トランプ大統領がよく口にする「フェイクニュース」という言葉があるが、これは日本で言えば「やらせ」のことを言っている。
 報道やドキュメンタリーにおいては、事実の客観的な伝達をする必要があるが、今回は君たちに情報伝達者となったつもりで答えてもらいたい。

 
 
 この画像を見て君なら視聴者にどう伝える?。
 
 
モンデル「君の名前は?」
捏造「捏造です」(一同反応する)
モンデル「捏造、君は有名人だなぁ。(一同笑)
 では捏造、君の意見を聞こう。」
捏造「フセインが故意に原油流出させた結果です!。こんなかわいい水鳥を油まみれにしてフセインは犯罪者です!。こんな人たちに負けるわけにはいかないんですよ!!」
モンデル「水鳥が油まみれになったのは事実だが、実際は多国籍軍による空爆が原因なんだよ」
捏造「そんなの関係ありません!。政治は結果が全てです!」(モンデル絶句する。一同笑)
 
 日本において、昭和21年5月の「米よこせ」メーデーの際、「国体はゴジされたぞ、朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね」と書いたプラカードを持ってデモに参加した者が刑法74条の不敬罪として起訴された事件があった。1審では、従来の天皇の特殊地位の変革により不敬罪を適用すべきではないが、名誉毀損であるとして有罪にした。
 ここで連合国軍総司令部が介入し、不敬罪についての大赦令を出させたので、2審では不敬罪だが免訴、最高裁では不敬罪かどうかうやむやのまま上告棄却。
 しかし、山口判事が昭和21年10月初め頃から闇米を拒否して昭和22年10月に餓死したようにヤミ物資に頼らなければ国民は本当に飢えて死ぬ状態だった。
 このプラカードの文言のような客観的な事実であっても法律で禁止されていたら記事にしてはいけないと思うかな?。
 
両津「法律は法律だから記事にしちゃぁ駄目なんじゃないですか?」
モンデル「山口判事が死亡した原因の食料管理法については、闇米を食べなければ生きていくこと自体が不可能であり、食料管理法それ自体が守ることが不可能な法律であったという意見もあり、期待可能性・緊急避難の法理を適用が主張されたが、裁判所でことごとく退けられていた事実がある。君の意見は期待可能性・緊急避難の法理を退けた裁判官の意見と同じだね」
両津「はい」
モンデル「しかし、現代では闘う民主制ということが世界では叫ばれている。これは自由を利用してナチスやファシストのように民主主義そのものを否定する法律を成立させ『法律は法律だ』として、人間の尊厳を踏みにじった経験から叫ばれていることで、つまりは、民主制はそれ自身を否定する者に対してまで寛容ではあり得ず、それを攻撃する者から人間の尊厳を守るため闘わねばならないという思想だ。ドイツでは戦後この思想が実定化されている。そして実際に民主制の枠組みを否定する政党には違憲判決が出ている」
両津「じゃぁ、人間の尊厳を守るための事実を報道するなという場合、抵抗しろということですか?」
モンデル「まさにそのとおりだよ。君の名は。」
瀧「瀧です」

 
 公正な論評(fair comment)という法理が、英米名誉毀損法の免責抗弁事由として長い伝統を持って存在している。
 これは、「公共の利害」に関する事項または一般公衆の関心事であるような事項については、何人といえども論評の自由を有し、いかにその用語や表現が激越・辛辣であろうとも、また、その結果として被論評者の社会的評価が低下することがあっても、論評者は名誉毀損の責任を問われることはないとする法理である。
 それが「国体はゴジされたぞ、朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね」という真実であるなら、その言葉で社会的評価が低下するとしても、この法理が適用されるべきであると私は思う。
 しかし、フェイクニュースは例の記事を読めばわかるように真実ではない。
 「やらせ」の原因はスポンサーや国家からの圧力にあるが、事実の客観的な伝達を担うことが報道やドキュメンタリーの使命であるなら、フェイクニュースは許されるものではないだろう。
 今一度、報道やドキュメンタリーは何のために存在するのか?、このようなフェイクニュースを予防するにはどうすればよいか?。皆も胸に手をあてて考えてもらいたい。
 今日はここまで。参加してくれたみんな、よくやってくれた。ありがとう(拍手)。