安佐南区八木と村下孝蔵 | 雪待月

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ゆうこと露菜のブログです


テーマ:
むし暑い一日でした。

どんな一日を過ごされましたか?
ちゃんと、ごはん食べてますか?
暑い夏の日が目の前。
夏仕様の身体に、
スイッチをそろそろ切り替えて、準備準備。
冬が来る前に、冬眠の準備をするみたいに。
夏が来る前に、秋まで生き残れる準備しましょ。



あと数日後、6月19日。
今度の日曜日、安佐南区八木に行きます。
どんな風に、
私の気持ちを文字にすればと、
とてもむつかしいです。


毎日文字をつづることは、
毎日を記録することと思っていた長い時間がありました。

毎日、文字をつづっていく内に、
毎日、文字をつづるということは、
それは、
自分の心と向き合う時間を、
いやおうなく、
もってしまうことと知りました。

「安佐南区八木と村下孝蔵」
31年もの間、
一度も足をむけることができなかった場所です。
私が24歳から28歳位まで。
村下孝蔵が26歳から29歳位。
露菜は、
生後2ヶ月から4歳近くまでだったかと。
3人で暮らしていた地でした。
何年経っても気持ちが壊れそうで、
心の奥深く沈ませていた地でした。

2年前の土砂災害で、
多くの場所が他にもあるのに、
ただ一点、
小さな小さな、
わずかな広さの八木地区が崩れ、
70数名の方の命が消えてしまいました。

私が、こわくて行けなかった場所が、
テレビ画面に、黒く灰色の土砂にまみれてました。
30年の年月を経て、
はじめて画面を通して目にした光景は、
私には残酷でした。
自分の弱さも、思い知らされました。

避難所になった梅林小学校の映像は、
押しころしてきた光景と重なりはじめ、
息が苦しくなっていました。


その地で、
村下孝蔵は「村下孝蔵」になりました。
多くのことを、乗り越えて、
生きるために「村下孝蔵」になりました。
歌とギターが好きだった。
それだけではすまない歴史がありました。
オーディションでデビューというだけでは動かせない大きな壁がありました。

私の感情論ではなく、
1980年代という不可思議な時代に、
若さゆえに力みすぎたり。
不器用さゆえに、座り込んだり。

生きなければと、生きるためにと、
懸命に曲を作りつづけていた村下孝蔵という人が、
安佐南区八木という地で過ごした時間を、
書きのこしておかなければと思っています。

19日は、被災された方々にご挨拶させていただき、
追悼の思いを音に。
言葉にならない言葉を音に。

寄りそわさせて頂ければと。
その思いだけです。


八木の皆様へのご挨拶と
御霊へ音を出させて頂き。

少しずつ、文字に変えて行きたいと思っています。



今日も良い日でありますように。
頑張りましょ!














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