交通事故は毎日のように起こり死者もだす。しかし、自動車をなくすなんて主張する人はいない。
一度知った豊かさは捨てられない。弥生時代米作技術が争いを起こすことがわかってもやめなかったの
と同じ。
原発の考えも似たようなものだろうが、これらを成り立たせる土台となるものはなんだろうか?。
危険の予防はもちろんであるが報復や賠償などの埋め合わせが約束されていてこそなんじゃなかろう
か?。それすらないのなら到底認めることなんて許されないだろう。自分が幸福になるためなら他人を
不幸にするという、自他共栄の考えを持つ人なら許さない考えのもとの行為になる。まさしく聖書のヘビ
の行為だろう。
しかし原発のリスクはあまりに大きいし埋め合わせ出きるものではないような気がする。
ドイツでは脱原発を決定した。ハイデガーの哲学から生まれたようだが、この人は日本の哲学の影響
を受けたそうだが、当の日本がすでにそれをなくしているというのはなんとも奇妙に感じる。