ACT 2 第三惑星
エネルギー伝導管の異常も通常のワープには影響がなく、ワープをすれば、三光日の距離はあっと言う間である。数時間後、ハヤトは、目指す第三惑星の衛星軌道上に停泊していた。
「これが第三惑星か……!」
暗黒の彼方に燦然と輝くオレンジ色の太陽に、鮮やかに照らし出された第三惑星。乗組員たちは、それを見下ろして感嘆の声を上げた。
艦窓を大きく斜めに区切るその惑星は、暗い宇宙に浮かぶ一つの青い水滴……、まるでかつての地球そのものだったのである。思い思いに窓に張り付き、その青い星をいつまでも飽きずに眺めながら、誰もが嘆息した。
(地球もいつかこんな美しさを取り戻す時が来るのだろうか……。)
あまりにも美しく、懐かしいその光景は、しかし、同時に、故郷の星の惨状を彼らに思い起こさせ、その心を切なく揺さぶる無情なものであるとも言えた。
「それでは、これより第三惑星の調査に向かいます。」
沖田の命令で、舞は、猛と共に惑星の調査に向かうことになった。
『バイオレット・シリウス、よろしい?』
バイオレット・シリウスのモニターの中から、飛翔が呼び掛けた。舞を後ろに乗せているので、発進コールは飛翔が担当している。
「スタンバイOK。バイオレット・シリウス、発進します。」
『気をつけてな。ウチのお姫様を宜しく。』
モニターの中で飛翔がニッと笑った。上手くやれよ、とその目が言っている。
実際、戦闘隊の連中は、口を極めて羨ましがった。コスモゼロで宇宙に出れば、舞と二人きりなのである。そんな機会は滅多にあるものではない。
「了解。発進!」
苦笑を返しつつ、猛はバイオレット・シリウスを発進させた。
同時に、目に滲みるような惑星の青さが眼前に広がり、それが、ふと、今モニターで見たばかりの飛翔の笑顔の涼しさを連想させた。
誰かを愛することが、人を成長させるのだろうか? 飛翔には、どこか、隼人や独に通じる大人っぽさがある。
自分を殺すことなく、他者を受け入れる包容力――。
その懐の深さとでもいうものは、とても二十才前の少年に持てるものではない。格段に大人びたその挙措に触れる時、少年たちは皆、自分もこうありたいものだ、という感慨を抱いた。それは、人を愛することでこうなれるのなら、自分も誰かを愛してみたい、という思いでもあったろう。
だが、一見涼しげな表面の奥には、燃え盛る激情の炎が常に渦巻いている。少年らしいその激しさに、猛はウマが合うものを感じるのだ。
やがて、コスモゼロの前方に、どこまでも青く美しい第三惑星が迫って来た。猛の後ろで、舞が感極まったように息をつき、その澄んだ音が、ヘルメットを通して猛の耳を打った。快い音声である。
「猛さん、あの大陸の上を飛んでみてくれる?」
舞が、緑に輝く陸地を指さした。
なるほどこの声は通信士向きだ、と、猛は改めて納得する。舞の専門はレーダーと解析なのに、しばしば通信業務に駆り出されるのはこの声のせいだ。
その音色は、どこまでも柔らかく、心地好く、決して強圧的ではない。それなのに、聞く者を自在に動かす説得力があり、しかも、動かされた方は、自分の意志で動いたような気になってしまうのだから、不思議だった。戦闘隊の単純な連中には、特に効き目があると言える。
無論、猛にとっても舞の声は特別だった。
遥かな天上から響いてくるような、どこまでも透明な、冴えた歌声。
それを思う時、猛の心はいつも暖かい思いで満たされる。フェアウェルパーティの夜ふと抱いた、この娘が守るべき大切な者なのかもしれない、という予感は、この頃、猛の意識の表層でより明瞭な形を取りつつあった。
「了解!」
舞の依頼に短く答えると、猛は、鮮やかにバイオレット・シリウスの機首を返した。舞を後ろに乗せているので、その動きは普段より繊細で柔らかい。
いつもながら見事なものだ、と、後部座席で舞は感嘆する。
出撃やパトロールの時に艦橋の脇をすり抜けて行くバイオレット・シリウスの姿は、いつも美しく、惚れ惚れと見入ってしまうほどであった。素人目にも、飛びっぷりの違いがわかる。真に優れた技には必ず美が伴うものだが、バイオレット・シリウスは、同じ型の他のどの機よりも、いつも際立って美しかった。全く同じ型なのに、それで区別が付くほどである。
だが、猛の才能は、艦橋で指揮を執っている時にこそその輝きを放つのだ、と舞は思う。弾けるような冴えた指揮ぶりは、優秀な指揮官の片鱗を十分に窺わせ、最近では、沖田も、小競り合い程度の戦闘には口を出さず、黙って猛に任せることが多くなった。
