「ナチスの手口をなんの捻りもなく使う自民公明」というブログ記事の中でこんなことを書いた。

アメリカ人のジョーゼフ・キャンベル氏はこんな言葉を残しています。

「私は二十世紀を生きてきましたが、子供のころ、まだわが国の敵ではなく、かつて一度も敵であったこともない国民についてなんと言われたかを憶えています。憎しみとデマと侮辱のキャンペーンが始められていました。いまでもそれが耳に残っています。」
ナチスのゲーリングは「国民は戦争を望まない。しかし決めるのは指導者で、国民を引きずり込むのは実に簡単だ。外国に攻撃されつつあると言えばよい。それでも戦争に反対する者を愛国心がないと批判すればいい」という有名な言葉を残していますが、ナチスのゲッペルスは他にこんな言葉も残しています。
「いかにも宣伝らしい宣伝では、相手に嫌がられ素直に受け取られない。宣伝とは思わせずに、相手が気づかないうちに宣伝を行なうのがもっとも効果的に相手に届く宣伝方法だ」
気づかないうちに、気づいた者は非国民に。
死の商人は上手く考えるものだと思います。
しかし、気づいた者が多ければ戦争は止められます。(ベトナム戦争が良い例。しかし、死の商人はこのことから学習して、戦争の実態をより巧妙に隠すようになった…)
活版印刷技術は「魔女裁判」、ラジオは「第二次世界大戦」を正当化しましたが、ネットが気づかないうちに「第三次世界大戦」を正当化する宣伝に使われることを防がないといけないと思います。】

では実際にナチスはどのように気づかないうちに宣伝を行ったのか?。

『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』という、ドイツのルター派牧師であり反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩からその様子が伺える。

 

【ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は共産主義者ではなかったから

 

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった

私は社会民主主義ではなかったから

 

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は労働組合員ではなかったから

 

  そして、彼らが私を攻撃したとき

私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった】

 ゲッペルスの「いかにも宣伝らしい宣伝では、相手に嫌がられ素直に受け取られない。宣伝とは思わせずに、相手が気づかないうちに宣伝を行なうのがもっとも効果的に相手に届く宣伝方法だ」という手口通りのブログ記事が公式ジャンル人気記事1位で紹介されていた。

(--;)さすがペニーオークション詐欺のアメブロ…

「法の支配」ではない「力の支配」を正当化する宣伝を気づかれないように上手くしている。
他にもアメブロではないがゲッペルスの「いかにも宣伝らしい宣伝では、相手に嫌がられ素直に受け取られない。宣伝とは思わせずに、相手が気づかないうちに宣伝を行なうのがもっとも効果的に相手に届く宣伝方法だ」の手口での刷り込みに「かわいいは正義」などがある。これはソクラテスを殺した「正義とは強者の利益以外の何ものでもない」と主張したトラシュマコスの言葉とそっくりで、社会ダーウィニズムや大日本帝国憲法、ナチスの優生学、今日の新自由主義にもつながる利己主義的倫理説の刷り込みと言える。
みなさんもゲッペルスの手口には気をつけて下さい。