今回は2年前に投稿した記事を再掲載させていただきます。鉄道史に残る世紀の大改正「ヨンサントオ」と呼ばれる国鉄ダイヤ改正から、今日で52年目を迎えました。
私が生まれる前の話ですが、今回は「ヨンサントオ」について、お話をさせていただきます。
全国に特急列車網を張り巡らせた「サンロクトオ」や列車の高速化を図った「ヨンサントオ」ほど、全国的に大規模な国鉄ダイヤ改正は無かったと、国鉄OBや昔からの鉄道ファンなど当時を知る方々からよく耳にしますね。
「ヨンサントオ」とは、昭和43年(1968年)10月1日に、JRの前身である国鉄が実施したダイヤ改正で、特急・急行の大増発と、列車のスピードアップが目玉となりました。
このダイヤ改正では、需要が高まっていたマイカーや飛行機に対抗するため、1965年から膨大な借金(7ヶ年で3兆円の計画)をして、新型車両の投入(下記写真参照)・無煙化(SLの削減)・幹線の複線化・東北本線などの電化・線路の改良などに設備投資を行った結果、100km/h未満だった主要幹線の特急列車の最高速度を120km/hまで引き上げ、各地で都市間の到達時間を大幅に短縮させました。(写真は東北本線)
※東北本線・高崎線・上越線・信越本線(宮内~新潟)・北陸本線・山陽本線
1964年の東海道新幹線開業から、赤字に転落していた国鉄が、多額の設備投資で大規模な整備をした集大成「ヨンサントオ」は、現在の早くて便利な列車運行の基盤を作ったと言っても過言ではありません。
1989年にJR東日本の常磐線 特急「スーパーひたち」(130km/h)がデビューするまで、速度の引き上げはありませんでした。
【ヨンサントオで導入された新型車両】
寝台特急電車583系
昼間は座席
夜は寝台に変わる画期的な車両でした(2017年4月に引退)
特急用電車485系(写真は489系で代用)
特急用キハ181系気動車
「ヨンサントオ」では、昼間は座席車、夜は寝台車に変身する583系や、軽量化された車体に大出力のエンジンを搭載したキハ181系など、鉄道史を塗り替えた画期的な車両が登場しました。
【列車の高速化
電化など整備された東北本線の特急「はつかり」は、青森~上野で約2時間短縮となりました。
EF66形電気機関車の登場で貨物輸送に変化が
貨物列車も、高速輸送に対応したEF66電気機関車の量産や貨車の車軸改良により高速化を図りました。
【無煙化】
蒸気機関車からディーゼルカーの時代へシフト
非電化区間へディーゼルカー(気動車)やディーゼル機関車を大量に投入し、徐々に蒸気機関車を置き換えました。(写真はイメージ)
【新設された特急列車】
〈 寝台特急 〉
「日本海」(大阪~青森)
「金星」(名古屋~博多)※月光で代用
「彗星」(新大阪~宮崎)
「明星」(新大阪~熊本)
〈 昼行特急 〉
「あいづ」(上野~会津若松)
「しなの」(名古屋~長野)※当時は気動車
「ひだ」 (名古屋~金沢)
「にちりん」(博多~宮崎)※当時は気動車
「なは」 (大阪~西鹿児島)
※写真は寝台特急「なは」
「日向」 (大阪~宮崎)
1965年から7年に渡り、大規模な設備投資を行う長期計画の、前半で得た成果を取り入れる抜本的なダイヤ改正でしたが、その代償に国鉄の財政悪化を招いたり、赤字ローカル線の大幅な本数削減を行うなど社会問題にまで発展したそうです。
国鉄は、副業を禁じられていたため、私鉄のように不動産や流通などの副業で鉄道業を支える事ができず、増収策で特急・急行列車の増発やスピードアップに重点を置いたのは仕方ないのですが・・・
ヨンサントオ改正後に、7ヶ年計画が打ち切られた国鉄は、
・政治利用による不採算路線建設のツケを負わされ大赤字(※1980年まで、国鉄が望まない赤字新線など国(政治家)の命令で、鉄道建設公団が作り続け、強引に国鉄へ引き渡した結果、案の定大半が赤字となり国鉄に責任転嫁された)
・1970年代に運賃の50パーセント値上げを数年続け客離れが深刻化
・順法闘争による職員のストライキや未だに続く国労問題(画像はyoutubeより抜粋)
等々、今では想像がつかない大波乱・激動のレールを辿った結果、1987年に国鉄分割民営化を実施、現在のJR各社へ生まれ変わりました。
私が生まれる前の話ですが、今回は「ヨンサントオ」について、お話をさせていただきます。
