2023年9月2日投稿

最近思うことは、人間は心、気持ち、思考、思い等の「気や魂と呼ばれているもの」が「人生の記憶すべて」「肉体は魂の器」(キリスト教とは無関係です)と思えてきました。

生きている間、楽しかった経験は記憶に残りますが、辛い、怒りの経験は比較的忘れます。それは、肉体の防衛です。辛さ、苦しさは、生きていれば変わります。

未来では、人間の肉体は機械になり、サイボーグとして魂=脳が移植されて人生が維持されるはずです。やがて記憶=魂もコピーできるメモリー装置ができることでしょう。または、クローンに魂を移すことが可能になるかもしれません。

私は、そうまでして人間が生きる必要がないと思います。老いの死を権利として選択出来ることも必要だと思います。なので、私は、余命宣告を受けたら、ありがたく受け入れ、延命治療はせず、最後の日に向けて日々を充実したいと思います。自然災害に人間は抗えないのです。死が怖ければ安全な土地に移住するしかありません。火星移住など目指すのは金の無駄遣いです。

人生100歳時代と言いますが、そんな考え方は止めましょう。70、80代になっても働かないと生活できない世の中が異常です。仕事など止めて、金のあるものが無いものを助ける財団施設を作り、皆で遊んで楽しく暮らせる、本物の「やすらぎの里」を創るべきです。それが金を持った者が、最後に今まで生きて来てよかったと満足して死ねる「徳」なのです。では、また。

 

 

 

 

 

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