広島市安佐南区八木 | 雪待月

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ゆうこと露菜のブログです


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8月20日未明に起こってしまった、この度の大規模な土砂災害に対して、
大きなショックを受けてしまっています。
この時間にも、大変な気持ちを抱えてすごしていらっしゃる方々に対して、心からお祈りさせて頂くしか、すべがありません。

この話題を、
まだ、行方不明の方々が多くいらっしゃる状況の中で、このような事を書かせて頂くのは失礼と深く感じております。

ごめんなさい。
胸の内をこらえきれず書かせて頂きます。

1980年夏に、その年の5月に生まれたばかりの露菜の為、私達は、それまで住んでいた小さすぎたアパートから、エレベーター無しでしたが、3DKのマンションの3階に引っ越しました。
娘が5月に生まれ、2ヶ月私の実家ですごしていたその間に、少しでも子供の為に広い部屋に住みたいと。
仕事の合間に、2人で探した場所でした。

その場所が、広島市安佐南区八木です。

可部線の線路を渡り、線路と梅林小学校の間に建っていた小さなマンションでした。
1983年、確か6月に “上安” という場所に引っ越しするまでの約3年間。
家族が3人になり、“家族” の生活がはじまった場所でした。

デビューしてまだ2~3ヶ月でした。
生活は大変でしたけど。2人とも夢を追って、懸命でした。

八木に決めたのは、市内から距離があり家賃が広さの割りに予算内だった事と、
“八木の梅林” は有名で大変美しく、私の父が好きで良く一緒に行き、周辺の地理がわかってた事。
市内から遠いけどサラリーマンでないから大丈夫だと、彼が言ってたのも思い出します。

その場所が、その部屋が、彼の懸命さが、様々な歌を作って行きました。
「春雨」「歌人」「帰郷」「ゆうこ」「陽炎」「冬物語」。
「踊り子」のフレーズ、そして「初恋」もです。
アルバムの「何処へ」「夢の跡」も、八木のマンションの部屋で完成させてます。


安佐南区八木は、記憶から消して来ました。
幸せだった場所です。
でも、
偽りの人生を語られて、脅され。
身動き出来なくて。
一番の思い出の場所が、思い出すと体がパニックを起こし、長い時間私の心の奥に封印して来ていました。

写真も手元には、本当に一枚もなかった。

2年前からブログを始めさせて頂き、心を開ける勇気を、少しづつ持てはじめて来ました。

心を閉じてました。
八木に住んでいた日々を見つめると、胸が早鐘みたいに動悸をしはじめてました。
八木での生活は、何も語らずに誰にも語れずに、30年近い年月を過ごしてしまってました。

むさしさんからの写真は、安堵と嬉しさが、急に天から降ってきたようでした。
写真の中の娘と彼の姿は、
その日、その時、その瞬間の声さえ聞こえてきて。
数日パニックになってしまってました。
落ちつきを取り戻す為に、病院で頂いた薬を飲まなければなりませんでした。

それから、やっと。
やっと、穏やかに露菜の小さい時を思い出せ、話してやれはじめてた矢先でした。

証拠が無くても、私を理解してくださる方がいると、、、。
色々な方々からの励ましのメッセージに体から力が抜けはじめてきていました。

八木のマンションがあった場所に娘を連れて行き、私も思い出をたどり、傷んでた心を治し、父親の事を話してやりたいと、そう思っていた矢先でした。

言葉がありません。
悲しすぎて、しかたないです。

多くの方々が犠牲になられて、多くの思い出も壊されて。家も無くされ。
憎む相手も、怒鳴りつける相手もなく、
ただ、黙って涙されながら、自然災害を受け止めていられる姿は悲しすぎます。
安佐南区の映像は、悲しすぎます。


私の事など、悲劇ではありません。
私達を落とし入れた相手がはっきりわかっています。原因も、人間の欲得とはっきりしてます。
でも、
目の前に起こっている、災害は悲劇です。
ただ、受け止めなければいけない、
ただ、受け止めることしか出来ない、
それは、悲劇です。

私も、心から悲しいです。
多くの歌がうまれた場所が、流されて。
心から悲しいです。


今 、私にできることを探してます。













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