カラカラカラカラ


合格者の受験番号が掲示された。


夫の迫力のある大きな声が響いた。


あった!


え、私見えない…


あった!


今度は長男の声


あった!


あった!

やっと見つけた、長男の番号。


その場を離れ、雪が降る中、私はしゃがみ込んで号泣していた。


しばらくして、冷めた夫の声。

夫:そんな、御三家とか受かったわけじゃないんだからさぁ…


私:何だよ。この学校に失礼すぎ…


そのとき、長男が口をひらいた。


長男:これで明日は○光受けられるぞ!


は?長男もこの学校に失礼だろ、と思っていたら、長男は、


「記念受験だけどね!」

と付け加えた。


合格証と入学資料を受け取りに、校長室に向かった。

校長先生からは、にこやかにこういわれた。


「やあ。君はよく来てくれていた子だね。」

覚えていてくださるなんて、うれしい。


夕食をレストランでとったあと、家庭教師のM先生に電話で報告をし、帰り道に塾によって、合格の報告に行った。

帰るころには雪が積もっていた。


先生からは、「心配していたんですよ、おめでとうございます。」

塾に提出した受験スケジュールをみながら先生はいった。

「2/2以降のこのスケジュールはなくなるのですね?」

「はい。そして、2/2は○光、2/3は◇野に変わります。」

「そうですか。出願はされているのですね。

長男くんは、結果を出した。頑張ってきなさい。」

こんなスケジュール変更は、なぜ可能なのか?
それは、1月校合格後にこの2校に出願していたからだ。

中学受験では、同じ日に複数出願し、入試の結果によって、翌日以降受ける学校を決めるということは、よくあることなのだ。


こうして、長男は2/2は○光、2/3は◇野といった神奈川御三家を受けるになった。もっとも、勝算があってのことではない。長男の実力では、合格には遠く及ばない。それは判りきっていて、まさに記念受験ではある。しかし、中学受験ができるのは、一生に一度だけ。なので、受験勉強に専心してきた同学年の受験生たちがどんな難しい試験を受けて合格していくのか、それを体感してほしい、という思いがあった。

それが、6年後の一般入試でMARCH合格につながった。

大学受験では、身近な自分の高校の受験生ではなく、最難関の高校の受験生を意識する必要があるからだ。

 

○光の日は雪が積もっていたが、無事に会場につき、試験が終了した。


3日目の◇野の日は晴天!

塾の先生がたが学校付近の沿道にいて、「関、がんばれ!」

と声援を受けながら校舎に入っていった。


待機している間に、○光の合格発表があった。

○光は不合格だった。


◇野の受験終了時刻が近づいた。

◇野は2千人近く受験していた。長男の受験番号は1800番台だったかな?

試験終了後、何番から何番といったプラカードを生徒がもって、その受験番号の中学受験生たちがでてくる。

2018年冬のことだった。平昌オリンピックの時期だった。プラカードをもった生徒の後に続く中学受験生の様子がオリンピックの閉会式のようだった。


この学校で受験が終わる中学受験生は多数いるだろう。

ウチにとっても最後だ。

まさに、中学受験の閉会式といった感じだ。


なかなか長男の番号のプラカードがでてこない。

やっとでてきた。

長男は不機嫌だった。終わった第一声はこうだ。


お腹空いた。


翌日、パソコンから、◇野の不合格を確認して、我が家の中学受験は終わった。