一度、自分の身から剥がして捨てて

新しい形をした
窪みのできた自分になる

そこに
また違う種が滑り込み
芽吹き、実り、咲いて、また土に還る

前より少しフカフカした土になった自分

それを
今回の旅で出会った芸術や人に耕され
種がまかれる準備ができた

どんな種がまかれるのかな…て
感じていたら

一度、自分の身から剥がして捨ててきた種らしい。


…て、感じた
詩人 萩原朔太郎の展示



あれも、これも、
既存のものにハマろうとして
捨ててきたけれど

言葉も、詩も、音も、線も、裏側も、
捨てなくていいや。

薄まると思っていたけれど薄まらい。
私は私でいいや。
私にしかできないことを
私が楽しんでしたらいいや。


…て、わかった。
わたしに潜ろう。









数年前、似たような
剥がして、耕して、また種をまく…ていう不思議な旅をオアフ島でした。
自分を許す旅だった。



今から、そのオアフ島で知り合った
アーティスト2人と出会う。

そうゆう風に
時系列も完璧に用意されている。
いつも。


あらがわずに、
素直に素直に流れのままに生きていると、神仏が私たちを育ててくれる。

違っていたら物語はすすまないし、
身体の具合が悪くなる。

だから、いつも、そのままそのままを
生きる。
動かされるまま、歩いて感じて眺めるだけ。

それだけで、いい。
それは、とても、おもしろい。




#自分を拾う