鮮やかに敵を撃退するかと思えば、必要と見れば、さっさと逃げるという血気にはやった若者らしからぬこともやってのける。その多彩な指令は時に意外にも思われ、聞き返したくなることもしばしばだった。しかし、それは、その瞬間の舞にとって意外なだけであって、後で考えてみると、猛の指令は、いつもこれ以上はないと思われるほど的確なのであった。
小規模とは言え、緊迫した戦闘の最中に、常に最善と思われる道を誤りなく選ぶことができる。そんな猛の才能に、舞は驚嘆することしきりだった。百年に一度の天才という噂は聞いていたが、正直言って、これほどとは思っていなかったのである。普段、感情を表に出さず、口を開けば厳しいことしか言わない沖田も、内心では満足しているのが、舞にはよくわかった。
卓抜した個人技と全体を指揮する能力。その二つを併せ持っているからこそ、腕に覚えのある個性派揃いの戦闘隊を、そう線の太い方ではないとさえ思わせる猛が、キッチリまとめて行くことができるのだ。
弱冠二十才にしてこれほどの能力を持っているとは、並ではない。これからどれほどの成長を遂げるのだろう?
舞は時々、尊敬と共に、うっとりとその行く末を思ってみることがある。猛に限っては、驕りや慢心で道を踏み外す恐れはないと思われるだけに、想像する楽しさもひとしおだった。
あのフェアウェルパーティの夜、舞は悔いた。これほどの人間の側にいながら、見ているつもりでよく見ていなかった、その後悔を無駄にはすまい。
これからは決して見逃さない。猛の努力もその思いも。それが舞の決意である。
――それもこれも、地球に未来があれば、の話だが。
「データ収集完了。」
二時間ほどで、舞は惑星のデータの確認を終えた。
「着陸できそうかい?」
「ええ。この星、本当に地球とよく似ているのよ。見掛けだけじゃなくて、直径も質量も大気成分もほとんど同じなの。物資の補給はたっぷりできそうだし、人工エネルギーの反応もないから、安心してゆっくり休めるわ。」
「そうか、良かった。」
「久し振りに土が踏めるわよ。」
舞が生き生きと言った。
いわゆる大地というものを踏み締めることができなくなってから、どれくらい経つだろう。宇宙へ出てからは無論のこと、地球でももう長いこと土の感触を味わっていない。
「皆、喜ぶだろうな。」
猛も、晴々とそう言った。戦闘隊のメンバーたちも、肉体的にはともかく、精神的な疲労は深い。戦闘時はもちろんのこと、平時でも、いつ敵が現れるかと神経を擦り減らしている彼らに、一度じっくり休息を取らせてやりたかったのだ。
「そうね。」
舞は微笑んだ。
猛は、いつも先に仲間のことを口にする。人を思いやる時の猛のこのさり気なさが、舞は好きだった。猛ほど仲間を大切に思い、実際に大切にしている者は、他にはいない。それは、涼のよく口にすることだったが、舞も全く同感だった。だからこそ、猛は、仲間たちの絶大なる信頼を一身に集めているのだ。彼らのある限り、猛は決して一人になることはない。そして、自分もその仲間の一員であることを、嬉しく、誇りに思う舞だった。
「それにしても、何て美しい……。」
バイオレット・シリウスの風防にヘルメットをピタリと付けて、舞は再びうっとりと息をついた。
「ああ。」
猛は、言葉もなくそれに同意した。
薄青いベールに柔らかく包まれて、暗い宇宙に仄かな輝きを放つ惑星。この星には、綺麗とか、素晴らしいとかいう言葉よりも、美しいという言葉が実にピッタリする。その言葉を選んだ舞の感性に、自分との共通点を発見したような気がして、猛は嬉しかった。
「こちらバイオレット・シリウス。調査完了、これより帰艦します。」
と、猛がハヤトに送信した時だった。
「あ?!」
微かに二人の脳を突き抜けて行ったものがある。それは眼下の惑星から発せられ、二人をかすめて宇宙へ駆け去った。鋭く、それでいて柔らかな輝き……。
「何?」
「何だ?!」
二人は同時に声を上げ、その不思議な感触を二人とも受けたのだということを知った。
「猛さんも?」
「ああ。何だ、今のは?」
自身の体験を表す言葉が見つからず、二人は口籠もった。
それは、輝いてはいたが光ではなく、音でもない。それでいて、何かが通り過ぎて行ったという明瞭な感触を二人の中に残している。かつて経験したことのない、奇妙な感覚であった。
(この惑星の意思……?)
