食品売り場を思案顔で歩く母親に、「ちょっとトイレ行ってくる」と声を掛け、小走りにトイレに走った時には、こんなことになるとは思わなかった。


 関西の某片田舎に、「北近畿最大」との触れ込みで完成した大型ショッピングセンターは、毎週末物凄い人出で賑わった。

 丁度、駅前商店街の衰退が始まり、こんな田舎でも郊外の大型商業施設が消費の主役になり始める、そんな時代だった。


 当時ほすまん少年は、このSCの4階の絵画教室に通う、ただのガキンチョだった。



 その日は教室を終えたあと、このSC名物となりつつあった「山菜おこわ」を買ってくれ、とオカンにせがみ。

 ならば、と食品フロアに入ったオカンだったが、山菜おこわの事は忘れて、夕飯のおかずなど、あれこれと悩み始めた。


 退屈になったチビほすまんは、ちょっとした尿意を覚えたため、退屈凌ぎの冒険がてら、トイレに行くことにした。


 ちょっとトイレ行ってくるよ。


 トコトコと歩くチビほすは、4階のトイレは行ったことあるけど、1階のトイレは初めてだなぁ、とか思いつつ、「帰ってきたウルトラマン」を口ずさみながら、スキップしつつ、フロア端のトイレに入った。


 異変にはすぐに気付いた。


 手洗い場の奥から、1人の青年がチビほすの方にまっすぐ歩いてきた。

 はっきりは覚えていないが、妙に表情がない、ノーメンな青年であることはなんとなく記憶している。

 そのビー玉のような目をした青年は、こっちに来い、とチビほすの肩を掴み、トイレスペースの奥の方へ連れて行った。


 その時、薄暗いのでよくわからなかったが、奥にもう1人少年がいることに気付いた。

 見知らぬその少年は、なぜか泣いていた。


 そして驚いたことに、その少年は、下半身が裸だった。


 状況が掴めないチビほすに、そのビー玉青年は、「ズボンとパンツを下ろせ」と凄んできた。

 恐怖も勿論あったが、一番は、戸惑いだった。


 今でこそLGBTQが市民権を得て、幼児性愛者の存在が日常リスクとして俎上に上がるが、40年以上前の話である。

 同性を自然の情として愛す人がいたり、幼児に異常な性欲を燃やす変態がいることなど、全く蓋をされていた時代、そしてそんなこと知る由のない年齢。

 チビほすは、一体何がなんだか、さっぱり分からなかった。


 ビー玉野郎は、パンツを脱いだチビほすの後ろに周り、腰を落としたかと思うと、チビほすの生尻を、両手でワシッと掴んだ。

 

 痛ッ、と思わず悲鳴が漏れる。


 もう、印象的すぎて今でもはっきり覚えているのが、ビー玉野郎の次のセリフで。


 うん…。28kgか。


 その重量は、学校の身体計測で記録されたチビほすの体重にドンピシャだった。そう、触っただけでそれを当てるほど、この男は重犯者だったのだろう。


 チビほすは、一気に恐怖の波が自らを覆うのを感じた。

 ゾワワーと太ももの下から鳥肌が一気に上半身に侵蝕すると同時にガタガタと体躯の震えが始まり、小さな声で「おかあさん…」と呟き、涙が滲んだ。


 その時、隣にあるブースから、水を流す音と共に、また別の少年が出てきた。


 そしてその少年も、下半身に衣類は無かった。


 その少年を一瞥したビー玉野郎は、再びスッとチビほすを見据え、「よし、次はお前が💩して来い」と、ノーメンのまま命じた。


 今思うと、世界一面白い命令ではあるが、そんな余裕のないチビほすは、とにかく言われる通りブースに入り、用を足した。

 

 この頃には、幼いながらに、なんとなくあの青年は「変態」なんだ、とうっすら気付き始め、自分がこの変態に凌辱されているのだ、という認識が芽生え始めた。

 しかし、トイレという密室に閉じ込められたうえ、ブースのすぐ外にはビー玉野郎が仁王立ちしている状況では、もはやこの恐怖が過ぎ去るのを待つしかない、と、絶望に近い暗闇に突き落とされたのだ。


