平成の区切り

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来年の夏からは、
元号が変わる。
中秋の名月も
平成の最後となる。

何だか不思議なもので
色んな人が
このタイミングで
区切りを設けているような
気がしている。

私も
そのひとりだ。

激動の平成が
収束していく。

この数年間は
自身のライフスタイルも
激変した。

以前は大嫌いだった、
過渡期
という言葉を、
受け入れて
追い風にしようとさえ
思うようになった。

そんななか、
心の軸のようなものも
確かにあり、
太くなっていくのを
実感するようになった。


フラとの出会い。
それが私の
心の軸となった。


新卒で営業として
総合職になり、
あちこち飛びまわっていた。
就職当時から
結婚なんてしません!
女性だからって
分け隔ては無用です!
と、
モーレツに働いていた
あの頃。
まだお茶出しが女性の仕事として
存在していて
分煙もなくて
入社早々に
急性喘息になったっけ。

でもすぐに情勢は変わり
男女の雇用機会も均等になって
分煙化も進んだ。
モーレツに働いてた私は
社内の派閥に巻き込まれて
部署を流転するようになり、
気づけば30に差し掛かっていた。


少し結婚も意識しながら
長く付き合っていた相手とも
タイミングが合わず、
都会暮らしで逼迫して
八方塞がりを感じていた頃。
祖母の容態がよくないと
母から聞いて
地元に戻ったときに
ダンス
と検索して
見つけたのがフラだった。

ウリウリと
パウ。
ハワイノエカオイに
魅了された。

女子のカタマリ。
仲間にも恵まれて、
夢中になった。
衣装や髪飾りも
自作した。

会社を辞めて
初めての転職で
大ショックを受け、
再々転職先で
苦悩していた頃、
婚活で夫と出会った。


フラの方は、
TDLで踊る!
という奇遇に2度も恵まれ
2度目に夫が見に来てくれた。
そのとき宿泊した
舞浜が式場の候補となり
めでたく舞浜で
結婚に至った。


葛藤を支えたのは
フラだった。
また、
葛藤の素になったのも
フラだった。


結婚を期に、
ハラウを去り、
ホイケを見に来てくれた
義母の友人の誘いで
別のハラウへ。


イベントも
あちこちに参加した。
そんな中、
卵巣に嚢腫が見つかって
手術をして、
復帰して少ししてから
夫婦で国家資格を目指そう
ということになって
ハラウを去った。


ハラウを去るときの
葛藤は、
ライフスタイルとの
不一致が殆どだった。


国家資格へのチャレンジを
一度で諦めた私。
逃げたのではなく
使うビジョンが得られなかった。
だけど
自身を不利にしないような
知識は十分に得られた。

フラ、
また始めたら?

声をかけてくれたのは
夫だった。

互いに干渉しない
自分らしくいられる
第三の場所
は、
大事だよ。


家から徒歩で行けるところに
ハラウがあった。


20代の女子の中に
40の私。。。
つまみ出されないかしら?
と思うほど眩しかった。


ホイケ直前で
フォーメーションの
確認をしていた。


お休みのコの
代りに立ち位置に呼ばれた。


群舞!!
楽しい!!


笑顔の溢れるクラス。
いっぺんで
大好きになった。


週末
徒歩で行ける
ハワイ。


最初のホイケは
見学の裏方。
そのあとの3年は
コンペクラスの応援で
エキジビションに参加したり、
ハラウ主催のフェスに
ボランティア参加したり、
名だたるアーティスト出演の
イベントに参加したり。。。。
沢山の刺激を受けて
あっという間の次のホイケ。


ちょうど不妊治療で
自己注射をしたり
薬の影響で
体が浮腫んだり
結局卵が出来ずに
妊活を諦めたりの
区切れで縁のあった
ハラウだった。

時間は
淡々と過ぎるもので、
もう、5年。


ママになったフラシスも
沢山いて、
二人目がいたりする。
子供たちの成長にも
時の流れを感じつつ。。


先日のフェスも、
5回目。


懐かしいフラシスが
都合が合ったからと
足を運んでくれた。


変わらないね。
若いコに紛れてる
って感じしないよ!


