国立戦前アフロ・アメリカン音楽同好会ご報告 | 薩摩琵琶・後藤幸浩の-琵琶爺、音楽流浪

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◎国立戦前アフロ・アメリカン音楽同好会 vol.6 「ルイ・ジョーダン特集」 

2016年4月21日






○曲目

オープニング Caldonia Boogie (45年)

①Huneysuckle Rose (39年)
②You Run Your Mouth And I 'll Run My Business (40年)
③After School Swing Session~Swingin With Symphony Sid~(40年)
④I'm Gonna Leave You On The Outskirts Of Town (42年)
⑤Five Guys Named Mo (42年)
⑥It's A Low Down Dirty Shame (42年)
⑦Is You Is Or Is You Ain't My Baby (43年)    ⑧G.I Jive (44年)
⑨May Baby Said Yes…with Bing Crosby (44年)
⑩Stone Cold Death In The Market…with Ella Fitzgerald (45年)
⑪Petootie Pie (45年)

映像
1.How Long Must I Wait For You(1948年) ,
2.Long Legged Lizzie(1948年),

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 映像
1.Early In The Morning(1946年),
2.Salt Pork,West Virginia(1948年)

⑫Don't Let The Sun Catch You Crying (46年)
⑬Choo Choo Ch' Boogie (46年)
⑭Ain't That Just Like A Woman (46年)  
 ⑮Ain't Nobody Here But Us Chikins (46年)
⑯Let The Goodtime Roll (46年)
⑰Barnyard Boogie (47年)
⑱Saturday Nigts Fish Fly (49年)
⑲Blue Ligts Boogie (50年)
⑳Lemonade (50年)
21.Tear Drops From My Eyes (50年)


ほぼこの5枚組CDから選曲。戦前アフロ・アメリカン音楽好きにとっては有難いJSP RECORDS のJSP905。Amazonでも入手し易いです。


☆コメント  後藤敏章

“ルイ・ジョーダン&ヒズ・ティンパニー・ファイヴは、飛び跳ねるような、R&Bとジャズを一緒くたにしたようなものを演奏し、それは凄かった。コメディーもたくさんやったが、必要とあらばブルーズだってやれたし、コメディーの合い間になんでもやった。ルイはアルト・サックスをじつにうまく吹いて、歌も抜群にうまかった。ルイ・ジョーダンこそが当時のベストだ。世間の大半はそれを忘れてるけどな”(俺がJBだ!~ジェームズ・ブラウン自叙伝より)

昨年公開されたジェームズ・ブラウンの伝記映画では、まだ無名のJBがリトル・リチャードのステージに飛び入りし、ルイ・ジョーダンの「カルドニア」を歌いリトルと客を圧倒するという印象的なシーンがあった。また、冒頭に引用した自叙伝では、刑務所暮らしだった10代の頃のJBが所内のピアノでやはり「カルドニア」を猛烈に弾き、囚人を踊らせまくるというエピソードも語られている。“彼こそが当時のベスト”とジェームズ・ブラウンが断言するように、ルイ・ジョーダンは1940年代のアフロ・アメリカン音楽界の最大のスターであり、ヒットメーカーであり、アメリカの若い世代に絶大な影響を与えた人物であった。

1938年に小編成バンド"ルイ・ジョーダン&ヒズ・ティンパニー・ファイヴ"を結成、デッカ・レーベルに所属し、ルイは1942年から50年までのあいだに、アメリカのR&Bチャートに18曲のナンバー1ヒットを送りこみ、かつポップ・チャートでもいくつものヒットを出した。彼は、チャック・ベリーやレイ・チャールズよりもずっと先に、人種の壁を超えて大成功したアフロ・アメリカン・ミュージシャンであった。

ルイがスター街道を歩んでいく1930年代後半から40年代中盤とは、アフロ・アメリカン音楽が充実し拡大し開花していく、熱い時代でもある。ジャズ、ブルーズ、ジャンプ、ジャイヴ、ラテンなどが相互に影響しあい、そしてそれぞれがまたユニークに発展していった時代だった。まさにそのど真ん中にいたルイの音楽を聴いていると、当時のアフロ・アメリカン音楽の勢いや豊潤さも同時に伝わってくる。 

