誕生日に色々と思った事を書き残す🥹


誕生日には、夫と旅に出た。


父の四九日もまだ過ぎて無い。

悲しみはまだ時に深くわいてくるけど、少しづつ少しづつ無くなっていく。

日にちが薬とはよく言ったものだ。


誕生日は、産んでくれた両親に感謝する日でもある。


旅先で出てくる気持ちは・・

神社に参拝しながら、温泉に浸かりながら、美しい瀬戸内海を眺めながら、大いなる守ってくださる存在たち、大自然への感謝の気持ちが湧き上がる。


そして亡き父に、そして亡き母、家族への感謝の思いも湧きあがる。



『豊子』という私の名前は、一生豊かでいられるようにとの願いをこめて両親がつけてくれた。


子どもの頃はおばあちゃんみたいなこの名前が嫌いだったけど、今では大好きな名前。


幼少期は裕福ではなかったが、それを感じさせないくらいに愛情いっぱいに育ててくれた。


母は洋服は全て手作りで、父は仕事用のボンゴ車で、今でいう車中泊。

夜に出発してあちこち家族旅行に連れて行ってくれた事を思い出す。


今は夫と仲良くこうやって、楽しく日々を過ごせていること、健康な身体でいられることは小さな奇跡でもある。


今まで介護や子育てで大変な時期はあったけれど、『豊子』の名前通り、お金に困ったことは一度も無く、金銭的にも精神的にもとても豊かに過ごす事ができている。



全てに感謝の思いしか出てこない🥹


両親、私たち夫婦も旅好きでもあり、母が生きていた頃にはハワイ、四国、九州、関西と。

父だけになっても横浜、東京、山梨、山口、九州と、何泊も共に旅行に連れて行ったくれた。

父を娘の私が引き取ることにも賛成してくれた。


介護を考えて部屋は全て手すりをつけて、ドアは引き戸に。

部屋からすぐトイレに行けるようにも改装してくれた。

今は私たちが助かっているけどね😅


そのお陰もあり、父は娘の私と過ごした6年間はとても楽しかったと思う。

父は笑顔の写真ばかり。


車椅子になったら施設に入れてくれと言っていたから罪悪感無く施設に入ってもらい、「口から食べられなくなったらおさらばじゃ」と言っていたから、罪悪感無く老衰で見送る事ができた。


こうやって父が亡くなった後も、豊かに楽しく旅先で誕生日を祝えて、湧きあがるのは感謝の思いばかり。


夫は精神的にも経済的にもいつも支えてくれた。

口が悪くてキレやすいところが玉にキズで、旅先でもよく口喧嘩にはなるけどね😅


そんな夫に良くついて来たものだとずっと思ってきた。


だけど、思いかえせば・・


夫の母であるお姑さんを15年も在宅介護したのは良いけど、介護しながら始めた訪問販売のご褒美旅行に、子供達を置いて毎年海外に1週間も出かけたり。


「ショートステイした時は好きにしていいよ」という夫の言葉に甘えて、ミャンマーや、カンボジアに1ヶ月もボランティアに行くし。


セラピストとしての仕事を始めるときは、勉強の為には北海道や、沖縄まで行って学びたい人から直接学ぶ。


リトリートでセラピーの仕事の要望があれば、これまた北海道から九州まで全国各地を飛び回る。

アメリカにも毎年行かせてもらってた😅


夫の実家に移住してからは、流石に地に足をつけたよ。


とは言っても夫の地元というのにやりたい放題😅


地域活性化プロジェクト『くまの元気会』をたちあげたり


地域の方々と高齢者のために惣菜作りを始めたり。


友人とカフェを始めたり。



自宅に講師を招いてワークショップやイベントをしたり・・



まぁ、こんな破天荒でオラオラと突っ走る妻によくぞついて来てくれたよね😅


写真を整理しているとよ〜くわかった🤭


私がついて行っていたのでは無くて、よくよく考えると夫がついて来てくれてたんだよね😆


今でこそおとなしくはしてるけど・・


いやいや、夫にキレられると逆ギレし返す強さも培った💪


だからこそ、今ではとても仲良くやっていける🥰


何よりも沢山の方達に助けられ、支えられて来たんだなぁと🥹


人生、思い残す事なし。

と言ってもこういう人は長生きするんだろうなぁ・・😅