 用を足してブースを出た後も、件の2人の少年と共に並ばされ、それこそ、じっくり見られたり触られたり…

 まあ、あまり詳しく書けないし書きたくもないので省略するが、まあ、その。

 色々な辱めを受けたわけで。


 暫くして、また別の少年がトイレに威勢良く入ってきた時、異常な光景に面食らうその少年を見て、ビー玉野郎はそっちに一瞬、気を取られた。

 その時、反射的にビー玉野郎の隙をついて、チビほすはパンツを素早く上げ、半ズボンを手に走ってトイレを出た。他の被害者を残したまま。

 そして。

 外廊下の先の物陰でズボンを履いたチビほすは、涙を拭き拭き、オカンの元へ走って戻った。


 長かったわね?

 💩やったん?


 と聞くオカンに。


 全てを話せばよいものを。

 何となく、恥ずかしくて、つい先ほどの経験を言ってはならないような気がしてしまったチビほすは。


 トイレに変な兄ちゃんがいて、💩して来い、と命令してきたので、イヤや!と断って帰ってきた!

 という。


 謎のストーリーをオカンに話した。

 話したくないが助けて欲しい、という、内奥のSOSが漏出し交錯して嘘と事実を混合させた話をしてしまった事が、今となっては、当時の心理状態をよく表しているな、と我ながらに思う。


 怪訝な顔をしたオカンは、それ以上何も聞いてこなかった。

 そら、そうだろう。意味不明だし。

 幼児虐待なんて認識が一般性のない昭和に、その不思議なストーリーから想像力を働かせる事は難しかったに違いない。ましてや、早く帰って食事を作らねばならない、多忙な主婦の夕刻である。ゆとりがなかったオカンを責める気にはなれない。

 チビほすとしても、それ以上何も聞かれなかった事は、なぜか救いだった。


 この出来事以来、チビほすは、そのSCの1階トイレに近付かなかった。

 そればかりか、そのSCで買い物をするのにも妙な緊張感に襲われ、夜もうなされた。

 誰にも言えなかったし、言ったとしても、理解は得られなかったと思う。




 という。

 こんな話を、つい先日、ひょんな事から嫁に話した。


 嫁にはこの体験について何度か話していたし、何なら結婚後に里帰りした際、「ここのトイレやで」などと話題にしてきたので、今更その事実に驚くこともなく、黙って聞いてくれていたのだが。

 改めて時系列に、記憶を辿りながら細かく話していると、嫁でなくワシの方が、心の奥底から湧いてくる得体の知れない恐怖感の残骸が胃の奥から上がってくるのを感じ。

 少々、戦慄したのです。



 このワシの体験。

 これは、正式には幼児性虐待被害、と言うそうです。


 そう、ワシは言わば、幼児性虐待の被害者なのです。

 自分でも、ぼんやりとそーだろう、と思いつつ長年誤魔化してきたのですが、昨年のジャニーズ問題の際に例示された被害者の体験談をいくつか読んで、ワシの経験も「被害」と呼ぶに値するものであることを、知りました。


 この体験が今のワシにどう影響しているのか、は分かりません。


 思えば、ワシは、自分の子どもたちが小さい時(今もか?)から、とにかく心配性で、嫁に呆れられることもありました。

 それこそ、イオンで買い物しながら、子どもたちがトイレに行く、と言い出したら、1人で行かせる、なんて絶対無理で、必ず付いていったし。

 息子達が小学生の頃は、帰りが少しでも遅かったら自転車で通学路を逆走して探しに行ったし。

 子供部屋から妙な音がしたら、侵入者でもいるのでは、と深夜でも子どもの寝顔を見に行くし。これは今だに笑


 ワシの内奥にある恐怖感がこの不安症的傾向を作っているのか、は不明ですね。

 気にしても仕方がないので。

 

 



