競技生命を終えるその時まで、自分の思いをまた書き綴ってみます。いつの日かのために。
文面がぐっちゃぐちゃなのはご了承ください。
今日ってもしかして夢見てる?
今睡眠中?
と何度思ったろうか。
それくらい向き合いたくない事実に出会した。
社会人には避けられない「辞令」
「やめないでください」
「ラストレース見届けます」
「酷すぎる・・」
多くの方からメッセージいただいています。
本当にありがとうございます。
自分がやってきたことは決して間違えてなかった、水泳界には何もできなかったかもしれないけど一個人には少なからず何かしら良い影響を与えられた。そう思うと正直やっとこさ日本選手権切った時よりも何倍も嬉しい。
選手として大切なのはそういうことなんじゃないかな。もちろん結果が全てなんだけど。
明日の午後は人生最後の恩師との練習。
最後くらい死ぬほどきつい練習で終えたかった。だってこの人の元で練習したら絶対強くなるんだもん。
ただ、こんなにも引退という言葉に重みを感じるとは思わなかったし、それが現実になるとは思わなかった。
せめてもの救いが
辞令が試合翌日ではなく、試合前にわかったこと。
(全然救いにすらなってねえよ。)
インカレファイナリストの大先輩からこんなメッセージをいただいた。
「種目柄、継続しないと行けないところもあるし、この決断は、いまの種目を秀一朗が胸張ってやってきた証拠だとおもうわ。
このぶつけようのない思いと言葉は、忘れずに幾年先の人生にぶつけてやれ。
ラストスイムはどんな心境になるかはおれは想像もできないけど、泳ぎ終わった感情こそが答えだとおもう。
こんな心境でやる水泳は、誰もができる経験ではないので、胸張ってレースしてこい。」
ラストまで全力で、自分らしく。
でもこの引退の仕方、
自分は本当に納得しているのか?
内心投げやりになっていないか?
もちろん進展については数ヶ月毎日向き合い続けていたので、今更考えがコロっと変わることもないと思うが、ふと疑問に思う。
今年の社会人選手権のランキング表を既に作成し、何秒がターゲットなのか?何が必要なのか?考え初めていたのに
それはただの飾りで終わるのか?
山口の僻地で本当に続けることはできないのか?
試合参加は埼玉だと遠すぎる、
でも関西の試合であれば距離は半分以下で済む、そこまで移動の疲労は溜まらない。
昨年の春からずっと練習環境を探していて、秋頃やっとの思いで巡り会えたJSS深井。
頻繁に行けているわけではないが、素晴らしいメンバーに囲まれて数年いるかのような居心地の良さを最近は感じている。
多い時は高校生以上が1レーンに8人くらいいるし、それが×3レーンなんてこともある。
それでも受け入れてくださる新井先生。
僕はこのチームに何ができたんだろう。
何を残せたんだろう。
わずか半年で抜けるなんて考えれない。
(泣きすぎて画面フリックが滑る滑る。)
お得意の人脈やリサーチ力を駆使して、もう一度考えてみたい。
でも週末の埼玉での試合は、埼玉県で出る最後の試合になるのは多分変わらないだろうな。