ありがとうございました(続) | 雪待月

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ゆうこと露菜のブログです


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6月20日(日)安佐南区八木に
行かせて頂いた事への、
そして、
その日にあった多くの事への
「ありがとうございました 続編」です。


19日の準備に関して、
心を配って頂いた現地スタッフの皆様、
本当にありがとうございました。

スタッフには、中学生や高校生の方々も
大勢いらっしゃって、
大人顔負けの気使いされるその動きに、
驚いてしまいました。
ありがとうございました。


午前は雷を伴った大雨だったとかで、
予定行事が中止になってたそうです。
午後は小雨程度に雨も落ち着いて、
本当に、関係者一同ホッと安堵しました。
お天気を良くして下さった神様にも、
心からありがとうございました。

北海道や大阪、神戸などから、
思ってもいない多くの花束を頂きました。
贈って頂いた花束は、
全て土砂災害にあわれた方々の慰霊碑に、
お供えさせて頂いて帰りました。
本当に、ありがとうございました。


八木に住んでいたのは、
1980年7月から、
3年半位だったと記憶してます。

私は、その頃の記憶は鮮明です。
一番の記憶は、いつも孤独だった事。
一番辛かった日々は、
80年と81年でした。
デビューして2ヶ月目に八木に引っ越し。

0歳の露菜を抱えてました。
若い日でした。
一番、幸せであるべき日々のはずでした。
アマチュア時代の彼の友人は、
80年、81年は、
八木の自宅に
どなたも来られてません。
外で、
友人と遊んでる人ではありませんでした。
一ヶ月の内、半分位は上京して仕事。
後は、日帰りでのキャンペーンなど、
慣れない仕事を、
懸命にこなしてました。
口下手でしたから、
キャンペーンの台本も自分で書いては、
何度も何度も、セリフのように、
練習してました。

でも、それも、その忙しさ?も
1981年の夏あたりは、
上京することも、
ほとんど無くなっていました。
自宅待機?状態になってしまってました。

1980年と1981年に、
八木には、
訪ねて来てくれた友人知人は、
いませんでした。
さみしそうでした。
「プロになったのに、
村下はアマチュア時代より
ひどい仕事してるぞ」と、
いわれてたのは、2人とも知ってました。
本人も、
誰にも、その頃は、
会いたくないと言ってました。
そのことに、
無理強いしませんでした。

だから、
いつも、笑って、子供と3人で、
散歩してました。

一番の思い出で、お気に入りは、
自宅のすぐそばにあった、
梅林小学校の校庭。
露菜は、走るのが好きでした。
村下孝蔵は、そんな娘をからかって、
楽しそうに遊んでいました。
家族の時間は、たっぷりありました。
収入はアマチュア時代の半分以下でした。


やっと、来客登場。
最初の来客は1982年になった、
ある日です。
その日の記憶も鮮明でした。
私が本当に嬉しかったからです。
でも、それはもう、
ソニーとの契約をやめようと
いいえ、歌手生活そのものをやめようと、
本当に決めていた頃でした。
「ゆうこ」というシングルを、
出す直前でした。

私達は、
賛成された結婚ではありませんでした。
八木の自宅に、
両家の誰かが訪ねて来て、
夕食を共にするとか、ありませんでした。
80年と81年は皆無でした。

私の孤独感と、村下孝蔵の孤独感は、
きっと、少し違ってたと思います。
けれど、
2人とも八木での生活は、
孤独と不安との日々でした。

生活のために、私も働いてました。
村下孝蔵が仕事で、何日も何日も、
いない日々は、不安でした。
その頃、
私を支えて下さってたのは、
アパート3階私達の部屋の、
真下に住まわれてた、新婚の妻のMさん。
彼女の夫も、仕事柄夜遅くて、
良く、下のMさんの部屋で、
紅茶のませてもらいながら、
笑って過ごさせてもらって。
どんなに、救われてたか・・。
もう1人、
3階のお隣の部屋にいられた、
0歳児ともちゃんと、おかあさん。
夕方ころ、時々行かせてもらって。
さみしかったので、
本当に、どれほどの気持ちを
支えてもらえて頂いてたかと・・。

いつの日か、会って、
あの頃は、言えてなかったけど、
さみしさと不安とを、
救ってもらえてたと。
お礼を言いたくて、
ときどき思い出してました。

30年以上の月日が経ってしまいました。
もう、あきらめてました。
それが、19日に。
Mさんのお友達が、駆けつけて下さって。
その場で
Mさんと携帯でお話させていただけました。
嬉しかったです。
又、お会いして、
ちゃんとお礼を言いと思ってます。

伝えないまま、
私は死んでしまうかもって、
そんなこと考えてたので、
アドレスがわかって、
本当に嬉しかったです。
雨の中、Mさんの事をつたえに来て下さった、お友達の方へ。
本当にありがとうございました。

ともちゃんと、
ともちゃんのおかあさんも。
きっと、どこかでお目にかかって、
気持ちを伝えたいです。
感謝とありがとうで心はいっぱいです。


たくさんの思いがけない
出来事がありました。
短い時間に驚くほどでした。

自分で自分の気持ちを、冷静に、
受け止め文字にできはじめ、
やっと、
あの頃の、八木での村下孝蔵の
険しさと、
我慢していた仕事へのジレンマ
村下孝蔵の気持ちが、
汲み取れはじめた思いがあります。
もう少し体力が戻ったら、
私の小さな感情は抜きにした、
村下孝蔵が八木の地で過ごしてた時間、
真剣に取り組んでいた事実だけを、
文字にして、
のこしておかなければと、
そう、今日も思ってしまってます。

まだまだ
生きなくてはいけない事が
たくさん残ってて。
大変です。
無理せず、がんばりすぎないように、
でも、
がんばります。
明日から、
又、練習はじめます。


良い日になりますように。



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