やがて、二人は、偶然にも同じ言葉を自分の語彙の中から拾い上げたのだが、お互いにそれを知ることはなかった。やっと思いついたその言葉は、あまりにも唐突で、口に出す気にはなれなかったからである。しかし、二人の意識を駆け抜けて行った何かが、二人にそうした共通の認識を授けて行ったことは事実だった。
狭いコクピットが深い沈黙に覆われて行くのを感じながら、猛と舞は、それぞれにその瞬間の出来事を反芻した。
突然のことに驚きはしたが、恐怖はない。むしろ包み込むような穏やかな暖かさがあった。愛というものが体感できるなら、ああいう感覚なのではないだろうか? そう思わせるほど、それは優しく密やかに二人の意識に触れて行った。
いずれにせよ、凶兆ではない。ハヤトは受け入れられる――。
それが、二人の確信したこの青く輝く惑星の意思であった。
(だが、なぜ?)
そう思えるのか? 茫然と不可解な思いに囚われる二人の前に、鮮やかなハヤトの標示灯が微かに見え始めていた。
「ハヤトはまだ見つからないのか!」
大マゼラン星雲にあるデイモスの銀河方面作戦司令本部で、シェーンは、珍しく苛立っていた。
デネブでの戦闘が終わって三ヵ月近くになるというのに、まだハヤトの位置を特定できないでいる。星雲間は足掛かりにできる星が少ないため、デイモスの情報網も薄くならざるを得ない。そこをハヤトが長距離ワープで移動しているため、さすがのシェーンも、銀河系を出てからのハヤトの足取りを掴みあぐねていたのだった。
「あなた、一息入れられましては?」
茶道具を捧げて隣室から入って来たセシリアが、頃合を見て、静かにシェーンに声を掛けた。それだけで、部下を叱咤するシェーンの癇立った声が響く司令室に、春風が立つようだった。
彼女のここでの肩書は、シェーンの首席秘書である。それは、肩書があった方が何かと働き易かろうという総統シーザスの配慮でもあったのだが、セシリアは、さすがに妻らしく、てきぱきと不足なくシェーンの身の回りを取り仕切り、深窓育ちの姫君らしからぬ能力を発揮して、次第に古参の部下たちにも認められるようになっていた。
夫はデイモス一の将軍でも、妻の方は所詮世間知らずのお姫様、と、セシリアを舐めて掛かった者は、ことごとく己の不見識を思い知らされる結果になった。人心を見抜き、掌握する能力は、イアラ特有のものでもあろうが、事務処理の速さと正確さはシーザスの首席秘書に匹敵するとさえ思われ、シェーンも舌を巻くほどだった。穏やかながら、重臣たちを前にしても臆することのない、しなやかな重みを備えた人柄は、「さすがにティアリュオンの姫よ」と讃えられ、今では基地内でも一目置かれた存在になっている。
無論、だからと言って、出過ぎた口を利くようなセシリアではない。できる限り妻を戦いから遠ざけておきたいシェーンも、ハヤトとの戦闘で多くの有能な人材を失った彼の部隊に、その意を誤りなく汲んで動くことのできるセシリアのような人間が一人でも多く必要であることを認めざるを得ず、渋々ながら黙認しているという状態なのであった。
「どうぞ。」
妻の差し出すコーヒーの良い香りに誘われて、シェーンは振り向いた。
不機嫌そのもののシェーンから流れ出ている感情は、怒りであり、悔しさであり、焦りである。ガレオンとメスターを失い、わずかに残されたマーナンだけを伴って、ガタガタのフォートレスでようやく帰還したのだから、当然と言えば当然なのだが、シェーンがこれほど感情を乱すのを、セシリアは知らなかった。それがひどく人間らしく思えて、嬉しくさえある。