全国に特急列車網を張り巡らせた「サンロクトオ」や列車の高速化を図った「ヨンサントオ」ほど、全国的に大規模な国鉄ダイヤ改正は無かったと、国鉄OBや昔からの鉄道ファンなど当時を知る方々からよく耳にしますね。
「ヨンサントオ」とは、昭和43年(1968年)10月1日に、JRの前身である国鉄が実施したダイヤ改正で、特急・急行の大増発と、列車のスピードアップが目玉となりました。
このダイヤ改正では、需要が高まっていたマイカーや飛行機に対抗するため、1965年から膨大な借金(7ヶ年で3兆円の計画)をして、新型車両の投入(下記写真参照)・無煙化(SLの削減)・幹線の複線化・東北本線などの電化・線路の改良などに設備投資を行った結果、100km/h未満だった主要幹線の特急列車の最高速度を120km/hまで引き上げ、各地で都市間の到達時間を大幅に短縮させました。(写真は東北本線)
※東北本線・高崎線・上越線・信越本線(宮内~新潟)・北陸本線・山陽本線
1989年にJR東日本の常磐線 特急「スーパーひたち」(130km/h)がデビューするまで、速度の引き上げはありませんでした。
【ヨンサントオで導入された新型車両】
寝台特急電車583系
昼間は座席
夜は寝台に変わる画期的な車両でした(2017年4月に引退)
特急用電車485系(写真は489系で代用)
特急用キハ181系気動車
「ヨンサントオ」では、昼間は座席車、夜は寝台車に変身する583系や、軽量化された車体に大出力のエンジンを搭載したキハ181系など、鉄道史を塗り替えた画期的な車両が登場しました。
【列車の高速化
電化など整備された東北本線の特急「はつかり」は、青森~上野で約2時間短縮となりました。
EF66形電気機関車の登場で貨物輸送に変化が
貨物列車も、高速輸送に対応したEF66電気機関車の量産や貨車の車軸改良により高速化を図りました。
各地で活躍していたSLに陰りが
これによって、貨物列車などで使用されていた蒸気機関車が、急速に姿を消したほか採算が取れないローカル線115線区で、合計18,500km/日に相当する普通列車の運行を廃止するなど、全てにおいて華々しいダイヤ改正とは言えなかったようです。(写真はイメージ)【無煙化】
蒸気機関車からディーゼルカーの時代へシフト
非電化区間へディーゼルカー(気動車)やディーゼル機関車を大量に投入し、徐々に蒸気機関車を置き換えました。(写真はイメージ)
【新設された特急列車】
〈 寝台特急 〉
「日本海」(大阪~青森)
「金星」(名古屋~博多)※月光で代用
「彗星」(新大阪~宮崎)
「明星」(新大阪~熊本)
〈 昼行特急 〉
「あいづ」(上野~会津若松)
「しなの」(名古屋~長野)※当時は気動車
「ひだ」 (名古屋~金沢)
「にちりん」(博多~宮崎)※当時は気動車
「なは」 (大阪~西鹿児島)
※写真は寝台特急「なは」
「日向」 (大阪~宮崎)
1965年から7年に渡り、大規模な設備投資を行う長期計画の、前半で得た成果を取り入れる抜本的なダイヤ改正でしたが、その代償に国鉄の財政悪化を招いたり、赤字ローカル線の大幅な本数削減を行うなど社会問題にまで発展したそうです。
国鉄は、副業を禁じられていたため、私鉄のように不動産や流通などの副業で鉄道業を支える事ができず、増収策で特急・急行列車の増発やスピードアップに重点を置いたのは仕方ないのですが・・・
ヨンサントオ改正後に、7ヶ年計画が打ち切られた国鉄は、
・政治利用による不採算路線建設のツケを負わされ大赤字(※1980年まで、国鉄が望まない赤字新線など国(政治家)の命令で、鉄道建設公団が作り続け、強引に国鉄へ引き渡した結果、案の定大半が赤字となり国鉄に責任転嫁された)
・1970年代に運賃の50パーセント値上げを数年続け客離れが深刻化
・順法闘争による職員のストライキや未だに続く国労問題(画像はyoutubeより抜粋)
・1973年に度重なるストライキで、動かない乗れない電車に、業を煮やした通勤通学客が駅や列車を襲撃した「上尾事件」、上野・新宿・渋谷など主要38駅で連鎖的に数万人の乗客が、運転士を引き摺り下ろし暴行、駅や電車を破壊した挙げ句放火、駅前のタクシーまで被害が及んだ大暴動「首都圏国電暴動」など乗客の怒りが大爆発(画像はyoutubeより抜粋
等々、今では想像がつかない大波乱・激動のレールを辿った結果、1987年に国鉄分割民営化を実施、現在のJR各社へ生まれ変わりました。