省察「転」 | MATICブログ*思うところ無し!

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「転」

 

柳澤さんがナンデモアリ展に関わっていた頃が

たぶんバーベキューでの初対面と同じぐらいか、

多少前後する感じだと思う。

知り合いの岡村さんが入賞していて、

僕に触発されて応募したと言っていたからw

ナンデモアリ展の後は

彼は著作権担当で顔を会わせる度に、

スイカ事件知ってるか?が挨拶がわりだったw

 

長友健二さんが会長をされていた時に

柳澤さんが公募展を再び任され、

僕はお手伝いに参加した。

 

アグネスラム等を撮影した長友さんなのだが

タレント起用広告なんて広告写真じゃない!

という持論を展開していた、確かに!

 

広告写真家協が発刊してきた年鑑を遡り

確認すると時代は反映しつつも

写真力がパワフルで凄いな〜の一言って感じだった。

 

役員会や理事会や部会等をしている時や、

通りすがりにでも長友さんが柳澤さんに声をかていた。

柳澤!好きにやれ!任せる!宜しく頼む!という順番だ。

僕が学生時代に憧れていた広告写真家協会は

こんな感じなんだと理解した。

 

会員になった時に入会式みたいなのがあって

会員は年齢、経験、師弟無関係で対等である!

なんて説明をされた。

とは言われても先輩方と

親子以上に年齢差があった僕からすると緊張はする。

柳澤さんが息子の年齢で僕が孫の年齢といった感じw

酒の入った柳澤さんをよく知るのは堀切さん!

堀切さんと行動を共にしている印象が強いw

 

長友会長の時には、のびのびとやっていた柳澤さんだったが

協会内でのゴタゴタの様なのがあり、

(現)白鳥会長へ移行する前段で安達会長が1期担当した。

役員会等での発言権は理事だけだ〜

オブザーバーは発言権は無い!黙れ〜と叫んだ理事もいた。

長瀧さんは「良識者は去る」と一言残した。

僕は柳澤さんの後ろに座り眺めていた。

 

柳澤さんは引き続き公募展を担当していたが

5期終了目前、残り5ヶ月の時に

相当なストレスだった様で僕に任期残して辞任すると言い出した。

僕が柳澤代理でやっておくから距離をおけば良いじゃん

残り5ヶ月だよ!って説得した。

そんな事もあり、彼の別れ際の言葉は

「感謝してるからさ〜」と言いながら去っていくのが常。

 

たぶん、過去からの流れを把握していた運営から

過去は過去とし、新たな運営を模索する上で

新たに参加運営をする為に把握したかったのだと、

根回し、お伺い制度が暗黙のルールの様に。。。

時代に適した運営への移行?

公募展もアワードに!

世に溢れるタレントのニコパチも

時代を反映している広告写真だ!となった。

 

協会、団体からの叙勲推薦は70歳からが対象者に、

会長や副会長は2期、理事は5期以上が条件だったと思う。

柳澤さんには叙勲推薦条件の70歳以上をクリアして欲しかった(5期クリア済)。

 

柳澤さんは5期、10年、家族に迷惑をかけたと言っていた。

自身としては楽しかったと!

 

普段、家族の話はあまりしない柳澤さん。

彼の兄か義理兄は医師だったと思う、

眼科の件の時に病院の内情は知っているから、

そんなに心配しないで大丈夫だよ〜って言っていた。

長男がヘアーメイクに興味があってさ〜とか、他は秘密にしておきます。

 

僕が彼から引き継いだ初年度の展覧会会場に奥様を連れてきた。

うちの奥さん結婚する前、会員の板東さんのファンだったんだよ〜

なんて言われて奥様が少々戸惑いつつ、

笑顔でじゃあまたね〜と階段を上がって行った。

 

 

 

 

(下記、転載お許しをm(_ _ )m)

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