
たとえそれが必要な浄化作用でも、辛いものは辛い。
でも、そこで不平不満を撒き散らすと、また霊界が曇って更に強烈な浄化作用が起こり得るわけで。

人は死ぬまで生きなきゃいけないから。

生きるって究極にシンプルなんだけど究極に難しいですね。

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