私は心療内科を「塾」と呼んでいる。

と言うのも、

昔、鬱で入院した時に知り合った心友が紹介してくれた病院に通っているのだけど、その心友はいつも、心療内科のことを「塾」と呼んでいたから(笑)

心友はとてもとても魅力的な女性だった。

だった…

そう、だった…の。

もう彼女には会いたくても会えない。

突然の旅立ちで、もう10年は経つけれど、今でも涙が溢れてくる。

私よりも、ずっとずーっと年上なのに、私ととっても気があって、とてもチャーミングで、笑顔が誰の記憶にも残るような人だった。

退院しても、彼女の部屋にずっと泊まり込んで毎晩語り明かした。

いつも電話で、死にたいなぁ消えたいよぉと泣きそうな声で言っていた。

なのに、不思議とこっちが癒される。

私はどれだけ救われたことか解らない。

彼女がいたから、今の私がある。

感謝しかない。

あの頃の出会いは、宝物で、たくさんの人に救われて、今でも続いている友達が何人もいる。

塾にいくと、その頃を思い出す。

懐かしくもあり、何だかほっこりする記憶。

辛い日々だったのに、記憶の中では幸せだ。

鬱から立ち直るのは、並大抵の努力じゃなかった。

抗うつ剤と言われるものを断つのに、毎日泣いた。

きつくてキツくてキツくてキツくて…

先生は、あまりにキツいなら飲んでもいいよと言ってくれたけど、もう戻りなくなくて、必死で辞めた。

それから、働かなくちゃ生活出来なくて、1日バイトに出たら3日寝込むような日々を過ごし、少しずつ少しずつ、働ける日を増やした。

友達のお母さんが、仕事を紹介してくれて、私の専門分野ではなかったけど、バイトで、 融通効かせて働かせてくれた。

手を差し伸べてくれる人がいた事を、本当に有難く思う。

普通に働けるようになったのは、その時のリハビリがあったからこそ。

人に感謝、出会いに感謝。

だけど、

左腕のリストカットの痕は、消したくても消えなくて、光の加減でキラっと反射する。

人は簡単には死ねないから、今を笑って生きれる努力をしなくちゃいけないなと思う。

まぁ、でも、それは理想論だけどもね。