テレビから流れる
あの津波の報道。
きっと
現地の人たちは
心穏やかには
見られないと思う。


気仙沼の
黒い津波。


その驚異と
人体への被害が
科学的に解明されている。


今年の秋は
夫と気仙沼へ行こうと
計画しており、
映像を見ながら
自分が足を運んだ時のことを
夫に伝えた。


ホテルは避難場所として
使用されていたので
なるだけその人たちの日々を
邪魔しないように過ごした。


自転車をレンタルして
港の方や
駅の方まで
広範囲に走り回った。


津波の爪痕は
想像以上で、
外を歩いている人が
ほとんどいなかった。
電線が垂れ下がっていたり
ここに何があったのか?
分からない空き地のような
広大な空間が広がっていた。


2011年5月末の景色。


縁あってその地に
来ることができた。


毎日物資を車で
女性二人で配り回っている
というところに
実際にお会いしたい!と
カンパを持参して出向き、
ガイドツアーのように
そのルートの一部と
避難所を案内して頂いた。


この景色を見て
どう思いますか??
本当に日本が
復興できるって
思いますか??


そう聞かれて
私は
ここだけを見ていたら
永遠にこの景色が
続いてしまうように
思ってしまいますね。。
と答えた。


本当に
果てしなく続く
傷痕の風景だった。。


黒い津波の
恐ろしい力。


元にはもう
戻れない。


残された人は
それぞれの思いで
生きている。


絶対に
戻っちゃいけない。
高台にさえ
逃げれば命は助かるんだから。


あの時
あと少しだけでも早く
逃げられたなら。。。


東京では
繰り返し繰り返し
逃げてください!
と呼び掛けられていた。
だけどその声は
現地の電気のない
電話の通じない環境では
殆んど届いていなかったという。
そう、
夫も防災士の講義で聴いていた。


ご縁のあった二人も
たまたま山側を通るルートで
車を走らせたことで
命が助かったと話していた。


あの日見せていただいた景色と
今の景色はどれだけ違うだろう。


災害というものが
あの日からかなり
身近なものになった。


私の生き方も
あの日を境に
随分と変わった。


何事も
ひとつとして
同じではない。
変わっていくものだから。。


今を大切に。
今、から
未来、に
つながっていく
気づきを大切に。


2019年3月3日
Mahalo,nui!!



自宅、とあるのは
すがとよ酒店さん。
ご主人の手を握るも
津波の壮絶な力で
流されてしまったそうです。

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