二度目のヒプノヒーリングセッションが先月24日。その前から、俺は配達中、俺の過去生の一人である黒人女性の顔を思い浮かべるようになった。
セッションの時に明らかになったが、彼女はアメリカのスラム街で、ゴスペルシンガーだった。何を糧に生きてきたかはわからない。でも彼女の俺に対するメッセージは『「どうやって食べてきたか」よりも「どうやって生きてきたか」の方が、ずっと大切だ』という事。別に彼女が、改まって俺に話しかけたわけではない。でも何となく、そんなメッセージを受け取った。
俺は車券師=ギャンブラーである。まあ言ってみれば『ろくでなし』だ(笑)でもろくでなしにしか出来ない事が、今のこの世にきっとあるんでしょう(笑)と笑っていますが、かなりマジですね。したり顔で世の中わかった気になっている輩に大きな顔はさせない。俺も大きな顔はしないけど(笑)
ええ、単なる新聞配達員ですから(笑)

「迷わず己の道を行きなさい」と、同じく俺の過去生である坊主が言う(笑)
ヒーリングをしてくれたエルさんには坊主が二人と言った。
権力を持ち、悪の限りをつくした坊主。それから百姓一揆を裏で支えて、最後に事が発覚して、磔にされた坊主。両方とも今世の俺を形づくる大事なパーソナリティーの素である。エルさんには内緒だが、実はもう一人坊主がいて、坊主の道を究めた結果、野に下って、放浪していた奴がいる(笑)
もちろん、迷わず行ってやるさ(笑)
あら、サッカー・日本対ベルギー戦が始まる(笑)
ラブパンクの舞台と絡めて書きたかったのに(笑)
まあ、いいや、では、またm(_ _)m
猫屋敷に行って、ピザを食べた。
猫屋敷とは、自分の家の中や外に、猫を沢山飼っている友人宅。家主の名前はシンさんと言う。シンさんは以前は、近所の猫が集まる場所に行き、餌をやっていたりもしていた。
俺は、去年亡くなった、彼の父親の仏壇に線香を焚いて、手を合わせて、彼と飲み食いするのだ。たいてい、デリバリーのピザである。
新しい住人がいた。虎柄の雄の子猫。コトラと言う。
シンさん「こいつ、他人が来ると、おとなしいんだよ。ネコかぶるんだよ。」
俺「猫だから、ネコかぶるわけね(笑)」

でも、元々人なつっこいらしく、帰る頃には、俺はじゃれつくコトラに、手足を噛まれまくってました(笑)

俺「コウは元気?」
シンさん「相変わらず元気だね。」
コウとは、2人の共通の知人夫婦が飼っていた犬。コーギーなのでコウ。実は、もうこの世にはいない。でも魂は生きていて、シンさんの家で、(肉体的に生きている)猫達と、家の中で遊びまくっている。コウは生前から、幽体離脱して、シンさんの家で遊んでいた。「僕ね…」とコウは、自分の事を呼ぶらしい。シンさんが生死をさまよった際、夢の中でコウが「シンちゃ~ん」と呼んだのが、幽体離脱のきっかけである。と俺は、思っている。

シンさん(コトラを見て)「こいつ、コウと遊んでたよ」
俺「ああ、そう」
シンさん「死んだ猫達も集まって、大騒ぎだよ」
シンさんは、数え切れない程の猫達を世話し、共に暮らしてきた。それはすなわち、数え切れない程の猫達と別れてきたという事だ。死を看取ってきたという事だ。

俺「そうなんだ」
シンさん「コトラ、(遊んでいる、魂だけの)猫達が通った後をついて行こうとして、物にぶつかって倒れてたよ」
俺「あはは」

シンさんは、霊が見える人である。俺は見えない。実際に、魂だけのコウや猫達が遊んでいる様子を感じたわけでもない。しかし、俺は彼の話を信じている。彼とコウや猫達の絆は、他人の入る隙間がない程、強い。
シンさんは昔、猫だったのかもしれない。
いや、コウや猫達が昔、人間だったのかもしれない。
コウ自身も、実は昔猫だったので、ペットショップで猫達と一緒のかごに入れられていたのかもしれない。
別にどうでもよい。理屈はいくらでも、後からつけ加えられる。
絆が強ければ、それで良いではないか。
絆があれば、人間であろうと無かろうとよいではないか。
生きているも、死んでいるも、関係ないではないか。大差はないではないか。
シンさんの家から帰る時、いつも神社に寄る。
そんな事を考えるわけでもなく、考えないわけでもなく、俺はただただお参りをするのでした。









いい話になってしまいそうなので、一つだけ。シンさんは稀代の女たらし。皆さんが知っている、あんな人やこんな人と浮き世を流してきた。まあ、次から次へと大したもんだ。
これ以上は自粛(笑)
そんな人間くさいシンさんは、とても面白い。
深夜どころか朝になってしまいました(苦笑)
最近俺がテーマにしている事。
「必死に生きる」
死に物狂いに生きる…ではありません。そんなんよう出来んわ(笑)と関西弁で、ツッコミたくなりました。

そうではなくて「明日必ず死んでしまうと思って、生きる」という意味の「必死」です。

別に世の中に楽しい事が無いとか、生きる事がつまらないとか、云々かんぬん、…全くありませ~ん(笑)

ああ、もったいない(笑)

そうではなくて
怒らない
苦しまない
悩まない

(…必要最低限のケースを除いて…)

その為にはどうすればよかっぺ?

そんな事を考えていたら、こんな結論になりました(笑)
(まあ、考えるきっかけは沢山あるので、割愛)

どうせ明日死ぬのなら、
怒らない
苦しまない
悩まない

あと色々な事象を批評して、第三者面しない

常に当事者意識を持つ

ポイントは「今の自分に必要かどうか」
それで全ての物事を仕分けしていく

自分にプラスになる事だけ追いかける
マイナス?結構な事です。転じればプラスになる。
どうしたらマイナスがプラスになるかを考える
考えぬく
考えぬいて、分からなかったら、とりあえず、分かるまでぶん投げる(笑)

関心ない事は、知らない(笑)
…ふりをする(笑)

たかが人間、ちりみたいな存在じゃないですか
笑って生きていれば、いいじゃないですか

…だんだん考えていた事を忘れていき、文章が詩的という名の支離滅裂になっていく(笑)
(reiさんのブログにも、つながらないぞ)

まあ、それも俺でして
まあ、明日死ぬから、いいや(笑)

…って、今日も生きてます、はい(笑)

ああ、人生止められない(笑)

みなさん、今日もよろしくです。