それはともかくとして、シェーンにとって前代未聞のこの敗戦は、セシリアに決定的な認識を与えた。
ハヤトはイアラだ――。
間違いない。未だかつて敗れたことのないシェーンがこれほど手ひどくやられたという事実が、何よりの証拠であろう。そうでなくて、ただ一隻の艦がシェーンを破ることなどできはしない。
そして、こうなる危険性を幾分かは予想して、シーザスは、自分を伴うようシェーンに命令したのだ。シェーンとその艦隊に傷を負わせず、ハヤトがイアラであるか否かを判別するために……。
だが、シェーンは妻を戦場へ連れ出すことを拒否し、艦隊は敗れた。
その後、シーザスから新たな沙汰はなかったが、いよいよ自分にもイアラとしての出撃命令が下るであろうことを、セシリアは予感していた。それは、デイモス星を発つ前に、既に覚悟していたことである。
自分がデイモスでイアラと呼ばれる存在であること、そして、シーザスが自分にその価値を認め、利用しようと意図していることを、セシリアは知っている。だからこそ、自分を伴うようにシーザスが命令したと聞いた時、すぐにそれがイアラに関係していることに気付いたのだ。
シーザスは、宇宙制覇の野望を達するがために、より多くのイアラを手に入れることを欲している。そうした目から見ると、意のままに動かし得るただ一人のイアラである自分には、様々な使途があった。
まず、イアラの判別、イアラとの接触、そして、デイモスのために働かせるよう仕向けるための教育。同じイアラとして誤りなく意思を通じることのできるセシリアになら、それができる。
シェーンの敗北によって、イアラ判別の段階は既に過ぎた。次の段階は接触である。
恐らく、シーザスは、ハヤトの乗組員たちを無傷で手に入れるための方策を、熟考しているだろう。そして、捕らえた乗組員たちと接触させるために、次は必ずセシリアを伴うよう、シェーンに命令するに違いない。もし、シェーンの感情を慮る必要がなければ、一歩進んで、彼女をそのまま部隊に組み込み、接触の前段階に当たるハヤトとの戦いの中で、そのイアラとしての能力を発揮させたいところであろう。
そうしたセシリアの理解は正確だった。
シェーンは、自分と結婚したことによって、セシリアがデイモスの野望を実現する道具として利用されることがあってはならぬと考え、シーザスの思惑から少しでも遠いところに、セシリアを置いておこうとしている。セシリアとしても、できることなら、直接戦いに関わるようなことは避けたかった。が、デイモスの枠組みの中で生きている以上、それもまた仕方がないのではないか、と思うのだ。
(ハヤト……。どのような者たちなのであろうか?)
そして、まだ見ぬハヤトに思いを馳せる時、セシリアは、わずかな部分で、その存在に惹かれてみたりもするのだった。
人の思惟を、その未来を、事実として感じることのできるイアラ同士は、真に理解し合うことができる。もし、ハヤトがイアラと呼ばれるに相応しい存在であるのなら、ティアリュオンに存在した人の繋がりが、数百万光年を隔てて生まれた者同士の間にも結ばれることになろう。その奇跡に巡り会うことを願う、夢のような期待があるのだ。
だが、それは思ってはならぬことだ、と、セシリアは自分自身を戒めた。
この五年、本当に幸せだった。シェーンはその半分近くの年月を戦場で暮らし、セシリアの側にはいなかったが、心から愛し、愛される幸せは、何ものにも替え難かった。
ハヤトはシェーンに敵対するもの。少しでも夫の力になれれば、今はそれで良い。もはや、自分に残されているのはシェーンだけなのだから……。
