「金銭と代数とが、同時に勝ちを占めた。」とあるが、古代ギリシアにおいて金銭と代数とに勝利をもたらしたのは相対主義である。

 

 ヘシオドスがえがくギリシアの農民生活の後も、ギリシア人に待っていたのは鉄の時代と呼ばれる血を血で洗う殺戮の時代であった・・・。

 自由であるのは、相対的に力を持つものだけであり、まさに「Might is right.」の時代であった。

 

 

 弱者は生まれてきても2ギガの世界に生きるようなものである。

 

 「親ガチャに失敗した」という人の気持ちは2ギガの世界のようなものなんだろう・・・。

 

 

 「個人の尊厳みとめる現代の方が、相手の人格貶める言葉使ってる気がする。」とツイートしたが、なんか「無為自然」という言葉思い浮かべてしまう。

 

  しかし、この世界を生存競争とか、国家は強者が弱者を支配する場と考えれば、自分は違うとして、自分以外の人間の尊厳を道具的理性で評価して相対化してしまう。

 まさに真珠を踏みにじる豚のようであり、「無用の用」のような理も無用と思ってるのだろう。

 

 「無用」として人間に尊厳や自由を認めない社会がどういうものか皆も考えた方がいいと思う・・・。