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大学院生航海日誌

日々の雑感、様々の事象の考察を
つづっていきます。

昨日19日の日経で掲載されていた地熱発電に関する記事の紹介です。


日鉄鉱が豊富な地熱資源の利用を進めようと、鹿児島県にて新たな発電所計画を計画し、

新エネルギー・産業技術総合開発機構から調査井戸を03年に借り受けたものの、

プロジェクトは暗礁に乗り上げたままとなっている。

なぜそうなったのかに関する記事です。


すなわち、

現地の観光関係者(温泉営業者)から、温泉資源への影響(湯量・泉質)、温泉地ゆえ

景観への影響を懸念し、反対の声が上がっているためという説明です。


温泉法に基づき開発業者は、当該県知事の許可を得る必要がありますが、

上に書いたように現地の関係者の理解が得られていないため、県側も許可を断行するという

わけにもいかずで、

結局開発はたなざらしになっているとのことです。


温泉法

第三条  温泉をゆう出させる目的で土地を掘削しようとする者は、環境省令で定めるところにより、都道府県知事に申請してその許可を受けなければならない。

某先生が、
「市民間で利害対立が存在する場合、板挟みにあう行政は身動きがとれなくなる」
と言っていましたが、
地熱発電の開発においても、こういったことがベタに観察されるんですね。

無事に終了。


ファシリテーションがほとんどの内容でしたので、

会場設営以外はほとんど仕事なしで、会場近くの休憩スペースで談笑。


面白かったのは、

現在、東北各県で自然エネルギーのプロジェクト始動に関わられているドクターの方の話。


結論から言うと、いわゆる自治体における消極的セクショナリズムの話です。


まず自治体の現状としては、

従来地域のエネルギー(電力)政策が、国と自治体の専売特許であったため、

エネルギーを専門に担当する部署が存在していない。


そこで、自然エネルギーのプロジェクトを持ちかけても、

自然エネルギーだから温暖化対策課が受け持つのか?

いやいや雇用創出事業でもあるから産業振興課ではないか?

というどっちつかずの状況になるらしく、両課の連携も(外から見ると)悪く、

結果的に事業開始がずれこんでいるとのこと。

他自治体では、新エネルギー担当部署を設置する例もあるらしく、そこの差の決定要因は何なんでしょうね。


なお、スピードを期待するならば、トップダウンが期待されますが、

一般論に過ぎませんけど、首長選挙の時期がからむと厄介になると考えられます。

トップダウンで指示がきても、引退時期が近く、新たな首長になれば、大きく政策も変わるので、

ここは静観しておこうとの判断が自治体職員側に働くためです。



さて、さきのプロジェクトの話に戻るとどうやって動かすかと言うと、

「教授」という権威が有効らしいです。


職員としても、自分個人の意見でなく、権威のある方の意見だから、組織の理解も得やすいんでしょうしね。


「理系の世界の、文系の話」。

城山先生がはまる理由もなんとなく分かりました。










池井戸潤著『果つる底なき』を読了。



集中できない環境で読み始めたということで、

本に全然入り込めず。


最近の売れっ子作家ということで期待値を高めて読んだが、

この本はその作家さんの駆け出しの本なので、まだ粗削りの時期かとい感じ。


友人は、空飛ぶタイヤを絶賛してましたが、そちらはどうなんでしょうか。











『教育改革のゆくえ』小川正人著について。


地方分権の行く末を案じるならば、

地方には行政責任だけ押し付けられて、国はその財政責任を撤退させていくという最悪のシナリオが存在する。

そして自治体にはそれぞれで財政力格差があるため、国の財政的支援がなくなった領域において、

行政サービスにおける地域間格差が生じているという実態を明らかにした研究。


おもむろに手に取った本ですが、いい時期に出会えたなと思います。
















NHKの番組です。

血縁にはありませんが、私の人間関係のうちで相当に近い関係にある人の問題でもあるので

自然とチェックしていました。


従来、障害を持った人自身(障害の中身)やその親の苦しさをフォーカスしたプログラムは多い

ように思いますが、

本番組は、兄弟姉妹に障害を抱えた人=「きょうだい」に注目した番組で、その視座の重要性には

実体験からしても非常に共感するところです。


その人たちの抱える苦悩は、やはり当人以外には分かりえないほど辛いものだと思います。

親は自分ではなく、障害を持った兄弟姉妹の面倒につきっきりで、自分の方を向いてくれない、

結果、いい子を演じて、なんとかこっちを向いてもらおうとする、

いい子を演じることのできる子はまだよいかもしれない、

そうすることができない場合は、過剰な自暴自棄を創出し、こちらへの視線を強制的に生み出す

というケースもあるだろう。


意図的に創出しうるなら、まだよいのかもしれない。

学校に行けば、フツウな家庭に暮らす同世代の人々を目の当たりにし、正気でいることすら難しくなる。

不登校を助長する。真面目に、フツウに生きていくことが辛くなってしまい、「なんかもういいや」と

線が切れたように脱力するだけの時間を過ごしてしまう。


見るのが本当にしんどい番組でした。


しかし、この番組は本当に必要な番組なんだとも思います。


その人たちになにか直接に提供するなんて上からの目線でなく、

世の中に自分と同じ気持ちで苦しんでいる人たちがいる、という感覚を当事者に持ってもらえれば。

そういう形で、埋めることのできない距離を分かりつつも、少しでも寄り添いたい、という作り手の優しさ。


ディレクターどなたなんでしょうね。優しさが十二分に伝わってきました。


阪大学長でもある、鷲田清一さんの言葉が思い出されます。

「いるというのはゼロではない、何かをしなければプラスにならないというわけではない」


大学二年の時にこの格言に触れましたが、

時間がたっても思い出される言葉というのは、本当にいいですね。


これをどれだけの人が見ているんだ、という蛇足の批判は受け付けません。


直接の当事者たる人間が見ている場合は少ないだろうが、周りにいる親・学校教諭・NPO関係者・

行政の事業担当者等、

視聴者各層は十分に想定され、その人たちの意識としてこの問題が認識され、

直接の当事者への問題解決に役立ちうる。


視聴率どうのこうのという議論は今日のところは撤退願います。