救いようがない男の語りで進む特異な小説です。
なんともいえないやわらかな訛りが心地よいですが、描かれているのは二人の女の間で揺れ続ける優柔不断で臆病な男の心の動きと、他の女に心を移したのを知って身ごもりながら身を引いた妻のおはんと、共に暮らしている芸妓のおかよの生き様。
作者が男性なら、男が求めがちなおはんのような都合のいい女はいないと切り捨てるところですが、作者自身、男の中にもおはんとおかよの中にも自分がいると言っているのは興味深いところです。
「行動することが生きること」と言う千代さんの気弱な一面をあとがきに見ました。10年かけて作品を書いた思いを「もう執」と言うのも面白いです。
千代さんは自分の中の「おはん」を誰かに忘れないでいて欲しかったのかもしれません。けして男を責めず、自分の身に起こったことを客観視せず、人を信じきって生きる女。大切なものを失い、悲惨であるのに、ある意味において幸せと言えるかもしれない女。けれど何一つ貫き通すことのできない、刹那的に生きるこの男は、いずれおはんのことを忘れるでしょう。
登場人物のだれも好きにはなれませんが、語り口が独特なため、また読みたくなるであろう作品です。
さっき買ってきたこれ、痛快なの!
漱石・鴎外・芥川…私の愛する独歩の元妻のはなしも載ってます。良妻もいます。
語りが軽くて鋭いからどんどん読めちゃう。50人の妻たち。まだ途中。
あとがきがまた秀逸で、世間の男が望む「ダメな男をけなげな女がささえる」良妻悪夫は昔の歌謡曲によくあるが、「現実にはあり得ないことを男が夢想しているだけのこと」とバッサリ。
嵐山さんは半数以上が悪妻良夫だろうと言っています。我が家もご多分に漏れず。
「マフラーの巻き方変でしょ。貸しなさい」
「…いっそのことこのまま絞めてくれ」
「あほか。それじゃ保険がおりないでしょ」
「あ、そうか」
「はい、いってらっしゃい」
「いってきます」
我が家のある朝の会話。
私の悪妻ぶりなんてかわいいもんね。んふふ。酷いのは本の中だけで十分。