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大学院生航海日誌

日々の雑感、様々の事象の考察を
つづっていきます。

山田洋次脚本・監督『学校Ⅲ』を鑑賞。



リストラにあった中高年の職業訓練校での職業訓練を経ての再就職までのストーリー。


ある女性が後半の後半には中心人物となるが、

障碍児の子供を持ち、また自身が乳がんを患うこととなるという脚本になっており、


あまりに、この「事実」は重い。










山田洋次脚本・監督『学校』を鑑賞。



夜間中学における、生徒と先生との交流を描く作品。


夜間中学の説明として、知恵蔵によると、

第2次大戦後、経済的理由で義務教育を修了できなかった者を対象として、1947年に大阪市立生野第二中学校で「夕間学級」の名で始められた。「夜間学級」の名称では、49年に神戸市立駒ケ林中学校に開設された学級が最初。2001年現在、35学級、3125人になっている、とのこと。


なお、夜間中学が担っているもう一つの役割として、中国からの帰国者、難民、結婚などによる日本在住の外国人、といった人たちへの生活のための日本語学習がある。90年代の傾向として、外国人生徒の増加が挙げられる。

ということで、本作品にも多くの中国語使用者が描かれていたところです。


制度の話はさておき、中身的には、

本作中の、田中邦衛演じる「いのさん」に関する脚本部分は特に印象に残りましたね。


この「いのさん」は、最初に書いた経済的理由で義務教育を修了できなかったという類型に

属します。本作後半で病に倒れ亡くなるのですが、

それを受けての、生徒たちの会話から、以下抜粋です。


『a「いのさんのどこが幸せなんだ。50すぎたおっさんが汗をかきかき、ひらがなの勉強して駅名読める

ようになって何が幸せなんだ」


b「死んだ人をそうそう言うもんじゃない。俺は幸せだと思って死ぬんなら、それでいいじゃないか」


a「全然よくねえよ、もっと恨めよ、世の中をよ」』

そう、親の財力がしっかりしていたならば、義務教育システムが確立し、学校に行くことが当然の

時代だったならば、自分を取り巻く環境がもっと恵まれたものだったならば、

字なんて当然に読めて、フツウに社会で暮らしていたはずなのに、もっと世の中を恨んで当然なのに。


にも関わらず、

「いのさん」は学校での生活を本当に楽しんで過ごしている。


社会的に見ればカワイソウな主体が、学校生活を楽しみながら過ごしている。

このギャップは何なんだろう、という感じなのです。


居場所なんですねえ、そこが。彼らにとっての。という山田監督の結論です。


どういうきっかけで作品に着手したのか分かりませんが、

この部分は、生徒の複数あるストーリーの中で最後に配置し、もっとも主張したかったことの一つなんでしょうね。














三谷幸喜脚本・監督『ラジオの時間』を鑑賞。



よくこういう筋書き思いつくなあと。


笑いあり感動ありを詰め込んだ作品、

ラジオドラマ最後のエンディングのおかしさはあるだろうが、もともと「おかしな」筋書きになってるから

それも許容範囲。もはやギャグとしての部分。


ただいずれの役者さんもその演技力が確立された方なので、

最後まで楽しめるが、キャスティング次第では、失敗作になったかもしれないとも思える。


結局、三谷作品の良さは、内容もさることながら、配役の失敗のなさでもあるのか。












○ミエールは、震災後、沖縄産の米を置いた。

消費者心理に見事に対応した合理的な行動だが、


そこには何らの自負、矜持もない。











しばらく部活に参加していませんでしたが、

時間があいた分、後輩の方々がどれぐらい技術力を高めてきたか楽しみな一日でした。


結果的には、

成長度合いは人それぞれという全く以てベタな結論に過ぎませんが、


結果を出してるある後輩の意欲・実際の練習量は、

(高慢ちきに聞こえそうで心苦しいですが…)、学部3年当時の自分の練習量に匹敵するものでした。


当時の自分はほとんど毎日という自主練をこなしていたわけですが、それは

勝利という結果が至上命題とされるキャプテンという重責を負ってのある種の「外圧」が作用してのことでした。


しかし、上に書いたある後輩はまだ2年生で、

当時の自分とは違って、強く・巧くなりたいという「自発的な」意識に基づき自主練に励んでいると思われ、

そのことにはまったく以て感嘆するのみです。


授業の準備で若干しんどさを覚えつつの参加ではありましたが、

非常にいい刺激を受けた一日となりましたね。


追伸

審判しただけで、太もも裏に違和感を抱えるというなんとの脆弱な身体に万歳。