私が自公政権最盛期に人と議論して一番呆れたセリフは「貧乏人の味方して何の得あるねん」というセリフだ。
その頃の学会員と会話して思ったのは、まともな奴もいるが、自分の幸福に貢献しない人間は生きてる価値ないとか地獄におちるとか霊感商法丸出しの奴も多いという事実だ。
人を救いたいという意思でやってる奴はまともだったが、大半は救われたいという人間で、創価学会はそういう思考能力、判断能力の欠けた人間を悪用していた。
政治家は飴と鞭を選ぶ時、飴を選び、国民と国家を犠牲にした。
今でも言えるが財界人には「王子とこじき」を読んで貰いたい。
当時を江戸時代に例えると、大飢饉が起こっているのに米問屋が米を買い占め、役人が備蓄分の米を私腹を肥やす為に使い切ってしまってたというところだ。
経済は経世済民ではなくゼロサムゲーム、金で金をうむ空虚なマネーゲームだった。
色んな人とホンマ自分の人生を捨てて話をしたが、その当時の時代がおかしいと感じてる人は案外多かった。しかし、人間の連帯について考えると、小は家族・友達など、大は会社・国家など。人間はそれぞれの関わりの中でアイデンティティーを確立する。そして、人間は善悪より連帯の忠誠心を優先する。それが連帯の利益になるからだ。大の連帯になる程、個の力では逆らえず忠誠心を優先する。
イスラム世界ではムハンマドが現れるまで砂漠化していく地で血で血を洗う抗争が繰り広げられ、戦闘に役立たない女の子が生まれると生き埋めにされていた。※おかしいと思ってもリーダーの言うことには逆らえない。日本は血こそ流さないがそれに近い状態だった。漫画の新刊の帯に命より金が大事とか書かれていてショックだった。
人間は経済動物扱い。
共同体・機能体という組織の分類あり、会社は機能体に分類されるが、カンパニーの語源は「共にパンを食べる仲間」。語源からかけ離れている。機能ばかり重視され、人間に取って、大切な心があればそれが邪魔になる。
人を結びつけるのは愛ではなく金。
若者は愛も金で買えるなんて言う奴をリスペクトする異常な時代だった。しかし、民主党にかわっても赤鬼が青鬼にかわっただけだった…。
鳩山さんは「命を守りたい」とか演説したがマスコミは馬鹿にしていた。マスコミもええ加減、スポンサーの言いなりなるの止めろと言いたい。戦争の時と同じやんけ。そんなんやったら誰もテレビとか見んようなるぞ。それで日本人の判断を誤らせている根本の所の問題はみんなの幸せを考える共同体意識の欠如。それが関係喪失の時代を生み出し、これまで封印されていた様々な悪が飛び出してきたのだ。まるでパンドラの箱だ。
しかし、パンドラの箱には希望が残っていたが、今の時代は希望すらない気がするのは私だけだろうか?。


※「イスラームの心」(黒田壽郎著)参照