 さて。

 本題は、ここからです。


 そう。

 ここまでは、前置きなのです!笑


 今日は改めまして、ワシの「素顔」の話をしたい。

 そう、思います。


 と言っても、割とここでは素直に自分の気持ちを書いているので、愛読者笑の皆さんにはある程度ワシの本性はバレていると思いつつ。

 書いておきたい、という。

 そんな気持ちなのよ。



 でね。

 あのね。


 ワシが幼児性虐待被害者だ、と申しましたが。

 人は、この「被害者カテゴリー」に入った時の振る舞いで、ある程度人間性が露呈すると思うのです。今日の本題は、これです。



 例えば、痛い過去を、ある程度自己処理して生きていく人がいる。

 もちろん傷はずっとあり続けるのであるが、その傷を軸に人生構築したり、感情に振り回されて生きる事が自己の人生にプラスにはならないことを悟り、周りからは傷など「無かったこと」のように見える生き方を選ぶ。

 もちろん、この境地に至るには諦めもあったのかもしれない。

 そう、言っても無駄、とか。

 公言して得られる実が、それを公言する事に費やす労力に全く見合わない、とか。そんなこともあるだろう。


 ワシにとっての2世問題や性虐待被害は、これに近い。

 自身の心の傷は、文字通りの外傷と同じように、体を動かすたびに痛みを伴うので全く忘れたことはないが。

 それが表面意識に漏出する事は、日常生活に支障をきたすことであると長年の感覚で学習しているので、それを表出しない。

 ワシの職場で、ワシが「カルト宗教2世」で「性虐待被害者」の影を持っていると気付く人も疑う人もいないと思うし、仮にカミングアウトしたら驚かれると思う。


 それは、ワシの傷が小さいからでも、ワシが強いからでもない。ワシは傷への向かい合い方に明確な美学があるだけだ。それだけは先に言っておきます。


 ワシの内奥には。

 統治体が目の前にいたらKOしたい衝動を抑えられるか疑問が残るし。

 ワシをSCで辱めた犯人が目の前にいたら、まあ、コロシはしないが、法が許すならば腕の二、三本はへし折ってやりたい。

 それくらいの秘めざるを得なかった怒りは残存している。


 そして、隠しきれない傷の疼きは、誰かの無神経な発言や突発的な事故によって望まず露呈した時、予想外の痛みをワシに加える。

 そんな時、ワシは、何とか平静を装おうと、自己を叱咤するのだ。


 そう。

 ワシは、ワシの人生のバランスを崩そうとする如何なる要素にも抵抗するし。

 自己の内奥にある恥辱や怒りの開示、非開示の選択を、常に対峙する相手によって切り替えながら生きている。


 そもそも、「被害者カテゴリー」を公にしたところで、世間や他人が自分の尊厳を期待するレベルで充足してくれることなど、あり得ないことを知っている。

 せいぜい他人にとっては、野次馬感情を満たし、自己陶酔を促進するのが関の山だろうに。


 自己の尊厳を社会的認知として有形に示そうと思うなら、法治国家に住む人間として、司法の手に事実を委ねるしかない。

 加害者が存在する傷の場合は、その者に対して、現行法における罰則を適用させることこそが法的ファクトとなり、社会的認知、バッジとなる。


 現在のところ、ワシはそんなものいらないし、「それによって得られる実が労力とアンバランス」だからこそ、平静を装って生きる選択をしている。


 だからワシは、ワシの傷を特定の少数の人と共有するだけで十分だし。

 そしてその特定の人が、ワシの痛みに共感してくれればラッキー、程度。

 そこまで行かなくても、その方々がほすまんという人間にはその種の傷を持っている、という事を「知識」として保持してもらえるだけで良い。

 最近、2世問題については意外にもたくさんの方と共有出来るチャンスを頂けたのは幸いだった。そうした一部のご縁は大切にしたいと思っています。


 これが、ワシの考え方。

 同意できない方もいらっしやるだろうが、ワシはワシなので、ご容赦くださいな。


 さて。

 一方で、「被害者カテゴリー」に入る方々の中には、この問題を強い怨恨として増幅し、他者の共感を強く求め、加害者の処罰に命をかけるタイプの人もいる。

