障害学の勉強をしましが、あまり覚えられませんでした。 | アホのメモ

障害学の勉強をしましが、あまり覚えられませんでした。

障害者の事についての本を読みました(勿論読破していません)。ブログを書くというのは、自己の勉強の為にも良いと思っているのです、書くネタを探す事で自ずと何かを研究しだすのではないか、そんな期待もあります。どうせい造園のコースに入っているなら、そっち系統のブログを書いて少しは勉強したらどうかという意見もありますが、どうも、色んな知識に浅く手を付けて集中力が持続しない感じがあります。


まず、ブログに書きたいテーマを思いつくだけ上げてみると

・障害について(精神・知的・発達系)

・車についての知識(何も知らないから壊れそうだと不安が増大している)

・ブログのアクセスアップの仕方やお小遣いサイト系について

・自己紹介的なもの(紹介できることが無いです)

・造園・園芸について(習ってるけど専門的なことは殆ど知らないです)


タイムリーなキーワードを使った方がアクセスは上がるのではないか、それはなんとなく知っています。でも、検索エンジンの上位に引っかかるには、なんか登録するとか、分かりませんね。ある本を読んだ記憶を呼び覚ますならば、色々な事を書くよりも一つの事に絞って書き続けるという事、というのもありました。書いてあることが散漫だと、情報を求めてやって来る固定読者が付きにくせいでしょうか?

でも、一つのテーマで書き続けるほど、学者のように研究してるものは無いので、散漫になってしまうかもしれないです。


まあ、アクセスが増えても増えなくても、僕の研究と気持ちの整理などに有効活用していきたいです。


障害についての本を読んだけど、思い出せないのですが、情緒障害、発達障害、精神障害、などの部分を読んでみました。自分に当てはまる部分がある気もして読み進んではいたんですけどね、読んでて因果応報?とでも言えるようなものを感じました。まず、子育ての時に、親子2人が関わると3人以上の人付き合いを学べるとかもあって、自分は1対1なら、声が小さいとかよく言われるけれど、コミュニケーションできない事もない気がするのですが、3人以上なると、なんかどうしていいか検討が付かない感じになるんですよね、2人だと話す人が自分と相手しか居ないから、複雑性もないし、そのせいだろうか?


それで、因果応報という部分を感じたという件についてですけど、障害学とでも言えばいいのでしょうか、教科書的なものには、原因があって結果がある、みたいに書いてあって、例えば、こうゆう風な障害になると放火とかの犯罪や反社会行動に出やすいなど、系統化されたものを書かれてあるじゃないですか?発達心理学とかそうゆうのを勉強している人にとって、ニート、引き篭もりも因果応報的な部分もあって、責めるに値する事ではないという結論に達しないのだろうか?


多分、その考えで行くと善も悪も罪が無いて話になって、社会的混乱を招くからこそ、道徳というのを作って教え込んでるんだろうか?だとすると、そこで、因果応報で引き篭もっている人にバッシングして、「社会の屑」と吐きすてるような言葉を掛けたりしていたとしたら、どうだろう。以前、テレビで引き篭もりの人に対し、芸能人が滅茶苦茶言っていたりするのを聞いた記憶もあります、その人に、発達障害があったか、無かったか、見極めはそう簡単に付かないけれど、あったかもしれないわけで、その人には無理な事だったかもしれない可能性もあるわけですよね。


そうなると、疲れ果てていた障害者を罵っていた、といっても過言でも無い気がします。 ちょっと、今日は暴走しはじめたのでこのへんで、実は、自分の頭ではまだ、よく分からないで、自分もあんまり書いちゃいけないと思ってます。でも僕の中で、芸能人が引き篭もっている人達を、どうこう言ったりするの見てて、気持ちよくなかったから、つい書いてしまいました。


これと同じで「苛められる奴も悪い」という意見もあるじゃないですか、だけど、この人間社会で誰も苛められないという事が可能なのか、どうか、もし、可能じゃないなら、必ず誰かが苛めにあって、そして、悪いという事で、もし発達障害を持っていて苛めにあっても、やはり、苛められるのが悪いのだろうか?