彼女も
フラを続けている。


うちのクプナチームはね、
とっても元気だよ!


今回のイベントで
区切りをつけると
伝えると、


皆が歳を重ねたら
クプナチーム作れるじゃん!
待っとけばいいんじゃない?


って
あっさり。
ほんと、その通りだと思った。


区切りをつけよう
って思った後、
lessonに参加しながら
不思議な感じだった。


去るのか?
辞めるのか?


ううん、
ちょっと違う。


大好きだから
壊したくないから


俯瞰する時も
大事なのでは
と。


自身のライフスタイルを
大転換させたのは
2016年。
周りを驚かせた。


それなりに
安定した大手契約社員から
地元の福祉職員へ。


条件で
唯一譲らなかったのは
ホイケに出る
ということ。


そのための時間を
ちゃんと確保する
ということだった。


家族にも
理解を得たけれど
驚かせた。

都内の訪問介護。


お休みに融通効かせられない
介護業界で、
週末の休みを
唯一受け入れてくれた。


朝5時に起きて
8時のサービス。
電車に乗って
事務所から電動を走らせた。


賭けのような
日々だった。


ちょっとしたトラブルから
トライアルの2ヶ月で
職場を変えることにした。
地元で改めて探すなかで、
年内だけは
どうしても週末休みに!
というのは譲らなかった。


不思議なもので
ご縁が出来た。


同僚にも恵まれ、
休みがとりやすい環境となり、
結局のところ
年内だけは、と思っていた
フラのlessonの時間は
引き続き確保された。


好きなこと、
手放しちゃダメよ!!
大先輩にも言われた。
彼女は引退してしまったが、
カメラを趣味として
受賞経験もあるらしい。


そのことが
今の私の自信に繋がっている。


好きは
貫ける。
好きは
裏切らない。


好きゆえに
ぶつかる壁もある。

かつては
実の親が壁だった事もあった。
ハードなハラウにいた頃は
もう、辞めなさい!!
って言われた。

ハラウを変わっても
あまりいい顔はされず、
無駄遣いの道楽だと
思われていた。

だけど
2016年のホイケに
母を呼んでからは
少し変わったようだった。


土曜は
フラのlessonでしょ?
って言われて
少し驚いた。

今やフラは
道楽ではなくて、
ライフスタイルの
重要な要素だ。
フラは
健康のために
欠かせないものだ。


私は
人より早く
閉経も迎えている。


ちょうどそれも
2年前だった。

薬で繋いでいた生理も
43のときに止めた。
母方の叔母が
薬で心臓に負担がかかり
心配停止に陥ったのを
聞いたからだった。


ホルモン補充を止めて
急激に減ったことで、
朝は
手先がこわばって
布団も掴めない位になる。


遂に薬指が曲がらなくなり、
キシロカイン注射を受けるまで
1年間悩んだ。
アオレの手の動きが
出来ないときもあった。


注射のお陰で今は
朝のこわばりだけで
済んでいるけれど。。

年相応に
体と向き合わないと。


45になると
クプナさんて
呼ばれるのよ。


って、
初めてのハラウで
先生が言っていた。


今は
クプナクラスをもつハラウは
50代~の括りが多く、
ワヒネの線引きも曖昧だ。


私はあまり
本当の意味での
フラの文化に親しんではいない。

シンプルに
自然を愛し
人生を楽しむ手段として
フラと向き合っている。


ときどき、
その辺のところで
息が詰まる。


皆がみんな
そっちに行きたいのではない。


生活の大事な時間やお金を
工面して向き合うのは
笑顔になれる
日常を離れて
ハワイの風を感じられる
時間なのだから。


2年の闘いの日々で
ようやく見えてきた
ビジョンがある。


介護予防と
フラ。


自分なりに
うまく融合できたらいいな。


好きなことは
反対されても
揺るがない。


好きなことで
誰かを
笑顔に出来るように。


自らの老いと向き合って
自然な呼吸で
おばあちゃんになっても
フラを続けられますように。

2018年9月27日
Mahalo!!,nui!!









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