ティンパニー・ファイヴ結成前は、ニューヨークのジャズの人気ビッグ・バンドであるチック・ウェブ楽団に2年間在籍し、サックスとクラリネットを吹き、歌い、女性ヴォーカルのエラ・フィッツジェラルドと共に楽団の人気者であった。あまり語られることがないように思うが、1930年代後半のウェブ楽団でのエラ・フィッツジェラルドのチャーミングな歌とそれを支えるビッグ・バンドの躍動的なサウンドは、今の耳で聴いても非常にポップで瑞々しくて胸が躍る。モダン・ジャズ以降のジャズにはない感覚だ。そしてその瑞々しくてポップな感覚は、ルイ・ジョーダンのその後の音楽にも共通するものがあると思う。

ウェブ楽団を退団しティンパニー・ファイヴを結成後の初期の録音でジャズ色が強い曲をやっても、ルイのポップセンスは光る。ファッツ・ウォーラー作ジャズ・スタンダード①。ここでのルイの歌の何ともきわどい感じは真面目な「ジャズ」では許されないものだろう。ルイ・アームストロングの元妻リル・アームストロング作の②の軽やかさも、とてもいい感じである。

ルイは、"ジャンプ"と呼ばれるその後のR&Bにつながる音楽の代表ともよく評される。映像の"How Long MustI~"やはり同時代のジャンプバンドの代表的存在であるラッキー・ミリンダー楽団のリーダー、ミリンダーの曲。扇動的なアルトサックス、小編成バンドのソリッドな感触がまたかっこよい。⑥は、30年代にシカゴを中心に流行した"シティ・ブルーズ"の代表的ミュージシャンであるビッグ・ビル・ブルーンジーの曲、“Salt Pork~(映像)”にも小編成バンドのシティ・ブルーズの影響が感じられる。映像“Early In The Morning”は12小節のラテン・ブルーズ。ルイの芸人っぽい雰囲気とラテンのリズムが実にマッチして、なかなか怪しく興奮する。

このように当時のアフロ・アメリカン音楽の流行を巧みに自分のサウンドに取り込むルイの才能は素晴らしいが、その中でも特に、ブギウギ・ピアノを大々的に取り入れるようになったことは、彼のキャリアでも重要なポイントではないだろうか。オープニングのCaldonia、キャリア初のポップ・チャート1位に輝いた⑧、代表作で歴史的名曲⑬、そして終始ハイテンションで後半のカール・ホーガンのギターの音もインパクトがある⑰などを聴けば分かるが、ブギウギの導入により、ルイ・ジョーダンの音楽は加速し、ポップミュージックとしても、ダンス・ミュージックとしても次元がひとつ上に行ったような趣きさえある。

最後に、ルイのヴォーカルについて。ジェームズ・ブラウンも絶賛するように、ルイは抜群に歌が上手い。ルイ・ジョーダンの何が好きか?と問われれば、今までずらずら書いてはきたが、突き詰めれば、この声と、歌の表現力かなとも思う。レイ・チャールズやポール・マッカートニーや、ジェフ・バックリィも後にカヴァーした⑫は、ルイのヴォーカルの頂点ではないか。映像や写真で見せるテンションの高い顔力とはギャップのある、実に味わい深い声と巧みな歌い回し。彼のヴォーカルにもアフロ・アメリカン音楽の豊潤さを僕は感じる。





☆コメント 後藤幸浩

ルイ・ジョーダン、聞き出したのはずいぶん前、80年代初頭にジャンプ・ミュージックが一部で注目されたことがありその流れで。ジャンプ・ミュージックの要素はルイの音楽の一部を占めているが、今回改めてじっくり聞いてみて、そのジャンプにとどまらない多彩な音楽要素には驚かされた。

“キング・オヴ・ジュークボックス”とも呼ばれたルイ。要するに多くのヒット曲を飛ばした、ということ。しかもアフロ・アメリカンのチャートだけでは無く、ポップ・チャート、あるいはカントリーのチャートにも及んでいる。ある意味、同時代の大衆音楽を網羅した、クロスオーヴァ的な要素があったと言っても良い。