(お許しください、サリオお姉様……。)
しかし、姉が援助する者たちの前に、敵として立ちはだかろうとする自分は、やはり心苦しい。
セシリアは、ふと、王家に伝わる遠い祖先の話を思い出していた。
――遥かな昔、敵国の若者と恋に落ちた王家の姫が、ウェーブのかかった髪をなびかせ、国を捨てて出て行った。二人の想いは純粋だったが、姫は敵国の王に利用され、国は窮地に陥ったと言う……。
果たして、自分はどうなのだろう? 同じ波打つ髪を持ったその姫のように、シーザスに利用され、姉を窮地に陥れる、そんな存在なのだろうか――。
「あ……。」
その時、微かな輝きが、セシリアの意識の一角をかすめて去った。
その輝きは、ハヤトの持つ意志の力――。
それは、位置を特定できるほどの明瞭なものではなかったが、絶えずセシリアに向けて細く、だが確かに流れ込んで、その存在を主張し続けている。
「ハヤトは消えて失くなったわけではありません。必ず来ます。」
セシリアはシェーンを振り向き、半ばなだめるような口調でそう言った。
「わかっている。」
コーヒーを受け取るシェーンの言葉から、まだ尖りは消えない。
なだめるかのようなセシリアの口調が気に入らなかったからではない。ハヤトは来る、と事もなげに断言できる、そのイアラとしての能力の発露に、抜き差しならぬものを感じるからだ。
シェーンは、ソファーに身を投げ出すと、内に溜まったわだかまりを吐き出すように、深く息をした。
ハヤトはイアラだ。
セシリア同様、シェーンはそう認識していた。
イアラ以外の者に、デイモスにおいてでさえ実用化されて間もない波動砲をほんの短期間で作り上げてしまうことなど、できるものではない。何より、今、シェーンにこんな思いをさせている。それだけで、理由としては十分過ぎるほどだった。
自分こそはデイモス一の将軍であるという、シェーンの誇りと自意識は強烈であった。その誇りに懸けてハヤトを叩き潰そうと出て行き、自慢の艦隊と部下を失って帰って来たのだから、この苛立ちは当然と言える。
(なぜ、あの時、全軍を停止させなかったのか。)
その悔いが、未だにシェーンの胸の内にじりじりとくすぶって、彼を苛んだ。
逃走を始めたかに見えたハヤトが、突然くるりと向き直った時、確かに彼の本能は尋常ならざるものを感じ取ったのだ。フォートレスだけでなく、全軍を停止させ、散開させておけば、これほどの惨敗を喫することはなかっただろう。
それをしなかったのは、結局、心のどこかでハヤトを見くびっていたからなのである。それがハッキリと自分の心鏡に映じるだけに、一層惨めさが募り、己の甘さが悔やまれてならなかった。
(経験しないとわからぬとは!)
この屈辱は、彼にとって耐え難いものであった。しかし、若さ故の過ちというものは、認めたくないものである。彼は、イアラとしてのハヤトに負けたのだとは思っていなかった。
(あの波動砲に負けたのだ!)
ハヤトに波動砲があろうとは、予想もしていなかった。無論、波動砲の存在だけ取ってみても、ハヤトがイアラであることを認めざるを得ないのだが、ハヤトに波動砲があることがわかった今、それに対処する方法は、幾らでも考え出せる。あの波動砲さえ封じてしまえば、戦力は格段にこちらの方が上なのだ。いかにハヤトの乗組員たちの能力が優れていても、切り札を封じられて、ただ一艦で勝利できるほど、デイモスの力は甘くない。イアラというものは、それほどに便利なものではないのだ。
シェーンはそう信じていた。
(だが、これは負け惜しみだ!)
