現在、上野の東京国立博物館で「縄文 : JOMON」展が開かれていますが、その一万年続いた縄文時代。やがて弥生時代になった時、縄文人(※)はどこへ行ったのでしょうか?


(↑復元された縄文人。TVより)


教科書的には、狩猟生活をしていた縄文人は、稲作の文化を携えてやってきた弥生人に征服・駆逐された、というのが、まあ定説になっています。


現に、縄文を象徴する土偶や縄目模様の土器は、弥生になるといきなり姿を消し、青銅器などがとって変わります。



しかし、実際は弥生人の東進は、西からゆっくりと行われたと言われています。



また、東北地方では、縄文晩期の亀ケ岡式土器が長く使われていて、古墳時代まで使われていた痕跡が認められています。北海道に至っては「続縄文文化」と言われる、アイヌの原型を見ることが出来るのです。弥生を通り越してまで「縄文」は生きているのです。



先ほど書きました通り、弥生人が一気に縄文人を征服したり、追放したりした訳では無いとも言われています。こう考えてきますと、弥生人と縄文人は、徐々に融合・交配して混血していったと考えるのが妥当だと思われるのです。




最近では、毛深くて目がぱっちりしている人を縄文人系。毛が薄くて目が細い人が弥生人系。などと表現されることもありますが、日本人の中に両者のDNAが混じりあっている証左なのかもしれませんね。






注: 縄文人

日本の縄文時代の人々。人類の進化段階では新人に属する。遺跡出土の人骨によれば,身長は 160cm足らずで,頭が大きく,顔は幅広くて,鼻は広いが鼻筋が通っていたと考えられ,顎骨は強大で歯の噛合せは鉗子状,咬耗は著しく,人為的な抜歯がみられることもある。四肢骨の筋付着部はよく発達し,扁平脛骨,柱状大腿骨,巨大腓骨などがみられ,しゃがんだ姿勢をとる場合が多かったらしく足首などに特殊な関節面ができているなどの特徴がある。縄文時代人は採集狩猟生活をし,身体形質も石器時代人的特徴をほとんど変化なく,数千年にわたって保持し続けた。弥生時代に入ると,縄文人の形質は生活の変化や,大陸からの渡来者との混血の影響で大きく変化し,次第に現在の日本人の姿へと移行していったが (弥生時代人) ,北日本の縄文人はそれほど大きな変化をこうむらず,現在のアイヌにその形質を伝えたものと考えられる。






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