最近のブログは、自由民主党総裁選の話ばかりだったので、今回は、台湾のある「道」について記したいと思う。さて、この写真は、台湾台中市台湾大道一段にある「道」だ。


 では、私は「歩道」を歩いているのか、それとも「私有地」を歩いているのか、はたまた露店の前を通っているのか。結論から言えば、これらの全てである。この構造は【騎楼】と呼ばれる。建物一階の街道に面した部分が「半公共」的なスペースになっており、二階部分が張り出て、屋根のような役割を果たす。


 この写真の右側は完全な私的空間、中心部は凖公共空間、左側は公共空間を形成している。加えて、この構造は各自治体において、明確に法規定がなされている。例えば「台中市建築管理自治条例」第17条に、「都市計画内の幅員7m以上の計画道路、歩道、広場に面する建築敷地は、騎楼または無遮簷人行道を設けなければならない。」とされる。


 台湾を歩くと、「ここは歩道なのか?」「あれ?なんかお店の中を通ってる?」などと不思議に感じることがある。この「違和感」を感じられるのが、海外経験の良いところである。そして、この【騎楼】が公的空間と私的空間の「曖昧さ」を生み出し、無意識のうちに、公的領域への接触を促す役割があるのではないかと考えている。


 さて、今回は台湾にある「道」について記した。単なる「道」ではなくて、公私の「曖昧さ」を生み出し、公共的領域への接続に寄与するのではないかとの仮説を提示した。今後、さらに研究を重ねていきたいと思う。


 最後に、昨日オンラインにて一橋大学言語社会研究科のシンポジウムに参加した際に、興味深い話があったので以下に共有したい。


 大阪大学の教員によれば、全国の大学のシラバス調査によると、日本の大学にて「台湾」という言葉が科目名に含まれる科目がほぼないそう。「台湾」は、東アジア研究などの枝として捉えられていると。また、別の教員(一橋大学)によれば、東京外国語大学において、「台湾出身の先生が台湾語を教える科目があったが、その科目名は『福建語(台湾語)』であった」と述べていた。一方、拓殖大学では、『台湾語』と表記されているとのこと。


 さらに、台湾研究の権威、若林正丈先生(早稲田大学名誉教授)と並ぶもう一つの柱で文学者の松永正義(一橋大学名誉教授)は「天安門事件によって、中国への失望が広がり、それ以降『中国への反発』『中国への嫌悪』の裏返しとして、台湾への関心が高まった」と分析された。また、現代日本政治の病理として、「現地を知らないままに現地を語ろうとする」ことを挙げられ、非常に共感した。


 昨今、「台湾有事」が非常に多く議論される。しかしながら、台湾に留学した者の所感としては、「台湾人は台湾という地で、普通に恋愛をし、普通に失恋もして、なんら日本人と変わらぬ生活を送っている」。確かに、兵役義務(4ヶ月から1年に延長)や国防訓練がある。しかしながら、だからといって、常日頃から大陸に対して脅威を感じている様子は受けなかった。日本における、台湾有事の報道激化は、異常性を感じざるを得ないなと帰国後考えることが多い。


 私は、日本を、そして台湾を心底愛する者として、日台関係の深化を望む。そのためにも、地域研究としての台湾研究がさらに充実したものとなることを強く望む。加えて、「総合知」が叫ばれる中においても、文系軽視が蔓延る現実を是非とも打破したい。