一方で、誰が誹らずとも、内なる声がそう痛烈に彼を嘲った。幾ら冷静に次の策を考えてみても、シェーンが負けたという事実は消えはしない。それが、彼の心の傷に鋭く爪を立て続けていた。
コーヒーを出し終わったセシリアは、掛かって来たビジフォンに出て、冴えた声でてきぱきと応対している。妻の持つ意外な能力には、シェーンも目を見張らされたが、その姿はやはりセシリア本来のものではない。ここは彼女のいるべき場所ではないのだ。
(急がなければ……。)
こうして負けた以上、シーザスは、ハヤトをデイモスにとって必要なイアラと認定し、今頃は、それを得るための具体的な計画を立てているだろう。イアラとしてのセシリアに出撃命令が下るのも、時間の問題と見なければなるまい。
そして、一度命令が下ってしまったら、否と言うことは許されないのだ。だから、正式な命令を受ける前に、何としてもハヤトを見つけ出し、叩き潰しておきたかった。それ以外に、セシリアを戦場へ連れ出さずに済ませる方法はない。
ところが、肝心のハヤトの位置が今以て掴めないのである。その焦りが、激しくシェーンを追い立てる。自分にこんな思いをさせるハヤトが、心底憎かった。
「あなた……。」
抑えようとして抑え切れず、流れ出てしまうその苛立ちが、セシリアの微笑を誘った。
素直で激しいシェーンの気性。ティアリュオンで初めて踊った時のことを、ふと思い出す……。
「将軍! ハヤトの位置がわかりました!」
その時、慌ただしく靴音を鳴らして、隣室から部下が駆け込んで来た。
「見つかったか!」
これも勢い込んで立ち上がるシェーンの揺れる金髪の下で、エメラルドグリーンの瞳が激烈な光を放つ。
「ハヤトは、惑星ルーナンシアの衛星軌道上に停泊中です!」
「バ……!」
セシリアが悲鳴を上げて頭を抱え、シェーンが鋭く叫んでそれを抱き止めるのが、同時だった。
「バカ者! セシリアの前でルーナンシアの話はするな!」
「ハハッ! 申し訳ありません。」
恐縮する部下を叱りつけておいて、シェーンは、
(ルーナンシアか……。)
と、複雑な表情で眉根を寄せた。
アンドロメダ星雲と銀河系のほぼ中間地点に位置するルーナンシア星は、デイモスがこれまで制し得なかった唯一の星である。
その位置と豊富な資源に目を付けたデイモスは、銀河系侵略の補給基地に格好であるとし、準備万端整えて攻撃を仕掛けたのだが、作戦は大失敗に終わった。大軍を率いて攻め込もうとしたデイモスは、星の表面に張り巡らされたバリア状のエネルギーに阻まれ、多大な損害を被ることになったのである。
俄かには信じられないことだが、ルーナンシア星は、星全体が一つの生命体としての意志を持っているらしく、害意を持つ者は近づくことすらできないのだ。その強力な防御力の前に、さすがのデイモスも遂に侵略を断念せざるを得ず、今でデイモスにとってタブーの星になっている。
「ルーナンシア……。」
セシリアは青い顔でそっと呟き、怯えたように顔を背けて唇を震わせた。
それは、新婚旅行を兼ねて、二人が大マゼラン星雲にある小さな惑星に出掛けた帰途のことであった。ルーナンシア星は、その位置の持つ特性上、タブーの星であるとは言っても、二つの銀河を行き来する者にとっては、言わば灯台のようなものである。防御力は絶大だが、こちらが近づかない限り、進んで危害を加えて来ることはない。そこで、航路によっては、デイモスの艦も、接近し過ぎないように注意しながら、その星域に停泊することがあるのだが、そうやって二人の乗った艦がルーナンシア星付近に停泊した時、どうしたことか、セシリアは突然錯乱状態に陥り、意識を失った。
「セシリア様の感受性は並外れています。恐らく、ルーナンシア星から、我々には窺い知れない何かを感じるのでしょう。あるいは、何か恐ろしい幻などを見せられているのかもしれません。あの星になら、そのくらいのことは可能です。」
セシリアの主治医は、診察を終えてそう言った。彼は、シーザスが密かに付けて寄越した、イアラの研究者でもある。
シェーンは、即座に艦をルーナンシアから離し、間もなくセシリアは意識を回復したのだが、その間、自分の身に起こったことを何一つ覚えていなかった。しかし、何か得体の知れない恐怖がセシリアの体に深く染み付いていて、以降、事あるごとに彼女を苦しめるようになった。
ルーナンシアという言葉を聞いただけで、切り裂くような恐怖が蘇る。セシリアにとっても、ルーナンシアは、恐るべきタブーの星なのだった。
「私、あの星は怖い……。」
そう呟いて、セシリアは夫の胸にしがみついた。
「セシィ……。」
シェーンは、妻の細い肩をそっと抱いた。
彼にも、セシリアが異常にルーナンシアを恐れる気持ちはよくわかる。あの星は何か「違ったもの」なのだ。
そして、ハヤトがルーナンシアにいるということは、もはや、シーザスの命令が下る前にハヤトを撃破できる可能性がほとんどなくなった、ということを意味する。
「ルーナンシアにいる限り、我が軍は手を出せん。よし、サメイヤまで退け。ヘラスでハヤトを迎え撃つ!」