 まあ、ワシとは真逆のタイプだ。

 これも先に言っておくが、この手の方々を否定するつもりはないし、そーした方がその生き方を表現する権利についても、尊重したいと思っている。


 が。

 ワシはこの手のタイプの人とは、全く美学が異なる、と思う。


 もちろん、自分の秘めた傷が抱えきれないほど大きく心を支配し、連鎖的に心身を蝕むのであれば、それ相応の対応が必要なのは明確で。

 それはカウセリングやメンタルクリニックにお世話になることかもしれないし、加害者がいる場合は告発をすることかもしれない。


 特に性的虐待等の被害については世間の理解も進み、被害者保護に関する倫理も大きく進歩した。

 しかし、一方でこの手の配慮がイデオロギー化して暴走し、被害告発や告知に対して意見することすら悪、のような空気が蔓延しつつある。

 この傾向は社会的理解の暴走であり、行きすぎた正義感の迷走だと思う。


 暴走気味の社会は、自由な言論を抑圧する。

 被害者という名札があれば、時に他者の基本的権利や主張の機会をさえ抹消できる、それが正義だ、と勘違いしている。怖い社会だと思う。



 なかなか、センシティブな問題で、あまり誰も話題にしたがらない問題ですよね。

 だが、ワシは思うのだが、この日本社会の空気というのは、実に危ういし、抑圧された空気に覆われているように思えて。きっと戦争中も、こうした同調圧力で異論を排する力が働いていたのだろうな、と思ったり。ちょっと壮大な事を書いていますかね笑



 あのね。

 冒頭でワシが性被害を告白したのは。

 迂闊にこの手の虐待被害者の話をすると、「男の意見はいらない」「黙っておくべき」「被害者への配慮が足りない」とかと、こっちの気持ちを無視して、ありがた迷惑なレッテルを貼りたがる人がいるから。

 そして、それが正義だと思っちゃってる。

 もう、やってる事は戦時中の大本営、JWの統治体そのものなんだけど。

 JW界隈でもこんなことが起きちゃうのは、もう痛恨の極みですね。個人的には。


 なので、まず、何かを言う前に、ワシも被害側であり、被害者の気持ちを理解どころか、体感した上で発言している事を前提としたかったのです。

 たかだかブログでここまで予防線を張る必要があるなんて、なんて世の中だよ😮‍💨


 被害者が世界でいちばん大切にされるべき存在かのように。

 自分は傷付いたのだから、これ以上傷付ける人を許さない、とでも言いたいかのように。


 気持ちはわかるけど、なんと単純で世間知らずなんだろう、と思う。



 ワシは不同意性交を告発された伊藤詩織さんや、自衛隊訴訟の五野井里奈さんを心底リスペクトしているが、昨今のジャニ問題や松本人志氏問題の告発者には同様のリスペクトはしない。

 低俗週刊誌が正義なんて思う事もないし、仮にも告発者に傷があったとしても、週刊誌というツールを使った時点で、金目当てなど別の動機を疑われるのは当たり前だと思う。それくらい覚悟しときなよ。


 そんなことより、未確定の時点で名誉も仕事も奪われている松本人志氏に対する人権蹂躙の方がよっぽど問題だろうよ。



 と。

 言いたかっただけです。

 前置き長すぎだけど笑



 ほんの些細なことから、モチベーションを得た今回の記事ですが。


 ちょっと書くだけでボロクソ非難される可能性のある論題だし、実際ちょっと非難されてるし笑

 

 

 幸いにも?ワシのフォロワーさんもアメンバーさんも、やや女性の方が多いから、今回も「いいね👍」は少なかろうな😅

 


 まあ、だが。

 良いよ。



 ワシはいい人と思われる必要はないし。


 いい人でいなきゃ!

 正義はこの世でただ一つだから、違うこと言うやつは許さんゾ!

 って世界から出てきたんだから。


 とにかく、自由に発言します。

 もちろん、最低限の節度は保ってですけどね。





 さあ。

 今日のタイトル、秀逸でしょう?


 何だこいつ、こんなやつだったのか?って思ってますよね?

 ヤベ、こいつ、こんな考え方の人だったの?って。


 そう。

 それが、ワシの「素顔」ですよ。


 ふ。

 そーゆー事でした!😤