昭和16年12月 陸軍兵器廠へ返納された試作自走砲は
昭和17年2月 陸軍兵器本部から兵器調達によると
九〇式野砲搭載自走砲 26
十糎榴弾砲搭載自走砲 14 も至急調達とある。
昭和17年3月 以前の記事で述べた「自走砲の量産に関する打合せ」が行われた。
同じく3月に試製兵器の熱地試験に試製七糎半自走砲も出発している。
つまり、昭和17年3月時点では試製一式七糎半自走砲は量産以前であり、
七糎半自走砲としてこの一台しか存在していない筈なのです。
熱地試験に参加したのは当然この試製七糎半自走砲という事になります。
昭和17年4月 「兵器局長南方出張二對スル調査希望事項」に
七糎半自走砲実用成績の項目がある。
このように昭和17年度熱地試験は
昭和17年3月から5月にかけて、昭南島(シンガポール)、ジャワ島で行われた。
4月 同出張報告に「マレー作戦に間に合わずビルマ作戦に参加しある」とあり。
昭和17年10月 蘭貢(ラングーン)において戦車第十四連隊整備中隊に試製自走砲受領。
しかし、摘要 砲ノミ使用不能とあります。
この事からも、昭南島・ジャワ島での熱地試験後に、
ビルマに向かい蘭貢に着いたのは試製七糎半自走砲だったのだと思われます。
その後、砲身の入手、運搬方法に関しての連絡記録があります。
昭和20年3月 戦車第十四連隊整備中隊主要兵器現況表に自走砲一門の記載あり。
昭和20年3月 拠点失陥により28日修理資材入手不能となり、自走砲は処分された。
残念な事に砲身に被弾し射撃不能となり、
活躍出来なかった試製七糎半自走砲ですが、
各地を転戦した事は間違いなく、
せめて模型で戦車第十四連隊整備中隊所属として再現したいと思います。