③はティーンエイジャーにも人気があったジャズのラジオDJ、シンフォニー・シドをネタにした、学校が終わったらジャンプ、ジャイヴ、スゥイングを楽しもう、的な内容。ジャンプ、ジャイヴ、スゥイングが同居して歌われているのが良いし、歌詞もアルファベットの羅列や“ギャング”という呼称 (ちびっ子ギャング的なニュアンスだろう)も出て来る楽しいもので後のロケン・ロールにそのまま繋がる。⑤ (R&B3位)はスキャットも入るしジャイヴから、来たるビ・バップへの流れも凝縮されたかのような曲。

シャウター系歌手でルイ同様アルト・サックス上手のエディ・クリーンヘッド・ヴィンスンもクーティ・ウィリアムズ楽団在籍時にカヴァした⑦はカントリー・チャート1位、ポップ・チャート2位、R&Bチャートで3位。面白いヒットの仕方で、どマイナー・キイのバラードの曲調にその要因がありそう。めでたくR&B、ポップ両方のチャートで1位獲得の⑧は白人の作曲家ジョニー・マーサの作品。ジャイヴとタイトルされいて、部分的に洒落たコード進行を挿入、ブルーズとジャイヴの要素がクロスオーヴァしてヒットに繋がった感じだ。

⑨は白人のクルーナー系の大歌手、ビング・クロスビーとのデュエット。ポップ・チャートの14位に。ジャイヴ風味も含んだ軽妙な曲で、ルイは自身の声の持ち味を消すこと無く、クロスビーの歌にぴったり寄り添っていてみごと。ルイは30年代のチック・ウェブ楽団時代から歌も歌い、こうしたクルーナー系の歌い方は得意としていた。この歌の幅がじつに素晴らしい。⑩はそのチック・ウェブ楽団時代の盟友、エラ・フィッツジェラルドとのデュエットでカリプソ・ナンバ-。カリプソは当時かなり流行していて訛った独特の歌い回しが面白い。R&Bチャート1位、ポップ・チャート7位。

ルイ、と言えばこれ、と頭にすぐ浮かぶのが⑬。独特のクールな歌い回し、スマートなグルーヴ…明らかにこれまでのアフロ・アメリカン音楽とは違うニュアンスを持った曲で、R&Bチャートは46年8月より18週1位、ポップ・チャート7位を記録。作者のデンヴァー・ダーリンはヒルビリー系のミュージシャン、ヴォーン・ホートンはパティ・ペイジやレス・ポール&メアリ・フォードらでもおなじみの「モッキンバード・ヒル」でも知られる。2人ともカントリー&ウェスタン畑の作家、さらに曲調はブギ…ちょっと単純な解釈かもしれないが、アフロ・アメリカン音楽の要素とカントリー&ウェスタンに代表されるホワイトのセンスがみごとにクロスオーヴァして人種を超えたヒットに繋がったと思える。

この時期にはカントリー&ウェスタンのミュージシャンによるブギものは定着していたようだし、ウェスタン・スウィングというジャンルもあった。ブギ、はアフロ・アメリカン独自の感覚からポピュラー音楽界の共有財産になっていたのだろう。

⑭ (R&B1位、ポップ17位)のイントロのギター・リフはチャック・ベリー「ジョニー.B.グッド」のそれに、⑰(R&B2位)はやはりギターがビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ (プロデューサーがルイと同じミルト・ゲイブラー) に繋がる。ビル・ドゲットがピアノで参加の⑲ (R&B1位)はドゲットの「ホンキー・トンク」の下敷きにもなっていそうだ。40代後半以降のルイの音楽はR&B、ロケン・ロールへの直結感に溢れ実に楽しくスリリング。

休憩時間にはブギ・ウーギ・ピアノ、カントリー系のヒルビリー・ブギの編集盤、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツなども聞いて頂いた。ビル・ヘイリーは⑬をカヴァしているがビートが重く、ルイが“チュ・チューチ・ブギ”と歌うところを“チューチュー・チ・ブギ”と歌っているところなど面白い。ヘイリー&ヒズ・コメッツはジャズ出身のギターリスト、フランク・ビーチャー(巧い!)とスティール・ギターのビリー・ウィリアムスンの対比も聞き所。